櫻華・繚乱
一人には慣れたなんて、そんなの嘘に決まってるじゃないか。
だから早く帰ってきてください。
「おーい深司ーっっ!!」
「遅いよアキラ……」
怒りを含んだ深司の返答に息を切らせながらアキラは必死に手を合わせて謝った。
「悪ぃ悪ぃ!仕事なかなか終わらせてくれなくってよ」
「お前がちんたらしてるからなんじゃないの?まったくいつもいつも手際も段取りも悪いしさぁ…」
「だーから悪かったって言ってんじゃねぇか。ほら行こうぜ。今日は俺の奢りだからよ」
「待たせておいてまでお金払わせようって思ってたわけ?どんな神経してんのアキラ」
「あーあーあー解ったから!ぼやくなよ!」
大陸中心にある大国を巡って繰り広げられた戦いは帝國軍の勝利をもって終焉を迎えた。
敗戦を予期していた帝國は歓喜に沸いた。
遠征に出向いた軍人たちは次々と帰路につき、懐かしい土地で懐かしい顔ぶれとの再会を果たしていた。
しかし、その中に深司が待ち望む人の姿はなかった。
上層部の後始末が残っているからだと、深司と親しい友人であるアキラは言う。
だが不安は拭い去れるものではない。
出兵してからというもの、一度も連絡がなかった。
アキラの父親は軍幹部の人間だったため軍内部の情報は一般市民よりも殊細かく入る。
戦局状況からどの部隊がどこにいるかまであらゆる情報を手に入れることができた。
しかし、その中に橘の名前はなかった。
どれだけの不安が深司を浸食しているか、アキラには痛い程に分かっていた。
あまり表情には出さない上、こんな風に憎まれ口は叩いているが、本当は淋しいのだ。
だから少しでも元気づけようと、街へ出かけようと嫌がる深司を無理に連れ出したのだった。
市街地に続く國道を少し外れた桜並木を肩を並べて歩いた。
橘を待つと決めてから刻を越え、季節は春を迎えていた。
どこまでも続く桃色の銀河。
見上げる二人の肌に彩りを添える。
「………綺麗…」
頭上にそびえる木々を見上げ、深司は感嘆のため息を漏らした。
「お前が家に篭りっぱなしだったから満開の時期過ぎちまったじゃねぇかよーもう散りかけじゃん」
春の嵐が薄紅色の花びらをさらい、辛い冬を越え芽吹いた新緑に一層映えてた。
「……ありがと、アキラ」
「は?え?!何だよいきなり!!」
珍しい深司の素直な言葉に些かの薄気味悪さを感じ、アキラは思わず身を引いた。
「何その反応。折角人がお礼いってるのにさ……」
「いや…いきなりだったからびっくりしただけだって!」
「俺…アキラに感謝してるんだ。橘さんいなくなってから…泣いてばっかいらんないって思えたのお前のお陰だから」
「そうなのか?」
「そんな情けない姿見せたらお前絶対ここぞとばかりに馬鹿にするだろうし」
「しねぇって!!」
「解んないよそんなの。絶対鬼の首取ったみたいに言うよ。絶対」
「まぁ…あんま弱気な態度だったら……言ってたかもな」
「だからありがと」
そう言うと深司は照れ隠しに顔を背けた。
見上げた空は薄紅の銀河。
透き通る蒼い空。
この花が咲くたび、君を思い出すだろう。
初めて君と出逢った季節にも この花が咲き乱れていましたね。
この桜を見る度思い出す。
幼い頃の淡い記憶。
どうしても桜が一枝欲しいとせがむ君があまりにも愛しくて、
駄目だと分かりながらも木に登りキレイに咲いた枝を折ってしまい、
後で親父や君の母君にひどく叱られましたね。
ほら見てごらん。
次の季節はもうそこまで来ているよ。
でもこの季節が過ぎ去る前に、君に会いに行きましょう。
この薄紅の風が季節をさらう前に。
「ずるいよなぁ…せこいよなぁ……アキラのやつのが大きいじゃん」
「うるせぇ!俺の奢りなんだからいいだろ別に!!」
桜並木の脇に出ていた露店で焼菓子を買った二人は他愛もない喧嘩をしていた。
風に揺らされ桜たちもその様子に笑っているようだ。
こんな時は嫌でも感じてしまう。
隣にいるのが貴方だったら、と。
雪の季節を一人で過ごすにはあまりにも寒かった。
凍えて一人にくじけそうだった。
けれど俺は約束したから。
誰に向けてでもなく、自分自身に。
貴方が帰るその日まで待っていると。
貴方をおかえりなさいと迎えると。
眩暈を覚える程の桃色銀河は幻影さえも映し出す。
だってほら、この道の彼方に貴方が見える。
そこにいるはずのない、貴方が。
「―――……橘さん?」
「え?」
「ごめんアキラ……今日の予定、全部中止………」
いきなりの深司の言葉にわけがわからない様子のアキラだったが、呆然と見つめるその視線を辿った。
そしてその意味を汲み取ると黙ってその場を後にした。
大事に握っていた焼菓子をその場に落とし、深司は一目散に桜並木を駆け抜けた。
あの日貴方をさらった白い闇は、再びあなたを連れて帰ってきた。
「深司。ただいま帰りました」
深司の記憶にいる橘よりも何倍もたくましくなった橘が、姿勢を正し額に手をかざして立っている。
深司は両手を広げて一番の笑顔を向けた。
約束の言葉と共に。
「おかえりなさい」