セト10-1

幸村の予想は外れ、それから数週間何の音沙汰も無かった。
それは果たしてよい事なのだろうか、甚だ不安な静寂でもある。
嵐の前の静けさ、という言葉の似合う嫌な空白だった。
しかしそんな不気味な静けさの中、不安を振り払うように柳は赤也の側にいた。
否、赤也が柳の側を離れなかった。
それはいつかの頃、柳を二十四時間体制で護衛していた頃と変わらない光景であったが、中身は随分と違っている。
互いを慈しみ思い合う気持ちが二人の間にある。
柳は隣に眠る赤也の間抜けな顔を眺めていると悪戯心が湧いて出た。
そっと手を伸ばすと鼻を摘み上げる。
「んがっ……うー……勘弁してくださいよー……」
起きるか、と手を離すが赤也が目を覚ます様子はなく、再び眠りにつく。
寝息を邪魔するようにもう一度鼻を摘む。
「もー……ほんと勘弁してください〜〜幸村さん〜〜〜…」
「まったく…女王の閨で他の者の名前を出すなど、打ち首ものだぞ」
一体どんな夢を見ているのだと柳は思わず笑いを漏らす。
そして鼻を摘んでいた手を頬に滑らせ何度も撫でる。
すると先程までの嫌そうな表情を崩し、だらしなく笑みを浮かべた。
「へへ〜……やなぎさん…」
「今度は俺の登場か?」
心底幸せそうな顔を暫く眺めた後、柳も眠りへと落ちていった。
翌朝目を覚ますと先に起きていた赤也がベッドサイドに置かれた水差しからグラスに水を注いでいるところだった。
白い寝屋着を身に付けたその背中に抱きつくと、うおっと間抜けな声を上げる。
「あっぶねぇー…ちょっ、こぼしたらどうするんですか」
「おはよう赤也」
悪戯が成功したとくすくす笑いを漏らす柳の頭を撫でながらおはようございますと返す。
そして手にしていたグラスを手渡した。
それを受け取ると柳は赤也から体を離し、一息に飲み干した。
水差しの横に空のグラスと置くと、柳に乞われるままにキスを落とす。
それが毎朝の赤也の習慣となっていた。
「約束、破らないでいてくれているな」
「当然じゃないっスか。っつーかまた裸のまま上行かれたらたまんないし」
「あの時の弦一郎は傑作だったな」
「笑い事じゃないっスよ…」
二人の頭に浮かんだのは共通して初めて同衾した翌朝の事だった。

これほどまでに幸せな事がこの世にあったのだろうかと思う程に幸せな夜が過ぎた。
しかし翌朝、柳が目を覚ますと寝室に赤也の姿はなかった。
「赤也…?」
室内を見渡すが気配もなく、赤也が脱ぎ捨てたはずの服もない。
一人にされ、昨夜の事までもが夢か幻なのかと思わされてしまう。
だが赤也により付けられた体中に残る赤い痕が、現実だと語っている。
すでに自室に戻ってしまったのだろうか、それともまだ上にいるかもしれない。
時間を見ればまだ夜明け過ぎで辺りも薄暗い。
こんな時間に赤也以外誰もいないだろうと思い、柳は服を着る間も惜しんで体にシーツを巻きつけると寝室を出て階段を駆け上がった。
扉の向こうに物音がする。
やはりここにいたのかと、自分を放って行ってと些かの怒りを覚えながら勢いよく扉を開ける。
「赤也っ」
「―――っ蓮二?!」
赤也より遥かに体が大きく、声も違っている。
一瞬何が起きたのか解らないと呆然と立ち尽くすのは真田だった。
何故こんな時間に、という疑問が湧くが驚きすぎて声が出ない。
真田も、よもやこのような幼馴染の姿を見る事など予想していなかったと、大きく口を開いたままの間抜け面を隠さずまだ立ち尽くしている。
「…弦一郎?」
「う…あ……」
魂が抜けたかのようにあまりに呆然とした様子に流石に心配になり、柳が近付こうとするが物凄い形相のまま後ずさった。
そしてそこへタイミング悪く部屋へ入ってきたのは赤也だった。
「あっ柳…さ、…げっ!!」
部屋に入り、赤也が真っ先に目に入った柳に声をかけようとした瞬間、その手前にいる顔を強張らせた真田が目に入り、大きく顔を歪ませた。
「なっなんっ……」
三者が一定距離を保ち、動けないままに数十秒が経過した。
一番最初にその微妙な空気に耐えられなくなったのは真田だった。
「みっ…見なかった事にしよう…」
何と声をかけるべきかを逡巡した結果がそれか、と柳はそれまでの混乱した意識が一瞬にして静まった。
逃げるようにそそくさと部屋を後にする真田を見送ると、赤也が慌てて近付く。
「なっ…何でそんなカッコで上がってきてんっスか!!」
「お前がいないからだろう」
裸に近い、というより裸に布を巻きつけただけの格好で騎士達も来る場所に来る事など今までになかった。
だが柳の言葉に自分を探す為にこのような事になったのだと気付いた。
「…すいません……水がなかったから汲みに行ってたんっス」
「馬鹿者…閨で女王を一人にする騎士がどこにいる」
一般論を言っているようでその実一人置かれて寂しかったのだと表情に出ている。
赤也は何度も謝りながらもたれ掛ってくる柳の体を抱き締めた。
「もう二度と一人にしませんから、こんな心臓に悪いカッコで部屋出ないでくださいよ…」
「お前が俺を一人にしなければ、な」
子供のように拗ねた様子を見せる柳の背中を擦りながら赤也は何度も頷いた。

【続】

 

go page top