セト9-3
渇いた足音が廊下に響く。
その中で軍服の襟を緩めながら幸村が柳の私室のある別棟に向けて歩いていると、先にそこへ向かったはずの真田が戻ってきている。
幸村は立ち止まり、真田がやってくるのを待った。
「どうした?蓮二の部屋に行ったんじゃなかったのか?」
「いや…部屋に赤也がいるようだから…」
いつもの決然とした物の言い方ではない口調に幸村が声を上げて笑う。
「お前もようやく場の空気を読む事を覚えたみたいだな」
「う…」
「初夜の翌朝のあれ、傑作だったからなあ」
「五月蝿いぞ幸村!!その話はいい!」
真っ赤になり照れ隠しに強い口調で言うが幸村に通用するはずもない。
幸村は笑いながら長官室に戻り、そこへ真田も招き入れた。
そして真田の用意する紅茶を待ちながら、あの日の出来事を思い出しもう一度笑いを漏らした。
「……何を笑っている」
「んー?別に」
「どうせ俺の事を笑っていたのだろう」
「解ってるんじゃないか」
むっとした顔のまま真田は椅子に座らず行儀悪くデスクに腰掛ける幸村にティーカップを渡す。
無骨な手から淹れられたとは思えないほど繊細な味の温かい紅茶を飲み干すと、幸村は笑うのを止め表情を引き締めた。
「今日の事……嫌な予感がするのは俺だけか?」
「…同盟の事か」
「ああ……あれで乾が引き下がるとは思えない」
「うむ…必ず何かを仕掛けてくるだろうな」
心配の芽は先に摘み取っておくに限る。
何か大きな動きを見せる前に何とか食い止めなければならない。
先の事を思えば気が重い。
幸村は前髪をがりがりと掻きながら大きく溜息を吐いた。
「どうした」
「心配の種は外だけじゃない」
「どういう意味だ」
空になったカップを真田に返し、デスクから立ち上がると椅子に座り直した。
そして天板に山積みになる書類を片付けるよう真田に命じる。
作業を進めながら、真田は黙ったまま窓の外を眺める幸村の様子を伺う。
「幸村?」
「赤也だよ」
「何故だ?赤也の存在は蓮二を良くしているではないか」
「そうなんだけどねー…」
天板に頬杖をつき、もう一度溜息を吐いた。
「赤也の存在は蓮二を強くしているが…同時に隙にもなっている。今までは蓮二一人で完全無欠だったが…
赤也を側に置いた事で赤也がいてこその蓮二になってしまった」
「逆に弱みにもなる、という事か…」
「ああ。もし今日の謁見で乾が何かに気付いていれば蓮二ではなく赤也に仕掛けてくるだろう。
蓮二が自分を直接攻撃されるより周りを傷付けられる方がダメージが大きい事を知っているからな…厄介だ」
「蓮二も辛いだろうな…他ならぬ乾が敵となるとは」
珍しく甘い事を言う真田に、幸村が驚き目を見張る。
「へえ…お前がそんな風に言うとは」
「蓮二の様子からして私情を挟むような真似はしないと思うが…やはり昔の情は多少蓮二を苦しめるだろうな。…放っておいて大丈夫なのか?」
先刻あんな事があったばかりで落ち込んでいるのでは、と心配する真田を鼻で笑い飛ばす。
「それこそ俺達じゃなくって赤也の仕事だろ。蓮二のフォローはあいつに任せる事にした」
幸村の言葉に今度は真田が目を見張る。
どうにかして邪魔してやろうと日々姑の嫁いびりのような事をしている割には赤也を評価しているらしい、と。
とはいえ、簡単に渡してなるものかという心意気は先程の剣術勝負で伝わっていた。
「少し前までは引き離す事ばかり考えていただろう」
「それは今でも変わらないよ。ちょっとでも蓮二の事傷付けるような真似したら即処刑してやる」
さらりと笑顔で言っているが、その裏に幸村の本気を感じ真田は思わず後ずさった。
その様子に幸村は笑って掌を否定の形に振った。
「…まあそれは極論だけどね。だいたい俺だって…」
「幸村?」
「いや、今は時じゃない、か……そのうち話す」
「何だ、気になる」
片付ける手を止め、詰め寄るが幸村は口を割らない。
あまりしつこく言えば怒りを買ってしまうだろうと真田は仕方なしに片付けを再開した。
「まあ何の考えもないわけではないという事だ。俺は蓮二から赤也を取り上げたくないし…」
女王の補佐として国の為に生きる親王殿下を守る事がお前の役目なのだと幼い頃から父親に言われてきた。
いずれ国を護る近衛兵となる日がきたとしても、その時も、その先も、彼の為に働こう。
祖国の為に命を使うなど馬鹿げている。しかし柳の為ならばどんな苦境も乗り越えられる。
幸村は遥か昔に今の騎士達と柳の間で誓い合った言葉を思い出した。
俺達は命を懸けて蓮二を守る、だから蓮二はそんな俺達の国を守ってくれ、と。
「蓮二の今を守る為なら何だってするさ」
「ああ…」
「その為には…赤也は絶対に必要な存在だからな。あの二人が離れるような事にならないように他の奴らにも言っておくか…」
二人で完全体となったならば、二人まとめて守ってやる事が使命だろう。
幸村は勢いをつけて立ち上がると扉に向けて歩いていく。
「恐らく近いうちに乾は何かしら仕掛けてくるはずだ。お前も腹に気合込めておけよ」
腹を叩きながら冗談めかしに言ってはいるが、瞳は真剣だ。
真田は神妙な顔で頷き、部屋を出て行く幸村を見送った。
【続】