光射す庭4

「深司!?…どうしたんだよお前…」
唯一、深司の行く場所はここしかない。
10数年間育った児童施設。
そこの園長の息子である神尾アキラは突然何の知らせもなく帰ってきた深司に驚きを隠せない様子だった。
ずっと橘に想い焦がれ、念願叶って一緒になれたというのに。
何の前触れもなく暗い顔を引き摺り帰って来たのだ。
元々表情は乏しいが、ずっと一緒に育ってきた神尾にはその僅かな差が解ってしまった。
何かあったのだと、何も話そうとはしない深司を神尾はとりあえず部屋に上げる。
するとその奥から甲高い声が聞こえてきた。
「あー!!深司にぃーちゃんだぁ!!」
「おかえりなさいっ!」
それは深司と同じようにここで育ってきた兄弟たち。
出身も出生も違う。
でもずっと寝起きを共にしてきた大切な家族。
彼らにおかえりなさいと迎えられ、深司はようやく肩の力を抜いた。
ようやく自分がいる存在理由を実感できたから。
ここには自分の居場所があるとわかったから。
何も言わない深司を心配する子、茶化す子、励ます子、優しい言葉をかける子。
突然帰ってきた深司に子供たちは様々な反応を示す。
そんな彼らにも言葉を返せなくなってしまった深司を見て神尾は子供たちを追い出し、ダイニングで二人っきりになった。
「…ったくマジでどうしたんだよ」
神尾は相変わらず堅く口を噤んだままの深司にお茶を出し、目の前の椅子に座る。
ここにいた頃は顔を合わせる度にケンカをしていた神尾が、今は優しく声をかけてくれている。
深司は口を開くと涙腺が脆く崩れ去りそうで何も言えないでいた。
「橘さんとケンカでもしたのか?」
激しく首を否定方向に振る深司に首を傾げる。
「じゃぁー誰かに虐められたとか?」
その質問も否定され、神尾には事情が全く掴めなくなってしまった。
「おい深司、言わないとわかんねーだろ?」
「……あの家に…俺の居場所なんてないんだよ………」
小さく呟かれた言葉を真意を汲むことができず、神尾は眉を顰めた。
「どういう意味だ?」
「………俺と橘さん…全然違うんだよね……」
何が、とは言わなかった神尾にもそれはよく理解できた。
確かに深司と橘では社会的な地位も身分も雲泥の差だ。
しかしそんな事も覆すべく一緒になったはずで、今更この家に帰る理由なんてないはずなのだ。
「深司、お前なぁ都合よすぎ。ここの皆顧みずに一緒になったってのに今更ここ帰ってくるなんてさ、都合よすぎだぜ」
神尾の言葉が深司の胸の奥を抉る。
確かに結婚してここを去ると決めてからは。
ここの重要な働き手だった深司が去ってしまい、ただでさえ人手不足だったのに園長や指導員の大きな負担となっていたのだ。
「………何だよ…解ってるよそんなの………帰ればいいんだろ帰れば…」
「そうそう。それ飲んだら帰れよ」
神尾は冷たくそう言い放つと立ち上がり、シンクにたまっていた食器を洗い始めた。
その後姿を眺めながら深司はこれからの事を真剣に悩んだ。
他に行く場所が思いつかず、つい頼ってしまったが施設を去った時点でここにも自分の居場所なんてなかったのだ。
やっぱりあの家に帰るしかないのだろうか。
でもそうすれば橘の、あの家の邪魔になってしまう。
俯きマグカップの底に映りこんだ自分の表情に腹の中で一笑する。
「変な顔……」
橘が綺麗だと褒めてくれた顔はそこにはない。
旧友にも見捨てられ、嫌になるほど情けない顔をしている。
その時。
背中を向けていた神尾が小さな声で話し始めた。
「それでもさー…ここはお前がずっと育ってきた家なんだし…辛くなったらいつでも帰って来いよな。
皆でおかえりって迎えてやるから」
心の中を見透かされたかのようなその言葉に深司ははっと顔を上げた。
複雑な表情をした後、今まで見たこともないような優しい笑顔を見せる神尾に、不覚にも泣きそうになってしまう。
そんなところを絶対見られたくないと、深司はぶつぶつとぼやきはじめる
「あーもう鬱陶しい!晩飯食ってくんだろ?今日水曜だからお前買出し当番な」
「は?何で俺が行かなきゃなんないんだよ……神尾が行けばいいじゃんか…面倒だなぁ…」
「ほら財布!それから今日特売してるスーパーのチラシ!ほらほらさっさと行って来い!!」
「神尾が行けよ。俺しばらく買物なんて行ってないんだしメニューも勝手に決めたら文句言うしさぁ…」
来た時見せていた今にも死にそうに暗い表情が消え、いつもの調子に戻った深司に神尾はほっとした。
が、勘付かれないように顔を引き締める。
そして財布を取り上げると、さも仕方ないと盛大に溜め息を吐いた。
「仕方ねぇな…一緒に行ってやるよ!!」
「何でそんな偉そうなのさ…だいたい神尾一人で行けって言ってるのに…恩着せがましいなぁ」
その軽いやり取りが失った時間を取り戻させる。
買い物なんて、しかも特売しているのスーパーのハシゴなんて屋敷に行ってからは考えられなかった。
ここにいた頃は毎日していたことで、それが嫌で嫌で仕方なかったのに。
今となってはこの何気ない日常さえ恋しく思ってしまう。


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