雪中花

連戦が続いた後、他の者と力の差が付いてしまった為足並みを揃えるべくしばらく戦さに駆り出される事も遠征もなく、時折内番の指名を受ける以外特にすることのない太郎太刀は、主に直訴し庭の世話に励んでいた。
広大な本丸の庭には手入れの届かない場所も多いのだが、現世に疎い刀剣達では庭師のなり手も少ない。
だから太郎太刀は主に教えを請い、率先して伸び放題となっている庭の木の剪定をしたり、寒肥を与えたりしていた。
今日も梅が咲く前に、少し枝を整えておいてくれと主に頼まれ、本丸の外に出て田畑の並ぶ二の郭へと渡り、その畑からも少し離れた梅林にやってきていた。
いつもの本丸の庭仕事ならば戯れに手伝い役をかって出てくれる短刀達も、皆寒いからと炬燵で丸くなっている。
かといって疲れているであろう戦さや遠征帰りの者や年寄りをこの寒空の下へ出すわけにもいかない。
本丸を離れ二の郭から三の郭へと渡って続く広大な外庭を一人で歩くのは危ないからと主から禁じられていたが、仕方ない。
太郎太刀は誰にも声を掛ける事なく母屋を後にした。
途中にある本丸と二の郭の間の堀には薄氷が張り、まだ冷えるのだろうかと空を見上げる。
雲は出ているが嫌な色ではない。
今日は雪も降らないだろう。
だがこの季節の天気は大変に気まぐれなようで、晴れていても唐突に雷が鳴り始めたり、雨や雪が降り始めたりという事はままある。
急ぐに越したことはないかと梅林へと向かう足を速めた。
広い庭園の一角にある小さな梅林ではあるが、それでもかなりの本数の梅の木が植わっていて、これは骨が折れそうだと思いながら鋏を入れ始める。
そういえばこの木は実をつける種類だと主が言っていた。
初夏になれば皆で収穫しよう、と。
どのような味の実なのだろう、甘いのだろうか、苦いのか、それとも酸いのだろうかと想像しつつ、健やかであれと祈りながら作業を進めていった。

* * *

初めての地域へと出陣した事で軽傷を負い、手入れをしてもらった後部屋で寛いでいる蜻蛉切の元へ珍しい来客があった。
「蜻蛉切ーいる?」
「蛍丸殿。如何された?」
回り廊下の障子に映る影は小さく、声も小さい。
何か火急の様子に心がざわめき、蜻蛉切は疲れも忘れ急ぎ障子を開いた。
「太郎太刀知らない?さっきから見当たらないんだけど」
「太郎太刀殿?いや、存ぜぬが……もしや何か?!」
「違う違う。庭掃除させてるって主に聞いたんだけど、見えるとこにいないからさーもしかしたらもう中に入ってるのかなーって思ったの」
「そうか……いや、自分のところへは……」
「うーん……もうすぐ次郎太刀が遠征から戻るから、姿がないとまた五月蝿いと思って先に探しとこうかなあって思ってたけど」
いないんならいいや、と軽い調子で礼を言い、蛍丸は隣の家屋へと消えていった。
本人に特に用があるわけでなく、次郎太刀の為に探していたのかと思う。
だが彼の探す範囲にいないとなれば、この広い庭のどこかに出ているのかもしれない。
家屋内にいれば誰かしらの目に触れるだろうし、自室はすでに蛍丸が見ているはずだ。
よもや迷子になどなってはいないだろうが、風向きも怪しくなってきている。
何よりこの寒さの中、また一人佇んているともなれば今度こそ調子を悪くするかもしれない。
蜻蛉切は慌てて部屋に戻り草履を手にすると庭に飛び出した。
どこを探したかと具体的には言っていなかったが、蛍丸のあの様子からして庭へ降りて方々探し回ったようには思えない。
ならば二の郭の畑か、庭の外れの木々が生い茂る方かもしれない。
内番ではないから三の郭の厩ではないだろう。
とにかく思いつく限りを探そうと辺りを見渡しながら駆け出した。
やがて視界から母屋が消え、堀を越えて二の郭に入り、庭園にある東屋が消え、その隣にある池に差し掛かるといつもと違う風景が目に入った。
「池に薄氷が……」
昨晩の寒さで池の表面は凍りつき、水面は綺麗な鏡のようになっていた。
だがその端には割れ目があり、それは明らかに人の手により出来たものに見える。
急ぎその場に近付くと、いつも太郎太刀が手にしていた大ぬさが池のほとりに落ちていた。
「太郎太刀殿……まさかーーーまさか?!」
この寒さの中氷の中に落ちたのだろうかと、完全に頭の中は真っ白となり、冷静さを失った蜻蛉切は水面に向け声の限り叫んだ。
「たっ太郎太刀殿っ……太郎太刀殿ー!!」
「如何されましたか?」
「いや、太郎太刀殿がっ……!!」
「私が……どうかしたのですか?」
頭の混乱していた蜻蛉切はその声がすぐに誰のものであるかを理解出来なかった。
「え?」
「え?」
一拍の後、間抜けな声を上げ振り返ると、そこには当人が首を傾げて立っていた。
「たっ、太郎太刀殿……!!よくぞご無事で!!」
「……私が、何か?」
状況を全く理解出来ていないのはお互い様だった。
肩を掴み太郎太刀の全身を舐め回すように見て無事を確認する蜻蛉切と、その行動に目を白黒させ太郎太刀はされるがままだ。
ようやく無事を確認出来た蜻蛉切は大きく安堵の息を吐き、太郎太刀に笑みを向けた。
「よかった……池に落ちたのではと心配していたのです」
「ああ……あれは、どれほどの厚さに凍ったのだろうかと思い手近な大ぬさで叩いたらあのように。私が落ちたのであれば、あの程度の穴では済みません」
「そ、それもそうだ……いやはや、早合点してしまい面目無い。恥ずかしい限りでございます」
「いえ、主の言いつけを守らず一人で庭に出た私に非があります。また貴方のお手を煩わせてしまったようだ」
しばらく互いに互いの非を謝り合っていたが、きりがないやり取りが可笑しくなり、蜻蛉切の口から思わず笑いが漏れた。
何に笑われたのか理解出来ないようで太郎太刀は不思議そうな顔をしている。
「いや、失礼した。して、太郎太刀殿はこのようなところで何をされていたのでしょう」
「主の命で梅の剪定を」
「言って下されば手をお貸ししましたぞ。遠慮は無用、次の機には必ず自分に声を掛けて下され」
このように一人出歩かせるなど主にも心配を掛けてしまうと言えば、渋々ながらに太郎太刀は頷いてくれた。
「では、本丸へ戻りましょう」
いつの間にか風向きが変わり、遠くでは雷鳴がして雲行きも次第に怪しくなってきている。
今に雪が降り出すだろうと、太郎太刀が持ってきていた道具かごを肩に掛けると遠くに見える本丸に向け歩き始めた。
だが行動を起こすよりも先に空の機嫌は悪くなり、あっという間に視界が白に奪われた。
「太郎太刀殿!大事ござらぬか?」
「は、私は問題なく」
そうは言ったが一寸先も見えないほど風に雪が舞っている。
手で探り、太郎太刀の腕を掴むと一先ず目の前に差し掛かっていた東屋に飛び込んだ。
「ふう……酷い天気になりましたな」
「本当に。先刻までは穏やかだったのに」
「急に変わった天気なのでまたすぐに晴れるでしょう」
それまでここで雪を避けようとは言ったが、あまりに酷い風に、屋根を無視した雪が降り込んでしまっている。
早く天気が回復しないだろうかと落ち着かない蜻蛉切とは対照的に、太郎太刀は凪いだ様子で吹雪の中をぼんやりと眺めていた。
「太郎太刀殿。何か見えましょうか?」
「いえ、雪が降っているな、と思いまして」
しんしんと静かに降る雪ならば見ものであろうが、視界いっぱいに広がるのは猛吹雪だ。こんなものを眺めて何か楽しいのだろうかと首を傾げる。
しばらく言葉もなく二人並んで真っ白な世界を眺めた。
風の切れる音がする以外、時折身動ぎする太郎太刀の衣擦れの音以外に耳に届かない。
広いはずの本丸から孤立し、二人きりになったような、ある種の静寂に包まれていた。
ここからそう遠くない母屋にはいつも沢山の刀剣達や主がいて、普段ならば絶対に味わう事のない静けさだった。
「静かですな……」
蜻蛉切は己を見上げる太郎太刀の瞳が不思議そうな色に変わるのを見て、慌てて弁明にかかる。
「あ、いや、そうではなく!その……この本丸にて誰の声もないというのは、珍しいと思い……」
「ええ、この世で私達二人だけのようです」
夢想的な言い回しに思わず心が揺り動く。
太郎太刀は深く考えずに言っているようだから意識しすぎる方が可笑しいのだ。
だがどうにも先日から心のざわめきが折に触れ復活している。
太郎太刀の事は心から信頼できる仲間と思っているのだが、まだ深層では目に見えない懸念が根付いているのだろうかと落ち込んだ。
「蜻蛉切殿のお側にあってよかった。一人ではきっと心許なく今頃池のほとりで窮していた事でしょう」
「それは何より。探しに参った甲斐があったというもの」
太郎太刀からこうして全幅の信頼を得ているというのに何を不安に思う事があるのだと、蜻蛉切は己の中の己へ何度も言い聞かせる。
そうしているうちに、先の言葉通り雪はあっという間に上がり、雲間から僅かに光が射し始めた。
「戻りましょう」
地面に置いていた道具かごを肩に掛け、本丸へ向け歩き始める蜻蛉切とは逆の方へと向かおうとする太郎太刀を慌てて止める。
「太郎太刀殿!何処へ?!」
「何やら良い香りが……これは何の花でしょうか」
言われるまで気付けなかったが、太郎太刀の言う通り、どこからかほんのりと甘い香りがする。
冷えた空気に混じる僅かな変化を嗅ぎ取ったのかと感心しつつ辺りを見渡すと、池のほとりにある僅かな隙間地に花が植えられているのを見つけた。
「ああ、きっとあの匂いでしょう」
小さな白いその姿は、草木に精通していない蜻蛉切にも分かるものだった。
「まさに雪中花、ですな」
「雪中花?」
「この水仙の事です。花の少ないこの季節に咲く数少ないものの一つである水仙はそう呼ばれていると、主が教えてくれたのです」
先程の吹雪により、薄っすらと雪に彩られた庭に咲く様はまさに名の如くだった。
花をよく見ようと近付き、花の横でしゃがみ込む太郎太刀を慌てて制止する。
「危のうございます太郎太刀殿!」
「落ちたりなどしませんよ」
子供ではないのだと言っているが、先刻の池に落ちたのではとひやりとさせられた感覚の残る蜻蛉切には苦い光景に映った。
だが次第に気持ちも落ち着き、その光景に目を奪われるようになる。
雪の中楚々と咲く水仙は太郎太刀の凛とした様によく映えた。
その光景をいつまでも見ていたかった蜻蛉切は道具かごの中から鋏を出すと、花と蕾の付いた茎を一つ切った。
「お気に召したのであらば、これを部屋の花生けに。一輪だけなれば、主もお許しになるでしょう」
「そうですね……ありがとうございます」
「さあ、戻りましょう。次郎太刀殿もご帰還なさっている頃です」
よほど気に入ったのか、太郎太刀は本丸に戻るまでその水仙から目を離さず、覚束ない足元に肝を冷やした蜻蛉切は花を持たない方の手を握った。
「危のうございます故」
「は……これは申し訳ない。先刻童ではないと己が口で言ったばかりだというのに」
雪に冷えた白い頬を赤く染め、恥じ入るよう俯く太郎太刀に気にしないようにと首を振った。
「何、構いませぬ。これからも貴方の良きよう計らいましょうぞ」
「いやしかし……それでは貴方に迷惑の掛け通しとなります」
「それぞ我が本望。目の届かぬ場で貴方に何かあればと思う心の比ではありませぬ」
ただ太郎太刀の身を案じているだけで、断じて童扱いをしているわけではないが、太郎太刀には誤解をさせてしまったようだった。
私はそれ程頼りないのでしょうか、と言われ慌てて太郎太刀と向き合い弁明する。
「ち、違います!その、太郎太刀殿を大事に思うあまりについ過剰に庇護するような事を……本当に失礼いたした。だが決して他意はござらぬ。信じてくだされ」
「貴方がそう仰るのであれば……」
視線を落とし、目を伏せ気味にして恥ずかしげにする姿の稚さに、ますます蜻蛉切の庇護欲が加増して行く。
本丸に戻るまでこの手は決して離すまいと太郎太刀の手を握り直し、本丸へと歩き始めた。


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