セト10-2

セトは短い花の季節を迎え、離宮は珍しく彩り鮮やかな景色が広がっている。
柳は赤也を警護につけ、その庭をゆっくりと散策していた。
時折足を止めては花を摘み、その花束もすでに片腕で抱えきれない程になっている。
「持ちますよ」
「いや、いい」
「そうっスか…」
柳は人の上に立つ立場でありながら、なるべく自分の事は自分でするのだとあまり人の手を借りようとしない。
もう少し頼ってくれてもいいものだと手持ち無沙汰に赤也は両手を揉みながら柳の後ろをついて歩く。
「ここも随分と綺麗な庭になった…」
「前は違ったんですか?」
「ああ。もっと殺風景だったのだが…精市が総指揮を取ってな、この庭を造ってくれた」
顔に似合わずという言葉は全く相応しくないものの、あの鬼将軍が、と俄かに信じ難い。
そんな赤也の思考などお見通しだと柳は笑いを浮かべる。
「精市はああ見えて花が好きなんだ」
「いや、あの、そういう意味で、なくって…」
「大丈夫だ。告げ口などしない」
おかしそうに笑う柳に曖昧な笑みを返し、居心地悪く赤也は目を逸らした。
「それでも、まだあそこには敵わないな…」
「あそこ?」
「……国境近くにな、王室の保養地があるんだ。そこはここ程も広くないが砂漠からは外れた場所だから緑が豊かなんだ」
「へぇー」
セトは砂漠に位置する国だ。その為に未開の地がほとんどで狭いながらに国民も知らない場所が多くある。
騎士になり、もう随分と時間は経っているがまだまだ知らない事も多いのだと赤也は柳の言葉に頷く。
「いつか後継が出来て俺が女王の冠を廃したら、あそこに住みたいと思っている。勿論、お前達も連れてだ」
「え…」
「いい場所だぞ。静かで美しい、この国の一等地だ」
「おっ…俺も連れてってもらえるんですか?!」
赤也の驚いた声に負けない程に驚いた表情を柳は返す。
「何だ、お前、あの言葉は嘘だったのか?」
「え?え?へ?!」
「ずっと側にいてくれるんだろう?それともあれは、騎士の義務という事だったのか?」
その言葉を否定する事はすでに想定済みだとニヤリ、唇を上げて柳が笑う。
それに違わず赤也は慌てた様子で首を横に振り勢いよく否定した。
「ちちちちちちっ違いますって!!そんなっ…ただちょっと、そんな先の話…びっくりして……」
段々と言葉が窄んでいく赤也の声に覆いかぶさるように、そうだよと明るい声が背後からする。
「精市」
「なーに枯れたじいさんみたいな話してるんだ?」
「…じいさんとは失礼な奴だな」
振り返った先にいる幸村がゆっくりと二人に近付き、柳の腕に抱かれた花束を半ば強引に奪い取る。
「そういうのはね、もっともーっと年いってからしなさい」
「そうか……そうだな。俺にはまだまだ責務が多くある」
「そうだよ。それが終わったら、俺も一緒に連れて行ってもらうからね。俺あそこで庭師やるの夢なんだから」
禁裏付騎士団は王室ではなく女王個人に忠誠を誓っている。
それ故に柳が冠を廃せば即ち騎士の役割も終わる事となる。
だがその後も彼らを側に置き続ける事も不可能ではない。
ただし、近年は大抵の騎士はそのまま次代の女王に仕える事が多くなっていた。
先の事は解らないが、それもまた将来の一つとして考えるのも悪くないだろう。
幸村は二人を庭に残し、柳から預かった花束を手に執務室へと戻った。
この大きな花瓶に生けるつもりだったのだろう。
勝手な想像ではあったが幸村のそれが外れる事はほとんどない。
部屋の隅に置かれた花瓶の前に切花を広げ、一本一本丁寧に葉を取りながら窓の外に目をやった。
相変わらず仲良く並んで庭を散策する姿を微笑ましくも妬ましくも思い、幸村は少し笑みを表情に乗せた。
「何をしている。やる事は多いのだぞ」
そんな雰囲気を壊すように部屋に慌しく入ってくる真田を睨みつけ黙らせた後、幸村は構わず作業を続ける。
「……それで、何の用だ」
「いや…うむ、こちらで処理しておこう。お前の手を煩わせる事ではなかった」
「そう」
真田は手にしていた書類に目を通し、机の上に置かれた女王の印を押し始めた。
幸村の出すハサミの音と真田の出す印を押す音だけが執務室に響いていたが、不意に幸村が笑い出した。
「な…何だ」
「なあ、蓮二はもう老後の心配をしてるようだぞ」
「…何?」
突拍子も無い言葉だと真田は素っ頓狂な声を上げ驚いた。
そんな様子に幸村もおかしそうに笑い始める。
「国境近くに保養地があるのはお前も知ってるだろう?次代に女王を譲ったらあそこで余生を楽しむらしい。俺達も連れて行ってくれるんだと」
「何をそんな先の話を……いつになるか解らんぞ」
「そうだな…俺もそう思って蓮二を窘めたんだけど…強ちそう遠くない未来に実現できるかもしれない」
どういう意味だ、と勢いよく齧り付くが、幸村は花瓶に花を生ける事に集中していて答えは得られそうにない。
仕方なく先に作業を終わらせようと真田は手を早め、全ての書類に目を通し終える。
丁度同じ頃に花を生け終えた幸村が花瓶を部屋の定位置に戻し満足気に眺めていた。
「それで、先程の話は…」
なるべく機嫌を損ねないよう探るように話す真田を一瞥した後、幸村はぐっと顔を近付け真田にそっと耳打ちした。
「お前を信用して話す事だ」
「何だ?気になる。早く言ってくれ」
「これは特Aクラス以上の…スリーエスレベルの国家機密だ。蓮二も知らない」
国家の中枢である女王も知らない事柄など、そうそうあるものではない。
真田はそれまで以上に険しい表情を浮かべる。
「次代が、決まるかもしれない。それも…時期はそう遠くない」
「何?それは……蓮二の花嫁候補が出てきたという事か?!」
「馬鹿。それだったらせいぜい特Aクラスだ。当然蓮二の意向だって聞かれるだろうから…それはない」
そこに意見できる隙はないにせよ、柳の耳にも入って然る情報だ。
冷静になれば解る事だったと真田は羞恥に染まりながらも言葉の続きを黙って待った。
「蓮二の母上……女大公殿がご懐妊されている。今臨月だ」
「…それはつまり…月が変われば蓮二に弟か妹ができると言う事か?」
「ああ…公卿はまだ御年三十九。決して懐妊の望めない年ではない」
若くして女王となった先々代は、未だ柳と兄弟と間違われる程に年若い。
故に幸村の言葉の信憑性は高まるが、真田には一つ気になる事があった。
「だがまだ女児と決まったわけでは…」
「いや、女児である可能性が高い…いや、ほぼ確定、だな」
「何故言い切れる」
幸村の言葉が本当ならば、正統な後継者が出来る。
しかしそれは生まれてくる御子が女児である事が大前提となる。
「お前、何故この王室が近親婚を繰り返しているか、解るか?」
「それは…他所の家との繋がりで発生する無用なお家騒動を避ける為では?」
いきなりの質問に面食らいながらも真田は頭に入った知識を口にする。
だがそれを幸村は軽く否定した。
「それは建前だ。本当は……確実に女児を遺す為の方法だからだ」
「何?」
「近親者同士で子を為す事を繰り返すとな、種の保存の為に本能的に女を生み出そうとするらしい。まあ詳しくは俺も解らないが、道理だな。
男子が五人いて女子が一人なら生まれてくる子も一人だが、男子が一人で女子が五人なら五人生まれる可能性が広がる。
いくら正統な血を遺す為とはいえ、人一人が生涯産める子の数はたかが知れている。その少ない数の中で確実に女王候補を遺す為に王室は近親婚を勧めているんだ。事実、直系の男児として蓮二が生まれたのは実に八十四年振りの快挙らしいぞ」
なるほど、と頷く真田を確認すると幸村は言葉を続けた。
「例外なく公卿の夫君も従兄様に当たられる……蓮二が例外的に男児として生まれたのなら、残る確率として女児が生まれる可能性のが高くなる」
それで国家機密として守っていたのか、と真田は納得した。
無事生まれ、その御子が女王として即位するまでは何としてでも守らなくてはならない。
柳ですらあれだけ危険な目に遭っていたのだ、赤子一人を抹殺する事など造作も無いはずだ。
「この事は俺の他に御匙、それに数名の側近者しか知らない事実だ。絶対に口外するな、解っているな?」
「無論だ」
力強く頷く真田を見てホッと表情を緩めると、幸村は溜息を一つ吐いた。
「…無事に内親王様がお生まれになって、蓮二がその位を譲って……そうだな、十五年もすれば蓮二の補佐もいらない立派な女王となられるだろうから…その後はあいつらの夢も叶うかもしれないな、本当に」
そう言って窓の外に目をやれば、柳と赤也の他にいつの間にかやってきていた騎士の面々が笑い合っている。
近い将来、あの光景を当たり前の物として見れる日が来るかもしれない。
その為にもこの事は絶対に漏らしてはならない。
胸に重みを与えるその事実に流石の真田も責任の大きさを感じずにはいられなかった。

【続】

 

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