サイン/サイレン/サイレント5
Side;Yuji Hitouji
俺らのルールの中の一つに、『光ノート』という物がある。
看護師やっとる光の義姉ちゃんが考案したもんなんやけど、どうしても自分の腹の中を見せたがれへん光の心を動かす切り札。
このノートには絶対嘘を書かない。
拒否権はあるけど黙秘権はない。
これを出したら全部洗いざらいに気持ちを書き出す事。
それが光ノートや。
久々にこいつを出動させる事になりそうや。
物凄いスピードで、あのアホ…いやいや、謙也と張るぐらいのスピードで駆け抜ける光を追いかけながらそんな事を思った。
「光」
廊下を一人ふわふわ歩いとる背中に声かけると、立ち止まって振り返る。
んな面倒臭そうな顔すんなよ、ってぐらいに不機嫌な表情向けられた。
昔は可愛かったのになあ。
蔵と遊ぶようなってこいつ絶対性格悪なったわ。
けど立ち止まって俺が追いつくんを待ってくれてる。
「どないしたんや。帰ったんちゃうんか?お前も忘れもんしたんか?」
うん、って頷いてから教室に向けて歩き出す。
先に部室戻ろうか思たけど、小春はもう帰ってしもてておもんないし光について行く事にした。
光の教室の前にある廊下に並ぶロッカーの中を覗いてごそごそしとるのを見下ろして、そういやって思い出した事を聞く。
「お前やー謙也と仲ええな」
『はあ?』
心底嫌そうな顔がそう言うとる。
「けどずっと一緒におるやん。お前ほんまに嫌やったら全力で逃げるやろし…謙也はええんか?」
あの人が勝手について回っとるだけや、って返ってくんの目に見えとったし先に逃げ道塞いだったら光は言葉を詰まらせた。
けど何も言わんと忘れもんの教科書ロッカーから出して廊下にバアンって音響かせてフタ閉めた。
「おーい光ー」
教科書持ってずんずん廊下進んでいく光の背中を追いかける。
『うっさい!ついてくんなアホ!!』
見慣れた口の動きに声が聞こえてきそうやわ。
けど俺の知ってる光の声は子供の時のもの。
今はもうあの声やないんやろな。
どんな声で喋んねやろ。
今はどんな声しとんねやろ。
早よ聞きたい。
ああ、誰でもええから早よ光の手ぇ引いて背中押して、こんなしんどい場所から連れ出してやってくれたらええのにって思てた。
俺にはとてもやないけどそんな事できんし、誰でもええから光の事をって。
けど今はちょっと違てて、それが謙也やったらええのにってちょっと思うようになってた。
まあ何でや知らんけどムカつく気ぃするからそれも微妙なんやけど。
けどやっぱり何とかしてくれへんかな、謙也って思てた。
せやのにここにきて、まさかまさかの展開や。
まさか謙也が光にマジ惚れしてたなんて。
逸れた道入らんようにこないだ全力で否定したったのに。
アホやなあ。
しかもきっかけが光とヤっとるエロい夢やなんて、ベタすぎるやろ。
部室のドア越しにうっかり蔵と謙也の会話を聞いてしもて、光は真っ赤になって呆然と立ち尽くしてる。
これ以上聞かせられへん思って勢いよぉドア開けてこっちの存在を知らせた。
途端にめっちゃびっくりした顔の蔵と謙也がこっち見て青ぅなった。
あーあ、こんな風に知られたなかったやろうなって呑気に思いながら光見たら、持ってた教科書そこに落として泣きそうな顔してどっか走ってってしもた。
俺は慌ててそれを追いかける。
せやけど謙也も顔負けのスピードで走ってってどんどん引き離されていく。
あいつあんだけ走れんねやったら試合でもそれぐらいやれっちゅーねん。
ほんま適当に手ぇ抜いてやりよって。
そんな余計な事考えてたら見失うてしもた。
「光ー?どこやー?」
あーもう面倒やなあ。
ほって帰ったろかな、って思た時廊下の端に人影が消えるん見えて俺はそっちに向けて走った。
そしたら壁と防火扉の間に器用に挟まって蹲ってる光がおった。
こんな場所でおってもしゃーない。
俺は光の肩叩いて立たせようとする。
「行くで、光」
嫌やって腕振り払われる。
構わんと無理から立ち上がらせて手ぇ引いて部室に向けて歩いていく。
その間何べんも振り払おうとするけど力は俺のが上や。
えらいせで握ってちょっと痛いやろうけど逃げようとする光が悪い。
ぐいぐい引っ張って部室まで連れて行ってドア開けたら、謙也はもう帰ったんかその先には蔵一人がおった。
難しい顔して腕組んで偉そうに座ってる。
落とした光の教科書は蔵が拾てくれたんか部室の机の上に置いてあった。
「光、ちょっとこっちきなさい」
その空気に何か感じ取った光は一瞬引いたけど、俺が逃げんように行き先塞いだよって渋々部室に足を踏み入れる。
「ちょっとここ座りなさい」
「ってお前はオカンか」
口調がゴンタ叱るオカンと同じやし。
こないだからオトンなったりオカンなったり忙しいやっちゃな。
俺はつっ立ったまんまの光の肩持って蔵の指差した椅子に座らせた。
ほんで隣にある椅子に座って成り行きを見守る事にする。
「光、ノート出しなさい」
人差し指でトントンって机叩きながら早速言うてきよった。
光もそれ予想してかイヤーな顔隠せへん。
今んとこは拒否権施行して俯いてだんまり決め込んどる。
けどじーっと光睨んどる蔵の視線に根負けして渋々鞄から派手なノート出した。
表紙が光の一番好きな色のちいこいノート。
目ぇ覚める様な深い赤が、今は光を責めるみたいに睨んでる。
「はい、さらのとこ開いて」
蔵に言われるままにまだ白いページ開いて震えながら言葉を待つ。
あーあ。別に悪い事しとるわけやないのにこんな怯えさせられて。
蔵はやっぱり甘い顔した悪魔やわ。
今のこの悪い顔したとこキャーキャー言うとる女子に見せたいわ。
せやけど口に出したら俺が何されるや解らんし光には悪いけどかばったらへん。
「謙也やったら思いっきり説教して帰したから心配ないよ」
何言うんやろ思たらにっこりと笑顔でそんな事言い出した。
びっくりした。
光もびっくりしてるみたいで目ぇ見開いてる。
その後すんごい眉寄せて悲しそうな顔して俯いた。
「いきなりあんな事言うて光ん事困らせんな言うといたったからな」
光は困ったんか?
まあいきなり男に好きや言われても困るわな。
けど、光は困ってるっていうより戸惑ってる。
「あんなん気にせんでええんやで。おもっきり殴って更生さしたからもうあんな変な事言わへんよ」
蔵の言葉に光は机に手ぇついて立ち上がった。
さっきまでの態度翻して責めるように蔵睨んでる。
「…何、光は困ってたんちゃうの?」
さっきまでの胡散臭い笑顔消して、いつも光に向けとる優しい顔に変わった。
ああ、何やそうゆうことか。
俺は蔵の魂胆に気付いた。
「謙也にあんな事言われて軽蔑したりしてへんの?裏切られたって思ってへんの?」
光はまた椅子に座ると俯いて首を横に振った。
「何で?普通は信じとった友達に裏切られたって怒るとこやで?せやのに今光は謙也に何ちゅー事言うたんやって、俺責めたんちゃう?腹ん中で」
光自身無意識やったんか、蔵の言葉に驚いたように顔を跳ね上げる。
「光」
蔵は光の前にノート差し出して左手取るとシャーペン握らせた。
「光はどない思った?謙也にああ言われて」
"どうもこうも直接言われたわけちゃうし"
「逃げは許さんよ。はっきり聞いたやろ。謙也は光が好きやねんで。仲ええ後輩やからって意味やのおて、愛しいって意味で」
蔵に真っ直ぐ見据えられて、改めて謙也の気持ち聞かされて光の顔は真っ赤になった。
ここでいちびったら蔵に殺されそうやから黙って見守る。
シャーペンでぐりぐりとノート苛めて、ちらちらと俺や蔵の顔色うかがっとる。
「光は?」
"ありえへん"
「それは謙也を好きやないって意味で?」
"ちゃう"
「ほなどういう意味なんや?」
"謙也さんめっちゃエエ人"
「せやな」
"せやから 俺好きとか ありえへん"
えらい殊勝な意見に俺も蔵もびっくりした。
そーゆー考え方もあるんや、こいつの中にも。
"ない ほんまにありえへん 絶対無理 俺こんなやもん 謙也さん俺好きとか
絶対そのうち嫌んなるに決まってるわ 俺自分でも嫌や 俺みたいなん好きにならん"
蔵はつらつらと否定的で自虐だらけの言葉を次々書き込む光の手を握って止める。
「そんなん聞いてへんよ。俺が今聞きたいんは、光の気持ちや」
手ぇ止めて、また泣きそうな顔して光は蔵を見上げた。
「光は…謙也が好きか?」
しばらく俯いて考えて、考えて、光は蔵の手ぇどけてノートの端にちっこい字で書いた。
"好き"
けどそれはすぐグリグリグリーっと真っ黒に塗りつぶされてしもた。
そんで光は恥ずかしそうにノートの上に突っ伏した。
何や、光も謙也にマジ惚れしとったんか。
心配して損した。
あー青いわー甘酸っぱいわー青春やなー。
そう思て眺めてたら蔵が光の頭撫でながら言うた。
「心配せんでもな、あいつアホやから難しい事なんかなーんも考えてへんよ」
「そうやで、光。せやし自分裏切るような事あったらこいつ黙ってへんやろ」
「こいつもな」
うっ…ムカつく。こっちに矛先向けてきよった。
けど否定でけへん。
もし光泣かせるような事あったら俺は黙ってへん。黙ってられへん。
誰に何言われても、たぶん周り見えんようなって謙也ボッコボコにしばき回す。
簀巻きにして道頓堀に放り込んだる。どうせ大した呪いにはならんやろ、謙也やし。
口に出しては恥ずかしいて絶対言えんけど、必死こいて否定せんだけマシや思てくれ。
俺が顔逸らして否定せんかったら、それだけで俺の心意気は伝わったみたいや。
「けどまあ…それも心配ないわ。あいつは俺の知っとる中で一番ええ奴やからな。光裏切るような事はせんよ」
蔵のお墨付きが出たところで、光はやっとちっさく頷いた。