花御殿

そこは花の絶えない場所だった。
雅を好む主が治める場に相応しい本丸は、花御殿と呼ばれていた。
その力を以って、真っ先に呼び寄せたのが歌仙兼定というのも頷ける。
なるほど、己がなかなか呼ばれなかったのも納得だと蜻蛉切は思っていた。
雅を解さず、程遠く、誇り高き武人としてのみ生きていた元の主の側にいた己はとてもこの花御殿に相応からぬ、と。
そんな雅やかな本丸でも全く違和感なく溶け込み、だが一際目を惹くその姿を見つけ遠くより眺めた。
何と美しい姿であろうか。
本人は大振りである事を気にしているようだが、そんなものは些事だ。
むしろその美しい様を、より多く感じられるとなれば少し割の良さすら覚える。
内番もそこそこに、縁側に佇む太郎太刀をぼんやりと眺めていると、不意に袂を引く感触がした。
「そんなに気になるなら、声掛けたら?」
声の主は蜻蛉切の半分程に思えるほど小さな上背だが、身も心も誰よりも強く逞しい蛍丸だった。
主の命で一緒に土弄りをしていたのをすっかりと忘れて見入ってしまっていたことを恥じ、慌てて鋤を握り直す。
「否、今はお役目のさなか故……」
この本丸へとやってきた日、少し挨拶を交わして以来太郎太刀と言葉を交わす機会はなかった。
いつも一緒にいる弟である次郎太刀や、隣で不服そうな顔をしている蛍丸、今は遠征に出ている石切丸といった大太刀らと共に過ごしている姿を見かけるだけに止まっている。
現世に呼ばれてから経った日にちの差も大きい。
蜻蛉切はまだ日が浅く、人がたとして慣れない戦さ場に出たとしてもさしたる戦力にはなれない。
一方、早くより主に呼ばれ、その能力の高さと雅やかな姿を気に入られて幾度となく戦さに出ている太郎太刀はすでに主戦力として活躍していた。
共に戦さ場を駆けられれば少しは彼に近付く事も叶うのだろうか、かつてのように。
そこまで考え、無意識に頭を振る。
「否……あの方は記憶が……」
互いにかつての主に仕えていた頃、一度だけ相対した事があった。
勝負はつかなかったが、あれほどまでに高揚した記憶はその後の天下分け目の決戦でも味わえなかった。
その思いを胸にここへやってきた蜻蛉切と違い、太郎太刀は長らく神社に奉納されていた為か記憶が曖昧になっていた。
あの思い出までもが消え去ってしまったのかと寂しい反面、あの悪夢のような戦さが彼の中に残っていなかったのは幸いと言うべきかとも思えた。
「だから、声掛ければ?気になるんでしょ?太郎太刀が」
「えっ?!いや!!なんっ……き、気になるなど……」
また手を止めて視線を太郎太刀に釘付けにしている蜻蛉切に、呆れた声が届く。
遥か下にある蛍丸の表情は伺えず、ただオロオロと言葉を探してしまった。
その答えが出るよりも先に蛍丸は太郎太刀にも分かるほど大きな動きで手を振り始めた。
「ほっ、蛍丸殿っ!!」
「今のうちに話し掛けなきゃ、もうすぐ五月蝿いのが帰って来るけどいいの?」
そういえば常時べったりと張り付いている次郎太刀を朝から見かけないと思っていたが、どうやら石切丸と共に遠征に出ているらしい。
蛍丸の言う通り、彼らが帰ってくれば話しかける機会はまた遠ざかってしまうだろう。
しかし、何の心の準備もせず話し掛けるなど不可能だと慌てて蛍丸から離れ、別の場所を耕し始める。
蛍丸の大きな手振りは太郎太刀にも見えていたようで、踏石に置かれた草履を履いて近付いてくるのが視界に入った。
慌てて背を向け、鋤を使い地面に穴を掘っていく。
そのざくざくと小気味良い音に混じり、太郎太刀の声が聞こえる。
「何用でしょう?蛍丸」
「暇ならちょっと手伝ってよ。俺じゃ背が届かないから」
「なんっ……!た、太郎太刀殿は非番であろう!手が必要ならば自分がいたしましょう!何でもお申し付けあれ蛍丸殿!」
聞こえてくる会話に割って入り、必死の形相で蛍丸に詰め寄る蜻蛉切の姿に、太郎太刀は少し驚いたような表情を見せた。
あまり喜怒哀楽を顔に出さない質の彼にしては珍しい事だ。
普段見慣れないその表情に見惚れ、顔が真っ赤に熟れようとするのを堪えきれなかった。
「だーかーら。心配しなくても蜻蛉切は人数に入ってるから。太郎太刀は俺の代わり」
「なんっ……え?」
「じゃ、俺はあっちの畑で作業してるから終わったら言ってねー」
鍬を手にした蛍丸は蜻蛉切の制止など耳に入らない様子で隣の畑を耕し始める。
残された蜻蛉切は、どうしたものかと頭を抱えた。
殆ど言葉を交わした事のない者と、それも太郎太刀と二人きりにされてしまい途方に暮れる。
「何を手伝えば良いのでしょう?私でお役に立てればよいのだが」
「今よりこの藤棚の修繕をする予定ではあるが……」
「なるほど。蛍丸より私が適任だ」
長身の二人よりまだ少し高い藤棚を見上げ、太郎太刀の表情が少し緩む。
もう少し動けば笑みとなるだろうかと見つめていたが、それよりも先に不躾な視線に気付いた太郎太刀の視線と交わってしまった。
酷く心地悪く、騒めく心に耐えきれなくなった蜻蛉切は目を逸らしながら足元に置いた道具を手に取る。
「否、やはり非番の貴方の手を煩わせるわけにはまいらぬ」
「我ら二人でやれば捗りましょう。暫しお待ちを。着替えてまいります」
「た、太郎太刀殿っ!」
制止する声を聞くよりも先に太郎太刀の背中は屋敷の中へと消えてしまった。
一体何故このような事になってしまったのかと頭の中をぐるぐると駆け巡る。
ふと視線を上げれば、その元凶とも言うべき蛍丸が鍬に手を掛けじっと蜻蛉切を見ていた。
その表情は特に何かを企んでいる様子もなく、本当に他意なく太郎太刀に手伝いを頼んだように思える。
考えすぎだったかと、太郎太刀が来るまで用具の支度を整えた。
新たに組み替える棚に使う竹を切っていると、真っ白な作業着姿の太郎太刀が現れた。
普段の凛々しい戦姿も良いが、これもまた美しいと眼福に預かる。
「蜻蛉切殿?何か?」
「いえ、太郎太刀殿は何を着てもお似合いであると感心していたのです。自分は無骨故、戦姿の他は見映えいたしませぬ」
蜻蛉切の声に少し憂いを帯びた顔となってしまったが、すぐにはにかんだ笑みが返ってくる。
「刀なれば、それが一番ではないですか」
初めて見る表情に、落ち着いたはずの心が再びざわめき始め、身の置き所に困った蜻蛉切は話を逸らせるように竹を組み始める。
「は、早に終わらせねば日が暮れてしまいますな!!」
それから特に会話もなく黙々と作業に徹し、太郎太刀の手伝いがあったおかげで随分早くに全てを終えられた。
「ありがとうございました太郎太刀殿。おかげでこのように立派な藤棚を組む事が出来ました」
「お役に立てて何よりです」
「春が楽しみですな。きっとここ一面に藤色の空が広がることでしょう」
「藤色の……空」
藤棚の下に座り込み、そこに広げた道具を片付けていた蜻蛉切の言葉に太郎太刀が顔を上げ、まだ葉も付いていない梢を見つめる。
「藤とは……どのような花なのでしょうか」
「太郎太刀殿は藤をご存知ないのか。春が来ればこの枝に葉がつき、棚の隙間より零れ落ちる花は実に見事ですぞ。香りも実に良いもの故、ここ一帯が甘い香りとなりましょうぞ」
「きっと美しい光景なのでしょう……早く見たいものです」
「これほど大きな棚であれば、ここに薄縁を敷き花見をするのも悪くない」
「ええ、楽しみにしています」
片付けを終え、納屋に道具をしまい終えるといつの間にか畑から蛍丸が戻ってきていた。
「どう?話せた?」
「話せた、とは?」
「太郎太刀と。どんな話したの?」
少し心配そうに見える蛍丸を安心させるよう、蜻蛉切は努めて強く言った。
「太郎太刀殿は素晴らしいお方であった。顔を見る度心が騒めく故、何やら不穏なものを感じていたが、なんの。自分の思い違いに過ぎぬ。太郎太刀殿の品格も人格もその美しさも、どれもが素晴らしい。己の勘働きなど、あてにならぬものですな!」
そう言い切る蜻蛉切を見上げる蛍丸は、いつになく間の抜けた顔をしている。
不思議に思い何かあったのかと尋ねるが、蛍丸は何でもないと肩を竦めた。
「……あれで自覚ないって……怖いや、ほんと」
「蛍丸殿?如何された?」
「何でもなーい」
手にしていた鍬を蜻蛉切に押し付け、踵を返し足早に屋敷に戻る蛍丸を不思議に思いながらも、蜻蛉切は先の約束を思い出し、ひとりでに緩む顔を慌てて引き締めた。

うちの本丸設定は屋敷でなく城。
山城跡って設定ですが大津城に近い感じを想像してもらえると
本丸から三の丸までの立地が解りやすいかと。
本丸の母屋は主に生活空間で刀剣達の私室は離れにあります。
ちなみに個室で全員に8畳程度の部屋をあてがってるけど
粟田口兄弟などは二人部屋にして片方を物置にしたりなどその辺は自由。
審神者は別宅住まいなので本丸は担任のいない休み時間の教室状態で、
皆基本好き放題に過ごしてますよ。
二の廓は畑と庭園と東屋+数寄屋、三の廓は厩や鶏舎、
無人の長屋群や道場などがありますがそちらはほとんど使う事がないです。単なる山城時代の名残。

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