セト9-2
セトと隣国のヘベは何事においても対極にあった。
セトが人口僅か二十万程の小国である事に対し、ヘベは二千万を越す大国。
国土の大半が砂漠で王都の他はオアシスに点在する都市がいくつかあるだけのセトと、
首都を中心にしたメガロポリスの他にも巨大都市を擁し水と緑の国土を有するヘベ。
そして兵の数だけでセトの全人口を軽く越える軍が国を統括するヘベと、王室が統べるセト。
だがこの国とヘベはかつて同じ国であった。
数百年前、見解の違いにより国を分断する戦争があり、今の国境が出来上がった。
それを越えた先に住む、かつては親友であったはずの人は戦いと裏切りの中に身を置き、すっかりと変わってしまったようだ。
柳は見送りもせず自室に戻り、大きなソファに座り溜息を吐いた。
「あの…どうぞ」
唯一見送りに出なかった赤也は珍しく気持ちに乱れの見える柳にお気に入りの紅茶を淹れて差し出した。
刹那、驚いた顔を見せるがすぐに柔らかく表情を緩め、礼を言ってそれに口をつける。
しかし柳は気が晴れないのか何も言わず肘掛にもたれかかり、何度も溜息を吐いて窓の外を眺めていた。
赤也はどうすればよいか解らず、隣に座るとソファに投げ出された柳の手を握る。
途端に驚いたように顔を跳ね上げ、赤也を見た。
「あ、すみませ……でも何か…落ち込んでるみたいだから…」
「いや……ありがとう。お前が側にいてくれると落ち着く」
甘えるように擦り寄り、赤也の胸に顔を埋めると目を閉じた。
赤也は所在なさげにうろつかせていた手を柳の肩に回し、ぎゅっと抱き締めた。
この細い体に全てを背負っているのだ。
国の命運も、そこに暮らす人々の暮らしも、もちろん柳自身も。
赤也は己の出世の集大成としてこの騎士団に入れた事を喜んでいたが、今は違う。
誰よりも側でこの人を守りたい。
この人だけではなく、この人が命をかけて守ろうとしているもの全てを守りたいのだと思っていた。
だが今日のような事で、一体自分はどれだけ柳の役に立てるのだろう。
ただこうして甘えさせてやる事以外に出来ない事がもどかしかった。
「赤也……」
「はい?」
柳は更に甘えるように赤也の膝にそっと頭を乗せ、上から見下ろす赤也の瞳のじっと見つめる。
「お前は…この国が好きか?」
「いるのが当たり前で好きとか嫌いとか考えた事ないっス…俺はここ以外に知らないし」
「そうか」
くるりと寝返りを打ち、太股に顔を摺り寄せ猫のように寛ぐ柳の頭を毛並みを整えるように撫でると気持ち良さそうに溜息を漏らす。
それが先程のような重いものでない事に赤也は少しホッとした。
「俺はな、赤也。そういう当たり前の日常を…誰ものでもない普通の生活を守りたいんだ。
会う事の叶わないこの地に生きる全ての人も……いつも側にいてくれている精市達も」
柳の言葉に、赤也は数年前の出来事を思い出した。
その頃この国はかつてない程に不作が続き、飢饉に見舞われていた。
当然王室もその影響を受けていたにも関わらず大幅な減税と、それに反比例する程の多額の税の投入で国民を救ったのだ。
その大幅な計画は多くの役人達の反感をかった。
しかし女王に即位したばかりの柳は騎士の助けを借り、計画を遂行させ国を立て直した。
結果、見事にこの国は危機を乗り越え、平穏な日々を取り戻した。
以後柳はこの国の女王として受け入れられ、今に至っている。
下町に暮らしていた頃、何気ない生活の中で彼らの働きなど考えた事などなかった。
だが今はその当たり前の暮らしを守る為の柳達の尽力を知っている。
「なら俺は、そんなアンタを守ります」
今の赤也に出来る事はそれだけだった。
「騎士の役目だからじゃないっスよ。俺がそうしたいんです。もっとアンタの役に立ちたい。
アンタ助ける杖になって、アンタ守る盾んなって、剣になって…ずっと側にいたいです」
「…赤也」
「って、カッコつけすぎっスね。似合わないって……」
恥ずかしくなり、慌てて取り繕うように茶化すが、見上げる柳は至って真剣な表情だった。
真っ赤になり顔を逸らそうとしたが、下から両手で頬を挟まれ、ぐっと引き寄せられる。
無理な体勢ではあったがされるまま身を委ねるとそのままキスされる。
軽く羽根が触れるようなものであったが柳の思いは十分に伝わった。
「赤也が側にいてくれると…自分でも信じられない程に力が湧くな」
「え…」
「お前が側にいると、俺は強くなれる。どんな事にでも立ち向かえる」
柳は体を起き上がらせ、隣に座る赤也の体に抱きついた。
「お前がいてくれればどんな困難も乗り越えられる………お前がいてくれて初めて俺は俺でいられる」
「柳さん…」
「ありがとう、赤也」
何度も抱き合い、キスする。
その度にこみ上げる愛しい思いを分け合い、もう一度強く抱き締めた。
【続】