雪華・繚乱

この雪原に咲く花は、きっと
あの日見た、真っ赤な花。












「少尉!そんな所にいては風邪を引かれますよ」
「あ…あぁ…悪い…考え事してた…」
窓辺にもたれ、ぼんやりと外の景色を眺めていた。
後ろからする怒声に振り返ると部下の石田が怪訝そうな顔をして睨みつけている。
そんな彼の様子に苦笑いを漏らし、机に戻ると山積みになった書類に再び目を通し始めた。
「橘さん…最近多いですよ、ぼんやりしてる事が。何か気になることでも?」
「いや…ちょっと郷の事が気になってな」
「……想う方でもいらっしゃるのですか?」
何も答えられなかった。







帝都は今年も雪景色を見られないのだろうか。








大陸の冬は厳しい。
どこまでも続く雪景色を眺めていても、想うのは君の笑顔ばかりでした。










「兄様ーっ!!」





"深司?"





「見てください!ほらっ」





"雪うさぎ?"





「珍しいでしょう?帝都に雪が積もるなんて」





"雪?どうりで冷えると思った…"





「何爺むさい事言ってるんですか。折角なんですから遊びましょう」





"いいよ。何して遊ぼうか?"





「この間アキラと駆けっこ勝負して負けたんで、あいつ呼んで雪合戦で復讐します。
それから……まだ誰も歩いていない雪原に……足跡をつけたいです」







あなたと二人で













いつの間にか机に伏したまま眠ってしまっていたのか、肩には毛布がかけられている。
おそらく気を使って退室した石田の仕業だろう。
本人はいない為、心の中で感謝しつつ窓へと近付いた。
まっさらな新雪が音もなくしんしんと降り積もっている。






君の生まれ故郷も雪の國だと言っていましたね。
それはまだ赤ん坊の頃にしかない記憶。
けれど温かい母の背中に背負われて見た雪景色はまだ記憶の片隅にあるのだと話してくれましたね。






『見たい……また見たいです………降り積もったばかりの真っ白な雪…』




ふと頭を過ぎる記憶の中の深司の言葉に自然と笑みが零れた。
あれはまだ幼い頃の冬。
比較的温暖な帝都では時々小雪がちらつく程度で積もるほどの雪なんて何年かに一度しか見られなかった。
だから深司のその願いを叶える為に、二人でこっそりと屋敷を抜け出したのだ。
しかし子供の足では到底帝都から雪國まで歩けるはずもなく、二人の大冒険は雪を見ずして終わってしまった。
その後、厳しい仕置きを受けた深司とはしばらく会わせてはもらえなかった。
何日も何日も会えない日々が続いた。
淋しくて淋しくて仕方なかった。
傍らにはいつも深司がいたから。
涼しげな顔をしていたとしても、本当は淋しがり屋の深司だから。
ずっとずっと側にいたから。

でも本当に誰かを求めていたのは俺の方だった。











窓を開けると冷気が部屋を駆け巡る。
自然と縮まる身を窓の外へと無理矢理進ませる。




しんしんと降りしきる雪。
どこまでも続く雪原。
ほらここには君の望んだ景色があるよ。




でも
それを望んでいたはずの君はいない。








真っ白な雪の中を一歩、また一歩と足を進めていく。
骨の髄まで凍らせてしまいそうな北風も。
体の隅々まで流れる温かい血をも凍らせてしまいそうな雪も。
冷たいとは感じない。
ただ君の存在を求めているこの心だけが、冷たくて痛くて、切ない。




官舎から随分遠くまで歩いてきたらしい、視界を遮る白い妖精の彼方に見えている。
そういえばあの地獄のような数日。
深司に逢えなかった数日後。
帝都は珍しく朝から雪化粧だった。
謹慎が解けた深司は真っ先に逢いにきてくれた。

その時交わした約束を、まだ覚えていてくれているだろうか。








「結局見れませんでしたね、雪。こんなどころの雪じゃないんです。
もっと…目の前が全部真っ白になって、自分の吐く息とかも全部全部真っ白で…
自分も消えてなくなりそうなぐらい綺麗なんです」
雪ウサギを作るのだと積もった雪を掻き集める深司の指が真っ赤になっている。
それを包み込むように握ってやる。
「あったかい……」
そして向けられる笑顔に、自然と出てきた約束。
「大人になったら…一緒に見に行こうか」




今はまだ子供だから。
早く大きくなって一緒に見ようよ。
君の言う、惨酷なほど綺麗な雪景色を。












「お前の言ってた景色って…こんなのかな………」
広い雪原の真ん中で両手を広げて仰向けになって寝転がった。
鉛色の空からは真っ白な雪が螺旋を描きながら舞い降りてくる。

落ちては消え、落ちては消え。






本当にこの白に溶け込んでしまいそうだ。
その向こう側に見えるのは、やはり君の笑顔だけ。

君は今何をしていますか?

淋しがり屋の君は、もう俺の事など忘れて違う誰かを想っていますか?

でも必ず帰るから。

もしも君が俺を忘れず待っていてくれたなら






「こんな雪景色…一緒に見ようか」




遠い春を待ちわびる大地の鼓動が、自ら刻む鼓動と呼応する。


このまま溶けて雪になれば
また空に舞い上がって、風に乗って今すぐ君に逢えるだろうか?






胸の上でかじかむ手を組み、静かに目を閉じた。






落ちては消え、落ちては消え。
君を想い頬を流れる温かい涙は、雪に凍ることなく風に消えてゆく。






思い描く君の姿は、真っ白な雪原に咲く、真っ赤な花。


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