蜩ノ唄6
いつの間にこんなに成長したのだろう。
隣に立つ子の背丈が、夏を迎えてまた少し伸びたような気がする。
時折見せる苦しげな表情が大人への階段を、一歩、また一歩と進んでいる事を物語っている。
友達を相手に見せる笑顔はまだまだ無邪気だというのに。
少年の持つ独特の危うさに、また鼓動が早くなった。
「最近慈郎の奴…あんまりカリカリしなくなったと思わねえか?」
二人の間を流れる空気が微妙に変わったと気付いたのは、意外にも鈍い宍戸だった。
敏い滝が気付いたのは勿論の事だが、それを口に出して指摘した事に些かの驚きを覚える。
「何だ、気付いたんだ」
表面上はまだ仲が良いといった雰囲気には程遠い。
むしろ以前より顔を合わせる回数が減っているようにも見える。
慈郎が意識して遠退いているのだ。
避けているわけではなく、一定距離を置いて静観しているらしい。
一人激高していた頃に比べれば随分な進歩だと滝は思った。
侑士は以前にも増して慈郎を気にかけるようになっている。
しかし押し付ける訳でもなく、こちらもまたすこし離れた位置からいつも慈郎を見守っているように見える。
不安定ではあるが、二人の仲が改善されたのだと宍戸たちは安心した。
何があったのか気になるが、今聞き出して再び仲違えされても困るので、滝は静観する事にした。
ひと月に渡り街を賑わした祭も終わり、付近を彩るものが蝉の音に変わった。
月が変わって間もなく、慈郎の父親の命日がやってくる。
それに合わせ、本陣では盆供養も合わせ盛大な宴が連日催される予定になっていた。
その皮切りとなるのがその一周忌の法要だ。
慈郎は部屋の前にある納戸でごそごそと何やら探している侑士の背後に近付く。
「……何やってんの?」
「え?あぁ……礼服探してんやけど…」
突然声をかけられ一瞬驚いたが、侑士は苦笑いを向けた後再び長持の中に顔を突っ込んだ。
「礼服?法事出ていいって言われたのか?」
「雑用しにやけどな」
つまり本陣への出入りは許されたが法要には出席するなという事。
無意味に頭数のいる使用人にさせればいいような事も、彼にさせようというのだ。
一体何を考えているのだと、慈郎は舌打ちをする。
それを敏く聞いた侑士は頭を上げて再び苦笑いを向けた。
「ちゃうよ。うちが自分で頼んでん。来んな言われたんやけど雑用でも何でもええから行かせてくれて」
「そんなの……おかしいじゃねぇか…」
口の中で放たれた慈郎の小さな声は今度は耳に届かなかった。
また新たに引き出した箪笥の中を探し回っている。
「あったあった…ってちゃうわ、これ先生のや……」
侑士は慈郎の父を、夫を名前で呼ばず先生と呼ぶ。
勿論慈郎と話をする時は彼に合わせてお父様と呼ぶのだが、それ以外の場では何故かそう呼んでいる。
何か理由があるのだろうか、知りたいが聞けない。
慈郎は頭を二三度振り、あまり深く考えないようにして侑士を手伝い始めた。
「手伝うてくれるん?おおきに」
「…別に……」
ごそごそと這いつくばるように長持を探す侑士の反対側にある箪笥を開けて中を探ると、中から懐かしい物が沢山出てくる。
小さい頃着ていた服や使っていた玩具など、こんなものまできっちりと仕舞っておいたのかと驚いた。
父親は物に執着などない人間だった。
だからこれが母親の仕事だと思うのは容易だ。
少しの懐かしさを噛み締めながら次の段を引く。
畳紙が顔を覗かせ、その中に入っていたのは母の喪服だった。
真夏の納戸は蒸し暑く、自分から手伝い始めた事だが嫌気が差してきた。
「なぁ、もうこれでいいんじゃねぇ?」
「……ってこれお母様の喪服やん…こんなん着ていったら門前払いされるて」
「別に普段だってそんなの着てるし…誰も気にしねぇって」
確かに侑士は年中女物の着物を纏っている。
今更なのだが公の場では流石にそういう訳にもいかないだろうと難色を示した。
しかし慈郎は取り合わず、はい決定と言ってその畳紙を侑士に手渡し、さっさと納戸を出てしまう。
「俺向日と学校行く約束してるから」
「え?今日は何かの当番さんなん?」
侑士は慌てて立ち上がりその背後を追う。
怠惰でほとんど学校に寄り付かない状態ではあったが責任感のある慈郎は、やれ鶏の餌係だ花の水やり係だと時々登校していた。
退屈な授業を受ける気にはならないが、動植物たちに罪は無い上、一日暇を持とうが学力に差は出ないが、彼らはそうはいかない。
一日餌をやらないだけで、水をやらないだけで命を失ってしまう。
だが今日はそれが目的の登校ではなかった。
「先生の雑用」
「そう…ご苦労さんやな」
「晩飯は先生ん家で食わせてくれるっていうからいらない」
「解った。気ぃつけていってらっしゃい」
「…いってきます」
背中を向けたままであったが、きちんとこうして声を返してくれるようになった事に侑士の頬が緩む。
玄関の扉が閉まる音を聞き、再び納戸へと戻った。
慈郎がいないとなると、自分の都合よい時間に家事をすればいいだろうと探し物の続きをしようと長持の蓋を開けた。
「去年仕立てたはずやねんけどなぁ…」
彼是一時間は探しているが、一向に見つかる様子をみせない。
浴衣の下はじっとりと汗を滲ませ、そろそろこの納屋に篭ったままでいるのも限界に近い。
額の汗を拭い、一旦外に出ようかと腰を上げた時、視界の隅に入った。
慈郎がどこからか見つけ出した母親の喪服が。
それを手に取り居間に戻る。
畳紙を開き中から着物を取り出す。
長く箪笥に入れたままであったが、恐らくは使用人が綺麗に仕舞っていたのか皺一つ染み一つない。
夏物の絽織の生地が見た目にも涼しい。
手近にあった晒で汗を拭い、真っ白なそれを羽織った。
侑士には少し丈が短いようだが、慈郎の母は他の女性より背が高かった為着れない事もない。
居間の隣りにある仏間に置きっぱなしの姿見の前で慣れた手つきで素早く着付ける。
「…やっぱりあかん。こんなん着ていけるかぃ……」
鏡に映る自分の姿を自嘲し、さっさと脱いでしまおうと振り返る。
「よぉ。似合ってんじゃねぇの」
「あ…とべ君……何で……いつからそこに…」
鏡を見る事に集中していた為、いつの間にかやってきていた跡部に気付かなかった。
縁側に座り、じっとこちらを伺っていたのだ。
「ちょ…っと…あっち行ってや」
「そう邪険すんじゃねぇよ」
靴を脱ぎ捨て、勝手に上がり込む跡部から逃げるように部屋の隅へと走る。
跡部は後ろ手に襖を閉め、庭から空間が遮断された。
薄暗い部屋の中で、仏壇の金箔だけがやけに下品に光っている。
あの日、押し倒され脅しの様な言葉を浴びせられて以来初めて顔を合わせた為侑士は反射的に身を強張らせた。
じり、じりと近付いてくる相手になす術も無くあっという間に追い詰められてしまう。
「そそるじゃねぇの…寡婦に喪服ってのはよ」
「あっ…阿呆な事言うてんとどいてんかっ」
勢いをつけ圧し掛かろうとする体を押し返そうとするが、逆に腕を掴まれそのまま畳へと体を縫い付けられてしまった。
どうにかして逃れようともがくも、とても跡部の力には対抗できない。
侑士は絶望を映した瞳で見上げた。
「何で…何でこんな事…っ…」
「そんなの、自分で考えるんだな」
「わっ…解らんから聞いてんねやろ!」
「簡単に言っちまったら面白くねぇだろ?それに…今日は邪魔も入らないみてぇだしな…ゆっくり楽しませてくれよ」
気温の上昇からくるものではない、邪心が見え隠れする熱い手で首筋を撫でられ、全身が粟立つ。
嫌だ、嫌だと心が叫ぶ。
だが跡部の手で口を覆われそれを音にする事は叶わない。
必死にその手から逃れようと、侑士は身を捩りもがき続けて抵抗をする。
しかしそれは逆に跡部を煽る結果となってしまった。
やけに慣れた手つきで帯紐を解くと、あっという間に両手を縛り上げた。
逃げるように暴れ続けた結果、裾は乱れ生白い足が空を掻いた。
見逃すような事はせず跡部の腕がしっかりとそれを捉えた。
割り込むように体を足の間に滑り込ませ、完全に侑士の体は支配されてしまう。
頭上で縛り上げられた帯紐は動けば動くほど手首に食い込んでゆく。
痛みで顔を歪ませると、さも楽しそうに跡部が口を開いた。
「蹴るなよ。大事なモン足蹴にされて使い物にならなくなったらどうしてくれんだ」
「…しっ知らんわっそんな…んっ…」
「紐はまだまだあるんだぜ?足まで縛られたくなきゃ大人しくするんだな」
するすると解かれてゆく帯を絶望的な気持ちで見つめた。
辛うじて肩で引っかかる絽と襦袢、腹に巻かれた伊達締めだけを身につけた状態になってしまった。
「ちょっ…何す……んっ」
跡部は少しゆるんだ襟元から手を差し入れ、絽越しに見える襦袢諸共引き開いた。
そしてだらしなく肌蹴られる胸元に顔を寄せ、中心にある桃色に齧り付く。
「やめ…っ!」
固く両手を戒められている為、それ以上脱げる事はない。
だがそれが逆に跡部の劣情に火をつける。
血に飢えた野獣の如く実を舐る姿に、最早侑士の思考は閉ざされた。
こうなれば死に物狂いで暴れて事を長引かせるよりも、大人しく身を委ねるのが一番早く済む。
そう思い、一瞬抵抗を止めたが途端に視界に飛び込む慈郎の父の遺影に再び思考が明確になる。
「ほんまに止めやっ…もっ…嫌やっっ!!」
「…チッ…手荒な真似はしたくなかったんだが…てめぇがその気になんねえのが悪いんだぜ?」
「何を…っ」
跡部は侑士が着付けに使っていた姿見を引き寄せると、その足元に紐を結わえ、侑士の左足を縛り上げた。
暴れてしまえば姿見が倒れ仏壇や障子を壊してしまうかもしれない。
そんなギリギリの緊張感が侑士を冷静にさせた。
「あ…あ…はな…して」
「今まで散々にされてきた事だ?今更どうって事ねえだろう?」
「なっ…!」
「しっかり鳴け……そして俺様を楽しませてくれよ?」
絶対的な口調で命令され、押し込めてきた過去が脳裏に浮かび上がる。
嫌だ、もうこんな事はしたくないのだ。
そう心で叫んだとしても、声となる事はなかった。
誰か助けてくれと思うが、こんな姿は誰にも見られたくない、見せたくないと思う。
こんなに浅ましく、醜い姿を。
「いた…い…痛っっ…!!」
侑士は鬼のように鋭い瞳で睨む跡部をぼんやりと見上げた。
もう何年もされていない行為に体がすぐに馴染むはずもなく、ただ腹の下から襲う痛みと苦しみに耐えながら表情を歪める。
「痛ぇだけじゃねえだろ。もっと素直に感じろよ」
「う…あ…っっく」
下肢には跡部自身が埋まり、もう何十分と緩く揺さぶられていた。
さっさと終わらせて離れてくれればよいものを、とすら思えてくる緩慢な動きに苛まれ思考が曇ってしまっている。
何故こんな事を彼がしているのか、理由は解っている。
しかしここで屈するわけにはいかない。
侑士は必死に唇を噛み締め声を押し殺した。
「うう…っっ」
「おら、鳴け。鳴けよ。それで終わりだ」
「いや…いややっっ!!あっああっ」
「くっ…頑固だな……なら、これならどうだ?」
突然身を起こし、それまで視界を遮っていた跡部の顔が離れていく。
途端に目に飛び込んでくる、遺影。
慈郎の父親が精悍な顔つきで写っているそれが侑士の霞んだ思考を明確にした。
「しっかり見ろよ、ダンナが見てるぜ?てめえの痴態をな」
「ああっ!!やっ…いや…っっは…あっ」
「目ぇ逸らすんじゃねえぞ。もっと酷くするぜ」
「なっ…なんで…あっっやぁあっっ!も………っっ」
跡部は急に動きを速め、探り当てた良い場所を抉り始める。
「何だよ…急に素直になりやがって…っ……ダンナに見られて興奮してんのか?」
「ちがっ……やあっっああっ」
それまで散々に焦らされていた体は途端に火が付き一気に上りつめる。
「くっ…」
「や…やぁ…っっっああっっあっ!!」
長く快楽に浸された体は呆気なく陥落してしまった。
流れ込む跡部の精を感じながら、侑士は静かに意識を飛ばした。
次に目が覚めた時、辺りはすでに暗くなっていた。
部屋に跡部の姿はなく、ほっとすると同時に怒りよりも深い悲しみが押し寄せてきた。
彼は自分の捨て去った過去を知っている。
そして体を繋げる事で隠し通してきた秘密を知られてしまった。
それを強請りの種とされてしまえば、これから先また同じ様な事があったとしても断る事は出来ないだろう。
どうしても知られたくはなかったのだ。
この家の年若い主人にだけは、この秘密を知られたくない。
だからといって、このような行為に屈するのはあまりに辛すぎる。
ぐっと拳を握り、俯き涙を堪えていると玄関から物音がした。
まさか、もうそんな時間になっていたのかと焦り壁にかけられた時計を見れば、すでに夜の九時を過ぎていた。
急ぎその場にあった着物をかき集め体に纏うが、これでは何をしていたか解ってしまうだろう。
また軽蔑の視線を向けられ口もきいてもらえない毎日が待ち受けている。
そう覚悟して近付く足音を、どこか遠いもののように感じながら聞いた。
中に光がない為誰もいないと思っていたのだろう、慈郎は酷く驚いた様子で居間に目をやった。
「…いたのかよ……灯りもつけねぇで何やっ……て…」
開けっ放しの襖から廊下の光が漏れ、それだけが居間を照らす。
ぼんやりと浮かび上がる空間に半裸状態で呆然と佇む侑士に暫くは何も言えず慈郎は動きを止めたまま見下ろした。
鋭い視線を向けられ、侑士は動く事もままならずその場でガタガタと震えるより何も出来なかった。
「……まさか…」
低く唸るような声がして、近付く影に身を硬くする。
目線を合わせるようにしゃがみ込んだ慈郎に肩を掴まれる。
罵倒の言葉を覚悟した。しかし次の瞬間降りかかったのは泣きそうに震えた声だった。
「誰にやられた?!……あいつか?跡部だろ?!」
徐々に強くなる語感に怯えながら見上げると、酷く傷付いたような顔をした慈郎と目が合った。
「おめえから誘った訳じゃねえだろ!!こんな縛られた痕つけて!跡部に無理矢理やられたんだろ?!」
着物を握っていた手を掴まれ、怒鳴られ、上手く思考が働かなくなり反射的に頷いた。
その瞬間、眉を吊り上げ般若のように怒りを表情に出すと慈郎は弾けるように立ち上がった。
「ブッ殺してやる!!」
「慈郎!!」
普段意識して出している柔らかい声ではない、緊迫した声で思わず引き止めてしまった。
慈郎も初めて聞く地声とも取れる低い音程の侑士の叫びと腕に縋る力に足を止める。
「落ち着いて……お…うちは大丈夫やから…」
しかしそれも名を呼んだ一瞬だけで、すぐに取り繕うようにいつもの柔らかい声に戻っている。
だがやはり緊張は残っているのか、慈郎は聞き逃さなかった。一人称に俺という言葉を使おうとした事を。
「こんな…変なとこ見せて堪忍やで……」
「…っ…んな事…」
凡そ的外れな謝罪の言葉に慈郎は何か言いかけ、しかしそれ以上何も言わずに部屋を出て行ってしまった。
侑士はそれを止める事も出来ず、ぎしぎしと軋むような体を何とか起こした。
そして辛うじて引っ掛かっているだけの着物の袖を通し、側にあった紐に手を伸ばす。
だがそれは先程された行為の後を色濃く残している。
虚ろな瞳の端に映った手首を縛り上げていた物だ。
それをもう一度体に巻きつける事は出来ず、畳に投げつける。
思い出したくもない過去がぐるぐると頭の中を駆け巡り、遣る瀬無い思いに駆られた。
好きであんな事をしていた訳ではない。
ただ、ああする事でしか自分は生きていけなかった。
それ以外に生き延びる術がなかったのだ。
しかしそれもただ彼の目には酷く醜く耐え難いものと映っている事だろう。
嫌っていたはずの相手にすら、こうして怒り覚える程に正義感の強い子なのだ。
当然だろう。
以前は未遂であったが、今回は違う。
侑士はただ自分が醜く思え頭を抱えその場に突っ伏した。
情けなく流れる涙を堪えるように部屋の隅で震えていると、再び居間の襖が開かれた。
驚き顔を上げるとすすだらけの顔をした慈郎が立っている。
「…じろ…さん?」
「来い」
「え?……っっ!い…痛いっ」
いきなり腕を掴まれ立ち上がらせようと引っ張られるが、腰から足にかけての感覚が薄く、しかし刺すような激痛があらぬ場所に走る。
それに顔を歪める侑士に慈郎は焦り力を緩めた。
そして上手く歩けていない侑士を腕に抱えるようにして引きずっていく。
「入れよ」
「え?……あ…あの…」
「風呂、沸かしてやったから入れっつってんの!」
そう言って怒鳴る慈郎にお勝手の端にある風呂に無理矢理押し込められた。
音を立てて木戸を閉め出て行くと、今度は土間に回る気配がある。
ガラガラと薪の崩れる音がしているので湯を沸かしているのだろう。
あまりの出来事にしばらくは唖然としたままだったが、脱衣場に置かれた籐籠には新しい浴衣が用意されているのが目に入る。
侑士は恐る恐る土間に向けて開いている格子窓から声をかけた。
「慈郎…さん?」
「きれいに洗い流して全部忘れろ」
薪のぶつかる音にかき消されそうな一言は侑士の耳にしっかりと届いた。
あの慈郎が気を使い、励ましや慰めとも取れる一言をくれた。
それだけで先程まで怖ろしい程に渦巻いていた心の闇が吹き飛ぶような思いがする。
侑士は言われるまま風呂に入り、汚された体に何度も何度も湯をかけ石鹸で洗い、そして湯船に浸かった。
丁度頃合の良い湯に心も体も解れていく。
「……湯加減どう?」
「ああ、丁度ええ塩梅やよ」
格子越しにする声に若干上向いた声調子で返すと、慈郎は小さくそう、と呟く。
「おおきに慈郎さん…ほんまにおおきに…」
声が涙に震えてしまったのも慈郎には伝わっただろう。
だが悲しさや悔しさ、情けなさではない、ただ慈郎の優しさが嬉しいのだという事は言葉として伝えられなかった。