光射す庭7〜フィナーレ〜
狭いけど綺麗で温かな庭
その片隅で見つけた、宝物
それはどんな宝石よりも光り輝くお前だった
親とケンカをして家を飛び出したものの、どこへ行ってもすでに親の手が伸びていた。
結局行き着いた先は、親父の管轄下の小さな児童施設だった。
そこの園長とは顔見知りだったが子供たちが庭で遊んでいて、入りづらい空気がそこにはある。
無邪気な子供たちに囲まれて、一際目立つ風貌の男がいた。
一瞬で目を奪われてしまう。
年は変わらないぐらいだろう。
無表情で決して楽しそうには見えないのに、子供たちに向ける瞳は底抜けに優しい。
伸ばされた黒髪の間から見える面容は同じ男とは思えないほどに綺麗だった。
目が離せなくなってしまい、しばらく門の影から覗いていたが不意に目が合ってしまった。
気まずさから目を逸らそうとしたその時、彼が近付いてくる。
「何、お客さん?園長先生に用?」
「いや…」
その通りだったのだが、咄嗟に言葉が出てこず思わず否定してしまう。
明らかに怪しい人と化していると、また挙動不審になっている事に気付く。
それより、誰もが遠慮し怯える容貌の自分に臆する事無く接する相手の顔を思わず凝視した。
近くで見ればますます迫力の顔容だと言葉を失っていると、突然門扉が開かれた。
「何だ?」
「見たいんじゃないの?庭。さっきからじーっと見てさ」
見ていたのは庭ではない。
しかしそうも言えず、言われるままに庭に入った。
外にいても咽返るほどしていた甘い香りはこれだったのだと納得してしまう。
庭に入ってすぐ目に入ってきたのは幾重にも植えられたバラの数々。
赤、白、黄色、ピンク、オレンジ、様々な色に加え八重咲きのものや小さなスプレーなど様々な形のものがある。
「見たかったんならもっと嬉しそうにすれば?折角入れてやったんだから…」
「あ、いや……そうだな…ここは温かい感じがして安らぐな」
広さなら家の庭の方がここの何十倍とありそうなのに、あそこはどこか冷たい感じがする。
それに比べ、ここはたくさんの花が咲いていて人の温もりが感じられる。
そう言うとそれまで硬かった表情が僅かに緩んだような気がした。
綺麗な姿に棘のある言葉。
言葉は冷たいが突き放された印象はなく、どこか情の深さを感じる。
まるでこのバラのような人だと改めてその姿を見つめた。
「何?俺の事じーっと見てさ…見たいのはこっちだろ…」
非難する声にはっと我に返り謝ろうとしたが、それが照れからくる事なのだと気付いた。
バラを摘む横顔がほのかに朱をさしている。
やっぱり綺麗だとまた目が離せなくなる。
まだ何かあるのかと眉を顰められ、とりあえず先程思った疑問をぶつけてみた。
「何故俺を招き入れた?怪しいとは思わなかったか?」
「怪しいよ。けどあんた悪い奴じゃないだろ」
「どうしてそう思った?この格好じゃもっと警戒してもおかしくないはずだ」
金色に染められた長い髪に思うまま改造された学ラン。
親への反発は行き場を失いこんな風になってしまった。
街を歩けば恐れられ道が開き、目付きが態度が気に食わないと喧嘩を売られる毎日。
だが目の前の彼は平然と言い放った。
「別に怖くないよ。本当に悪い奴ならこの庭なんて気にしないはずだし」
人を疑うことを知らないのではなく、彼はその本質を見抜いた上でこの光さす庭に招いてくれたのだ。
「それに何か思いつめた顔してる。ここに来て少しは気が晴れたんじゃないの?」
「え…?」
澱みない瞳の前では隠し事などできないと。
真っ直ぐに見据えられた瞳は嘘を吐く事を許してはくれない。
そう思い、静かに話し始めた。
「つまらないことだ。親とケンカして家飛び出してきた」
「つまらなくないじゃないか…何だよ俺なんて喧嘩したくても相手いないしさ…いい気なもんだよ」
この施設にいるという事は少なからず親と同居できない何らかの理由がある。
こっちにとっては何気ない日常の出来事も彼には望んでも手に入らない現実なのだ。
今更ながらに言ってしまった残酷な言葉を後悔する。
「それって結局親に甘えてるって事じゃん……一丁前に家出する勇気あるならその思い全部吐き出したらどうなんだよ」
自分がどれだけ今の環境に甘えていたかを改めて実感する。
「…すまん……その通りだな」
「あ、ごめんなさい」
突然謝られ、何の事か解らず呆然としているとバツの悪そうな表情を向けられた。
「知らない人なのにいきなり説教とかして…」
感情乏しいと感じたのは表に派手に出ないからだけで、心の中に秘める思いは深いようだ。
さっき感じた情のようなものが間違いではないと確信する。
「いや、反言なく耳が痛い。その通りだ。目が覚めたよ」
「仲直りしなよ。家族は大事にした方がいいと思う」
家族と一緒に暮らせない者だからこそ重い言葉として心に届く。
他の誰に同じ事を言われたとしてもこう素直に聞けなかっただろう。
「俺が言って聞くような相手ならいいんだがな…ガンコな親父だから」
「似た者親子なんじゃないの?あんたも相当頑固者に見えるけど」
言葉は相変わらず棘があるが、それも悪意があっての事ではないと解る。
「お前言ってくれるな。まぁ否定できんが…」
「うだうだ悩む暇あるなら言えばいいじゃん。思ってるだけで相手に通じるなら誰も苦労しないよ」
「そうだな…まぁあの親父が簡単に俺を許すとは思えないが。奇跡でも起こらん限りな」
悪戯っぽく笑いかけると、それまで無を表していた顔が笑みに変わった。
僅かに弧を描く唇が酷く安心させてくれた。
「大丈夫。奇跡を信じて、想いは届くと…」
そして差し出された真っ赤なバラを手に、あの冷たい家へと帰ったのだった―――…
その花は、冷たかった庭を
光さす庭へと変えた―――
「奇跡を信じて、想いは届くと…」
「そんな事言ったっけ…え……は…恥ずかし……何考えてたんだ俺…」
「あの時のお前の説教がなけりゃ俺は今頃どうなってたか解らんぞ」
「説教って…」
深司は信じられない気持ちでいっぱいだった。
日本庭園の片隅にある不可解なバラ園は、あの日深司に手渡されたバラを増やして出来たもの。
橘はあの後何度か施設に足を運んだ。
バラの苗を分けてもらうという名目で、その実、深司にもう一度会えればと思い。
結局それは叶わず、バラだけが増えていった。
いつかこの庭に彼を迎え入れたい。
その思いは深まり、やがて愛情へと形を変えていった。
「結構ショックだったんだぞ。お前はまるで俺を覚えていないし」
「………ごめんなさい…」
「謝る事はない。それでも今こうして俺の側にいてくれている。それだけで俺は充分だ」
そんな言葉とは裏腹に、橘の表情は不安げなものだった。
普段の颯爽とした自信に満ち溢れた彼ではない何かに怯えた様な。
そうまでして思ってくれている事にまるで気付かず、相手を不安にさせている。
自分で言った事に責任も持てていない。
橘にはあんなに偉そうに説教したというのに、自分はどうなのか。
思った事を何も言えていない。
深司は今こそ相手に伝えなければと口を開いた。
「俺、本当に橘さんが大切です。ほんとに…世界で一番好きです。
でもだから…俺が側にいたら迷惑になるんじゃないかってそんな事ばっか考えてて…」
「迷惑なもんか」
「負担になりたくないんです。疲れてんのに会社から毎日帰って来なくても…俺がいるからここに帰るんでしょ?」
「そうだな。お前がいるからここに帰るんだ。俺がお前に会いたいからな」
「それに俺男だし…」
「そんな事気にしてんのか。俺も男だぞ」
「子供産めないし…」
「子供なんて出来たらお前そっちに掛かりっきりになって俺が放っておかれるだろうが。
子供だろうと誰だろうと俺はお前を取られたくない」
「どんな独占欲だよ…そんな事言ってて跡取りどうするんですか」
「お前そんな先の事まで心配してんのか。あと50年はくたばる予定はないんだが…
それにうちの会社は世襲制じゃない。現に俺だって他にいた役員候補を蹴落として今の地位についたんだ。
別に俺に子供がいなくても大丈夫だ」
「あの跡部って人と結婚した方が会社の為になるって聞きました。
あの人なら俺も解んない仕事の話とかできるしその方がいいんじゃないかって…」
「おいおい…跡部は友達でそれ以上でもそれ以下でもない……何でそういう話になるんだ」
「だって俺橘さんの仕事の事とか全然解んないし」
「誰に何を言われたか知らんがお前は俺のパートナーでそれは他の誰にも任せられないんだ。
仕事の事は代わりが利くがここは誰に譲るつもりはない」
一見冷静に、だがお互い譲れない言い分を一気に言い切った。
ここは譲らないと、橘の力強い腕に抱かれ、深司は言葉を詰まらせる。
「えっと…」
「お前の思う負担ってのはそんなもんか?」
「そんなもんって…俺には結構な事ですよ」
胸に顔を埋め、ぼそぼそと零すと橘は腕の力を更に強めた。
「深司…俺たち家族になったんだよな?」
「え?あ……はい…」
「ならもっと甘えろ。それは負担じゃない。迷惑でもない。俺だってお前に甘えっぱなしじゃねぇか」
深司の知る橘は誰かを頼り甘えるような人物ではない。
何のことだと鼻で笑い飛ばした。
「……橘さんがいつ俺に甘えたんですか?」
「今」
「え…?」
「今甘えている。こうやってお前に寄りかかっていつも支えられてる」
支えられている。
思ってもいない単語が出てきて思わず固まる。
いつも寄りかかるばかりで何の役にも立っていないと思い込んでいた。
だが橘もまた同じ様に思っていたのだ。
「俺はそんなに器用な方じゃないしお前には淋しい思いをさせるかもしれない…だが忘れないでくれ。
俺にはお前しかいない。お前しかいらない。だから離れていかないでくれ…」
真剣な思いと不安が交錯する橘の顔を見て、何と愚かな思いを抱いていたのだろうと思う。
いつだって両手いっぱいの愛を与えられていたのに、それから目を逸らしてしまい真実を見失っていた。
他の誰でもない橘がこう言ってくれている。
それ以上の何を気にしていたのだろうか。
深司の心を支配していた黒い影が跡形もなく綺麗に流れ去った。
残ったのはただ相手を愛しく思う気持ち。
この気持ちを大切にしたい。
「だったら絶対離さないでください…そしたら俺、ずっと橘さんの側にいますから」
「ありがとう深司」
初めて音にして伝えた気持ちは充分に相手を幸せに出来たようだ。
面映い橘の笑みが全てを物語っている。
「今日がまたスタートラインになるとはな…」
「また?」
「やっぱり忘れていたか…今日は俺たちの結婚記念日だろう?」
差し出されるバラの花束は深司へのプレゼント。
「あ……」
毎日同じ事の繰り返しで日にちの感覚などすっかり無くなっていた。
受け取ったバラと橘の顔を交互に眺める。
「お前は放っておくと自分の誕生日も忘れているからな」
「はぁ…すんまそん……」
「いいさ。代わりに俺が覚えててやるよ」
気の無い返事の深司よりも橘の方が楽しみにしていたように思える。
記念日や誕生日など年中行事を気にするなんて、意外と可愛いところがあるんだと今更ながらに気付く。
きっとこれからも橘の色々な姿に気付き、その度に恋するだろう。
何も疑うことはない
もう迷わない
ずっとこのまま二人でいられれば
それで幸せなのだ、お互い
だから
もう離れません
ずっとずっと側にいます
だから
離さないでください
この光さす庭で
命果てるまで―――…