蜩ノ唄1
いつからだったろう。
その場所が朝顔屋敷と呼ばれるようになったのは。
初夏のまだ瑞々しい緑が生い茂る事から、晩秋枯葉舞う季節まで。
様々な色や形の朝顔が垣根一面に咲き乱れている。
道行く少年少女たちは自由に花を摘み、虫を捕り、夏を楽しんでいる。
しかし大人は誰一人として近付かない。
その屋敷には淫乱雌狼が住まうと噂されていたからだ。
だが人の噂など当てにならないもの。
事実、その屋敷に住んでいたのは金糸雀の声を持つ少年だったのだから。
盛夏。
そろそろ祇園囃子が京の町を彩る頃だろう。
しかし市街地より少し外れた場所にある朝顔屋敷には、届かない。
大奥屋敷、雌狼屋敷、愛妾屋敷、周辺の住人たちは好き勝手にその広い屋敷の事を呼び、嘲笑していた。
半ば軽蔑とも取れる名を付けられた広大な屋敷に、今はたった二人だけが住んでいる。
広い庭には大きな楠、表を走る道路との境には朝顔が植わっていて垣根の役割を果たしている。
花の周りをひらいひらと舞う黒い揚羽が、照りつける太陽に今にも焦げてしまいそうだ。
そんな庭の見える和室の縁側で、昼寝をする少年の額に優しい感触が降ってくる。
冷たいその何か、に驚き、現実世界に引き戻された少年は飛び起きた。
「あぁ…驚かしてしもた…?」
にっこりと笑む姿が嫌いだった。
「堪忍な」
すぐに謝るのが嫌いだった。
「こんなとこで昼寝してたら暑い思て…」
必要以上に構われるのが嫌いだった。
「うちの手、冷たいやろ?慈郎さん」
他人の様に自分を呼ぶ姿が許せなかった。
慈郎はこの屋敷の主人だが、まだ十五。
母を亡くし、父を亡くし、何故か何の血縁もない目の前の人物と暮らしている。
沢山いる親戚は皆うちで引き取ると言ったが、慈郎は頑として首を縦に振らなかった。
以来、ずっとこの人物と奇妙な同居生活をしていて、そんな関係が始まり、もう一年が過ぎようとしていた
「さっきまで表で打ち水しとったから…」
井戸水と同じ温度になった手を、再び額にあてられたが、慈郎はそれを振り払った。
「……触んな」
刹那、悲しい表情を見せるが、やはり次に出てくるのは笑顔だった。
「堪忍な。寝起きにこんな事されたら誰かて……」
言葉の最後を聞かず、慈郎は立ち上がり玄関へと向かう。
「どこ行くん?もうすぐ夕飯やのに…」
「うるっせーな。いちいち構うなよ!!」
慈郎が立ち去るのを見て、慌てて部屋に上がり、その後ろを音もなくついて回る。
怒号と共にその体を突き飛ばされても、その人は怒らない。
それを知っていた慈郎は、足がもつれて倒れこみ、その人がもう追いかけてこない事を確認すると足早に屋敷を後にした。
あの悲しい声の持ち主は、忍足侑士と言った。
三年前、慈郎の父がこの家に連れてきた。
愛妾屋敷と呼ばれていたこの屋敷は、曽祖父が妾を囲う為に買ったもの。
母を亡くし、出来のよい兄が本家を継いだ伯父夫婦に引き取られた夏の話だった。
突然、そんな忌々しい名前で呼ばれている屋敷に移り住む事になったのは。
引っ越してから程なく、慈郎の父はその人を連れてきたのだ。
今日からこの人がお前の母親だ、と。
たった三年昔の事だが、まだ子供だった慈郎は柔軟な対処ができた。
たとえその母親が自分とたった二つしか変わらない、少年だったとしても。
その当時にしてみれば、母親だと言われても解らない。
慈郎にしてみれば、ただ二つ歳の離れた兄が出来たようなものだ。
それは時の天皇が崩御し、新しい元号が発表された翌年の事だった。
しかしある時を境に、慈郎は侑士を徹底的に避け始めた。
以来、こんな苛々した生活を一年も続けている。
互いが互いに奇特だと思っていた。
嫌いながらも同居を解消しない慈郎も、嫌われると解っていながら出て行こうとしない、あの人も。
どうしてあんな非情な現実を、彼は受け入れたというのだろう。
いつも考えているのはその事ばかり。
先刻家を出る前、最後に冷たく一瞥した瞬間、瞳に入った悲しげな表情が脳裏をちらつく。
慈郎は振り払うように舌打ちし、市街の方へ走り始めた。だが唐突に家を出てしまい、行く当てもない。
仕方なく適当に辺りを徘徊した後、夜半に帰宅して居間へ行くと、卓袱台に伏す侑士が目に入ってきた。
食事が用意されている。
もう随分と前に作られたのだろう、すっかり冷えてしまった状態で食卓に並んでいた。
慈郎は静かに寝息を立てる侑士を起こさないようにそっと向かいに座った。
器にかけられた布巾を取ると、心の中で小さく頂きますと唱え、箸をつける。
恐らくこうなる事を予想していたのだろう。
侑士が用意したおかずは三品とも冷めても食べられるものばかり。
その全てを腹に収め食器を流し台へと運び、自室に下がろうとした。
しかしうっかりと視界に入れてしまった。
伏せる腕の間から見える寝顔を。
綺麗、だと思う。
否、顔の造りだけなら隣に住む馬鹿坊の方が格段に上だろう。
やはり別段取り立てて褒める程ではない。
だがどこか色気のある淡白な顔は、一度目に入れてしまうと逸らせなくなってしまう。
いつもは父に買い与えられた眼鏡を外さないので、慈郎がこの素顔を見るのは久しい。
それでも、その硝子に阻まれている瞳がどれだけ暗く鋭い光に満ちているかは知っている。
いつからか、まともに視線を交わせなくなってしまった。
慈郎はこの日二度目の舌打ちを放ち、側にあった洗濯物の山から自らの上着を引っ張り出し、
それを侑士の肩にかけ、今度こそはと自室に戻った。
翌朝も早くから台所に彼の姿があった。
慈郎はいつも日が高く上らなければ起きてこない。
侑士が用意しているのは自分の朝食と二人分の昼食だ。
大きな屋敷は元々妾だけでなく沢山の使用人も暮らしていた。
だからお勝手だけでも普通の家庭の三倍の広さがある。
尤も、二人だけの暮らしには些か場所が大きすぎる感も否めない。
実際この屋敷には侑士も入った事のない部屋が二つほどある。
一つは慈郎の部屋。
勝手に入れば間違いなくこの家を追い出されるだろう事は容易に想像がつく。
自堕落な生活を好む慈郎だったが自室の掃除だけはまめに行っていた。
無言のうちに部屋の掃除も必要がないから入るな、と示しているのだ。
そしてもう一つは、慈郎の母親が使っていた部屋だった。
かつて慈郎の母親はこの屋敷に住んでいた。
慈郎自身もずっと昔、生まれてから東京にある本邸に移り住むまでの七年ほどをこの屋敷で母親と過ごしている。
慈郎の兄は本妻との間に生まれた子。
だから本家に取られてしまった。
慈郎は妾出故にこの家に留まり、父の残した莫大な遺産だけを頼りに生活をしている。
そう、金は湯水の如く使える。
しかしその分、女関係にだらしがないのはこの家の呪われた血だろう。
曽祖父も祖父も父も兄も、沢山の女を囲い、騙し、泣かせる毎日だった。
そんな人間には絶対になるまいと、慈郎は固く心に誓っていた。
辛い思いをしていた母の背中を見て育ってきたから。
そして、数奇な命運に縛られている彼を見ているから。
眠りの中で見る夢も、懐かしい母のものから、いつしか繰り返し出てくるのは彼の事ばかりとなっていた。
夢はこの様な内容ではあるが、睡眠と食事を誰よりも愛している慈郎は殆ど学校には行っていない。
今は学校が夏季休暇であるから当然とばかりに毎日惰眠を貪っている。
この日も目覚めたのは、隣に住む馬鹿坊と侑士が話す声を敏く聞きつけて漸くの事。
深く色のある声に侑士の笑い声が重なるのを聞きつけた慈郎は慌てて飛び起きた。
慈郎の部屋は家の前を走る道沿いではなく、隣家側にある為その声が窓越しに聞こえてくるのだ。
昼も過ぎて太陽は屋敷の真上にある。
室内には殆ど陽射しは入らないが蒸し暑い空気は流れてくる。軽やかな笑い声と共に。
慈郎が腰ほどの高さにある窓に近付けば、目敏く先に見つけたのは侑士ではなく隣人だった。
隣家との境にある朝顔の垣根から、その人物の肩より上が出ている。
嫌でも慈郎の目に入ってきた。
「よう慈郎。今日も随分な寝坊だな」
「おはようさん」
侑士は窓に背を向けていた為仕方のない事だが、何故かそれだけの事に酷く苛々させられる。
隣人よりも先に、自らを見つけて欲しいなんて子供の様な事を考えている自分に。
「ほら、跡部君にお素麺もろてん。すぐに茹がいたげるからお昼にしよか」
茹だるような外気にも涼しげな浴衣姿の侑士が慈郎の立つ窓に近付く。
起きぬけでまだはっきりと意識がこの世にない事と、今は侑士よりも隣人への怒りの方が強かった為、慈郎はいつになく素直に頷いた。
それに嬉しそうに笑った侑士は、一旦隣人へと姿勢を正し、恐らくはもう何度目かと思われる礼を言った後台所へと続く勝手口へと消えていった。
その後姿を見届けると、それ以上はこの場に居たくないと慈郎は踵を返した。
「おいおい。睨むだけ睨んどいて挨拶はなしかよ」
人を小馬鹿にしているとしか思えないその口調に、慈郎は不本意ながらも振り返ってしまう。
このまま逃げるのも癪な気がするからだ。
「…んだよ」
昨晩、侑士の顔と比べて格段上だ、と思ってしまった美貌が目の前にある。
慈郎は心底嫌そうな瞳をそれに向けた。
朝顔屋敷の隣には、それと変わらない大きさの屋敷がもう一軒建っていた。
個人の邸宅として建てられた慈郎の家と決定的に違うのは、多くの書生が住む為の狭い部屋が沢山ある所だろう。
先刻侑士と楽しげに喋っていた男、跡部景吾。年は慈郎より一つ上でどこぞの財閥の御曹司らしい。
実家は東京にあるというのに、わざわざ京都の学校に通う愛息の為に家を建てるぐらいなのだから、相当の金持ちだ。
しかも容姿は端麗で高圧的な態度もそれに見合うもの。
彼は学生でありながら、多くの書生の住まいである家の主人である。
慈郎はある理由から酷くこの男を嫌っていたが、意外と人徳があり情に厚いというのが近所の評判なのだ。
東京からやってくる際、金銭的に余裕がなく自力で学校に通えない友人を何人も招いて書生として家に住まわせ、
自分の身の回りの世話をさせていた。
そして、奨学生として学校に通わせてやっているのだから近所の御婦人方の評判が良くならない筈が無い。
確かに高姿勢ではあるが、将来人の上に立つのならばこれぐらいの御仁でなければ、と囃し立てている。
侑士もその内の一人だった。
騙されている、と慈郎は思っていた。
この人を見下す態度の何処が人徳家なのだ、と。
「そう睨むなよ」
言葉を交わすのも忌々しい。
そう思い慈郎は今度こそその場を離れようとした。
「そんなに母親が大事か?あぁン?」
だが思わぬ一言に勢いよく振り返る。
鼻で笑い射抜くような視線を寄越す、この男は知っている。
侑士の正体も、ひた隠している慈郎の思いも。
慈郎は僅かに残っていた冷静さでその言葉を聞き流し、窓を閉め部屋を出た。
その足で居間に向かえば卓袱台にはすでに昼食の用意がされていた。
「あ…遅かったなぁ。また寝てしもたんか思たわ」
小さく笑い声を漏らしながらお櫃から白飯をよそう侑士を目に入れないように、俯き無造作に頭を掻きながら定位置につく。
窓を背にした場所がいつも慈郎の座る場所。
座布団に腰を下ろせば阿吽で出される茶碗に盛られた白飯。
それをぼんやりと眺めながら慈郎は先刻のやりとりを思い出した。
近所に住む主婦の多くは侑士よく思っていない。
線の細さはあるものの、身の丈は五尺六寸もあり、凡そ女性の柔とは程遠い侑士の事を、誰が慈郎の母親だと思うだろう。
恐らくは先代の遺産を目当てに慈郎に取り入る若道の服装倒錯者だと思っているに違いない。
実際慈郎もその通りだと思っている。
財産目当てに父親に近付き、色仕掛けで取り入りこの家に入り込んでいるのだと。
そうやって割り切る方が気が楽だったからだ。こんな異常な家の事を誰が言って信じるものか。
彼が周りにどう思われようが知った事ではない。
そう思い慈郎は誰にも言っていなかった。近所に流れる侑士に対する悪い噂も否定しなかった。
だが跡部は違った。
この家の、侑士が慈郎の母親である事を知っている。
否、それだけはない。
一体家の秘密をどこまで握られているのかは解らないがあの態度を見る限り、恐らくは相当の情報を握っているはずだ。
それも慈郎自身聞かされていない事も含めて。
そして知っていてあの様な好戦的な態度を示している。
慈郎が跡部を酷く嫌う理由はそこにあった。
ますます気に入らない、と慈郎は知らず知らずに舌打ちをしていた。
「あ…堪忍。慈郎さんは葱いらんかったなぁ」
自らの脳内にいた食えない男に放った筈の舌打ちは、侑士に小さな誤解を与えてしまった。
はっと我に返ればいつの間にか運ばれてきた素麺と涼しげな硝子の器に入ったつゆが目の前に置かれていて、
甲斐甲斐しくも侑士がそれに薬味を入れているところだった。
「うちまだ何も入れてへんからこれと替えるわな」
そう言って侑士は自分の器と慈郎の器を交換した。
そんな些細な気配りは母親そっくりだと、慈郎は常々感じていた。
侑士が慈郎にする行動の全ては、生前母親がそうしていたように慈郎を思ったものばかり。
「ほな今日も全ての命に感謝して。いただきます」
食事の前に唱えられるこの言葉も慈郎の母が食事前に必ずしていた事の一つだ。
そうした態度の節々が、慈郎に最後の手段を選ばせない理由かもしれない。
一年もの間、こうして一つ屋根の下で暮らせたという。
慈郎は無言で手を合わせると、箸を手に取り白飯を口に運び始めた。
食事は同じ時間に取るものの、会話はほとんどない。
時折侑士が言葉をかけることはあるが、慈郎からは相槌らしいお座なりな言葉が吐かれるだけだ。
「あぁそうや…昨日はおおきにな」
「は?」
礼を言われる様な事は何一つしていない。
昨日の自分の態度はそれは酷いものだったはずだと、突然の言葉に慈郎はぽかんと口を開けたまま動きを止めてしまう。
「上着。うっかり居眠りしてしもて……夏や言うても盆地の晩は冷えるからなぁ…」
礼を言わなければならないのは自分の方だ、それに謝らなければならないはずだと。
毎度の事ではあるが、どんなに酷い態度をとっても受け流してしまう彼への僅かな罪の意識が慈郎にあの行動を取らせたのだ。
それに対して礼を言われては立場が無い。
慈郎は喉から出そうになった言葉を、白飯と共に飲み込んだ。
結局それ以上何か言葉を交わす事はなく、昼食は終了してしまった。
食事が済めば次は昼寝の時間だ。
侑士は有り余る程の時間の大半を寝て過ごす慈郎を咎めるような真似はしない。
下手に刺激をしてこれ以上状況を悪化させてはならない。
さわらぬ神に祟りなし、と。
掃除や洗濯などは慈郎が自室で眠っている午前中に済ませているとはいえ、
侑士には日中しなければならない家事が山のようにあるのだ。
いつものように縁側で横になる慈郎の姿を見届け、侑士は休む間もなく昼食の後片付けを始めた。
土間に下りれば開け放たれた勝手口から雨のように降り注ぐ蝉の声。
さんさんと降り注ぐ太陽は辺りの空気を歪ませて見せる。
「…暑……」
侑士は洗い桶にたまった冷たい井戸水に手を浸し、僅かな涼を追った。
「…久々に癇癪聞いたな……」
蛇口から落ちる雫が水面に波紋を作る。
それで歪んでいるのではない。
昨日の出来事を思い出し、情けなく歪んでいるのは自らの顔だと侑士は苦笑した。
どれだけ歩み寄っても決して心を開いてもらえない。
ここ数日は癇癪を起こす慈郎を見ていなかった。
否、そこまで至るほどの会話もなかった。
要するに相手にされていないのだ。
仕方のない事だと割り切っていても、実際あからさまな態度を見てしまうとやはり精神的に堪える。
「…これ以上嫌われるんはキツいなぁ………」
「何にですか?」
蝉の声に混じり聞こえてきた突然の人の声に、侑士は飛び上がり驚いた。
「何や…滝君かいな…あー吃驚した」
「あ、ごめんなさい…一応入る前に声かけたんですけど聞こえなかったみたいなんで」
「ええんよ。ぼーっとしとったこっちも悪いんやし」
侑士は浸していた手を前掛けで拭くと、勝手口から入ってきた少年に体を向けなおした。
滝は跡部の家で下宿している書生のうちの一人だ。
頬の横で綺麗に切りそろえられた髪型、いつも上品な仕立てのシャツを着ていて、
醸し出す雰囲気は跡部の出す威圧的なものではなく、至って柔和だがどこか凛としている。
恐らくは結構なお家柄の子息なのだろう。
しかしそんなものは跡部の家では関係ないとばかりに言付けなど、家主の命令でよくこの勝手口から姿を現す。
いつもならば戸口から声をかけた時に気付くのだが、蝉の声にかき消された声は上の空の侑士の耳に届かなかった。
「これ、さっき渡し忘れたからって預かってきたんです」
「うわぁ…こんなにようさん…もろてええんかな?」
滝が差し出してきたのはザルいっぱいに盛られたトマト。
今が盛りの野菜の差し入れを、侑士は遠慮がちに受け取った。
「貰ってもらわないと困るんですって…僕ら毎日これを食べさせられるんですから…」
うんざり、といった様子で盛大に溜息を漏らす滝に、侑士は小さく声に出して笑った。
跡部はこの辺りでは名士。
当然の様に連日何かしらの差し入れをもらうのだという。
書生を総動員しても捌ききれない量はこうしていつもお裾分けとして貰っているのだ。
昼食前に貰った素麺もそれに漏れない。
「ほんまおおきに。いつも助かるわぁ…跡部君にもよぉ礼言うといてな?」
「…それよりさっきの独り言……また慈郎ですか?」
「………うん…」
滝は慈郎と同級で、跡部と違い比較的親しく付き合っている。
慈郎が何か問題を起こすと間に入り、侑士の悩みを聞く事が茶飯となっていた。
「けどうちも悪かったし…お相子やわ」
いつも侑士は慈郎を庇う。
自分に非が無い事に対しても絶対にそれは譲らない。
そんな不器用な態度が余計に慈郎を刺激しているのに、と滝は溜息を吐いた。
「まぁ…あいつのはただの子供の我侭ですから気にしない事ですよ。一時が過ぎれば反抗期も終わりますから」
「そやね…」
滝は得意の蟲惑な笑みで侑士を励まし、また勝手口から帰っていった。
「…反抗期…か……」
再び一人に戻った侑士はぽつりと先程滝に言われた言葉を口の中で反芻した。
それならば時が経てば解決してくれるのだろうか、と。
「あかん…暗なってしもた……落ち込んでてもしゃぁないやん…」
自分にそう言い聞かせ、滝から渡されたトマトを流しの横に置くと、食器洗いを再開した。