セト10-3
やはり幸村の思った通りだった。
不穏な静寂を破るとんでもない嵐がやってきてしまった。
「……閣下は正気か…」
書簡を手にやってきたヘベの使者を睨みつけ、幸村は漸く言葉を搾り出す。
無表情のまま、使者は何も答える事無く退室した。
謁見の間に真田以外誰もいなくなり、幸村は握り潰した書簡を床に叩きつけ、力の限り机を叩いた。
「……落ち着け、幸村。何があった」
「…すまない」
何も話したくないという空気を出し、幸村は窓に近付くと外を眺めた。
仕方なく真田は床に放り出された書簡を拾い上げ、しわを綺麗に伸ばしながら中を読み進める。
途端に顔色を変え、馬鹿な、とそれだけを呟く。
「…いくら何でも乱暴すぎる。ありえないだろう…」
「そのありえない事を何度も繰り返し今のヘベがあるんだ。強ち無茶とも言えないだろう?」
自嘲的な笑みを浮かべ、幸村は一瞬だけ室内に視線を戻した後再び窓の外に目をやる。
真田はそれを見届け今一度書簡を読み直した。
内容はヘベとセトの軍事同盟、受け入れられないなら即宣戦布告を申し渡すという事。
それを避けたいのならば、軍事同盟を結ぶか、もしくは別の形での協定を結ぶ事。
文字にすれば単純明快なそれも、到底受け入れられるものではない事は明白であった。
セトのような小国が対等な同盟を結べるとは思えず、不条理な結果は目に見えている。
だがヘベを敵に回せば今度は他の列強の勢力をまともに受ける事となる。
ヘベとの友好状態は少なからず列強への脅威となっているのだ。
それを踏まえ、足許を見る条件を出してきている。
乾は一体何を考えているのだ。
真田も幸村同様苛立ちを隠せず書簡を握り潰した。
そして暫くは膠着していたが、先に落ち着きを取り戻した幸村が部屋に視線を戻す。
「……会談の場を設けてもらおう。まずは相手の考えを探る」
「解った。すぐにヘベに申し入れよう」
「…やれやれ…少し前までの平和がどこへやら、だな」
返信の準備をする真田を眺めながら、幸村が独り言のように呟く。
それに何も返せず、真田は黙々とペンを走らせる。
「……俺は怖いよ」
だが次に出る思わぬ言葉に真田の手は止まり、視線を上げた。
「何を…お前が何かに恐れを為すなど…」
「俺が怖いのは乾の存在そのものじゃない。それは大した事ないんだが……俺が怖いのは、今が壊れる事だ」
「壊れる?」
「ああ……嫌な予感がする。何だか、な………蓮二がどこか遠くへ行ってしまうような…嫌ぁーな予感、が…」
「馬鹿な!!」
その気弱な言葉に真田はバン、と大きな音を立て机に手を叩きつける。
しかしその手は震えていて、真田自身もそのような嫌な予感に苛まれている事が窺い知れる。
幸村は今の言葉は忘れろ、と呟き再び窓の外へと視線を送った。
「そうだ……遠くに行くのは、あの保養地へ行くという事なんだから、な…」
「……そう、だな」
それが口先だけのもので、単なる気休めでしかない事は真田も重々に承知していたが言葉を否定する事は出来なかった。
数日後、相手もこの展開を予想していたのだろう。
あっさりと公式謁見を認められ、幸村と真田は他の騎士を残しヘベへと向かった。
砂漠を越える長旅に疲れる間もなく、セトとは比べ物にならないほどの規模を誇る要塞のような城に迎え入れられる。
屈強な警備兵達の無言の威圧を背中に感じながら謁見する事となった。
「やあ、しばらくぶりだね」
相変わらずの人を小馬鹿にしたような乾の態度に些かの不機嫌を露わにしてしまう真田と、それ以上の壮絶な笑みを浮かべる幸村が敬礼をして前に進み出る。
「こないだの手紙、読んでくれた?」
「無論。今日はその事でお目通り願ったのですから」
「そう。まあ、座ったら?ああ、二人に何か飲み物でも……」
「結構。私は今日茶を楽しみに来たわけではありませんから」
すぐ背後に構える兵に命を下す乾を言葉で制し、幸村は勧められた椅子に腰を下ろした。
真田は座る事はせず、すぐ斜め後ろに構え幸村を守るように仁王立ちした。
そして改めて乾の意思の確認をすれば、書簡にあったように同盟か全面戦争かの二つに一つだという。
だがわざわざ譲歩策も用意したのだと胡散臭い笑みを浮かべる乾を幸村は強く睨みつけた。
その譲歩策が一番のネックだと言えるからだ。
それは王室とヘベを結びつけるべく、現政権を握る王室と親戚関係とならないか、というものだった。
「由緒ある王室からの外交の為の政略結婚など、許せるわけがありません」
「政略だと最初から決め付けられるのは頂けないなぁ…」
「どういう意味です?」
「もちろん、好きだから結婚したいっていう意味だよ?」
相手の真意を探るべく表情を伺うが、そこから得られるものはない。
幸村は睨むようにじっと見つめるものの、乾が表情を崩す事もない。
好きだからなどと言っているが相手は誰なのだ。
そう考え思いを巡らせるが解らない。
だが一つの可能性がふと脳裏を過ぎった。
しかしありえない、と否定するが乾の様子からして限りなくそれが正解に近いかもしれない。
「まあ…どうなるにせよ……君達に悪いようにはしない。セトとは仲良くしていきたいからね」
平行線を辿った会談は結局何の解決策も見出せず、失意のままに二人はセトへの帰路へとついたのだった。
【続】