セト8-3

「い゙だだだだだだ!!」
「大丈夫か?」
蹲って頭を抱え、剣の柄で殴られた後頭部を撫でている赤也の手に柳の手が添えられる。
それだけで痛みが和らいでいくようだ。
だが、
「あんまり……まだちゃんと見えてないっス…」
視界がぼんやりとしていて目の前にあるはずの柳の顔が見えていない。
幸村は相手の五感を奪うような闘いをする。
今日はまだ視覚を奪われるだけで済んだが、初めて勝負を吹っ掛けた時は聴覚も触感覚も奪われ、本気で殺されたのだと勘違いをした。
「全く…こんなお遊びで本気を出すんじゃない、精市」
後ろで微笑を湛えたまま痛がる赤也を眺めている幸村に柳は鋭い視線を寄越す。
しかし赤也をこんな目にあわせた幸村本人は平然とした顔で笑っている。
「随分だなあ…赤也がもーっと強くなるように手助けしてやってるんじゃないか。蓮二を守らなきゃならないんだし」
「だからといって……」
「あーあの、もう平気っス……訓練ん時はもっと鬼みたいだし」
徐々に鮮明さの戻ってきた視界に心配そうな柳を顔を見て、本当はまだ割れそうなほど頭は痛むが強がり無理に笑顔を見せた。
「そうか?しかしあまり無理はするな…あの馬鹿力で殴られたんだ。少し休んでいろ」
他の者の目の前であるにも関わらず、柳は赤也の体を抱き寄せもたれ掛からせる。
一瞬驚いたように体を強張らせたが、されるがままに甘えていた。
再び頭を殴ろうとする幸村を、騎士全員で必死に押さえていると、桑原が何かに気付き動きを止めた。
そして赤也の肩を叩く。
「おい、離れろ。兵が一人…二人来るぞ」
「え?」
急に何故、と問うより先に柳は赤也を一番側にいた丸井に預け、いつもの無表情を顔に貼り付けた。
程なく忙しない足音が鳴り響き、見回りの兵が二人やってくる。
「どうした?」
「は!来賓にございます」
幸村がゆっくりと輪から外れ、兵に近付くと二人は恭しく膝を付き頭を下げた。
「来賓?まだ大臣が?」
「いえ…ヘベの帝国元帥が非公式で…」
「やれやれ…今日は招かざる客の多い事。………解った。謁見の間へお通ししろ」
「は!!」
幸村の命を受け、兵達は足音高くその場を離れた。
それを見届け、もう一度肩で大きく溜息を吐く。
「…だ、そうだ。全員軍服に着替えて集合」
至極面倒くさそうに手を翻しながら幸村が立ち去り、三々五々騎士達も場を離れる。
赤也も慌ててその後に続いた。
「あ!」
「何だよいきなり…」
何かを思いついたように唐突に大きな声を上げる赤也に丸井が訝る。
前を歩いていた丸井は、隣を歩いていた桑原と共に振り返り、歩を遅め赤也と歩幅を合わせる。
「そういえば!さっき何で解ったんっスか?!兵が来るって」
桑原の機転がなければ柳に寄り添う場面を兵に見られていた。
これも丸井同様の特殊能力なのだろうかと尋ねれば、照れたように桑原が笑った。
「ジャッカルは超聴覚があるからな。ほんと犬みてぇー」
自分で言うのは憚られると控える桑原の変わりに丸井が軽い調子で答える。
「犬って言うな、犬って。それを言うならお前の方が犬っぽいぜ。臭い嗅いでるんだしよ」
下らない言い合いを始める二人など我関せず、赤也は桑原に羨望の眼差しを向ける。
「へぇー…すっげぇ…え、じゃあ足音だけで誰が近付いてきたとかも解るんっスか?」
「まあ普段は五月蝿くてならねえから意識しないようにしてるけどな…集中すればだいたいの事は解るぜ」
「ふへぇー…幸村さんの言ってた事って嘘じゃなかったんスね」
「どういう意味だよ」
丸井は研ぎ澄まされた嗅覚と味覚、そして桑原は常人にない聴覚に持久力を持ち合わせている。
仁王は変身と称すべき変装能力に加え、噂によれば他にも何か人知を逸した能力を持ち合わせているとも聞く。
幸村に至っては戦いの最中相手の五感を奪うのだからたまったものではない。
「あれ?じゃあ真田さんは?」
「あー…あいつのは何かもう動物っつっていいと思うぜ」
「…動物?」
「おお、見とけよ」
何をするのだと目を見張っていると、丸井は突然前方遥かを歩く真田目掛けて足元に落ちていた握り拳大の石を投げつけた。
危ない、と赤也が言うよりも先に真田はその石を見る事もなく手で掴んだ。
「ええっ?!」
「すぐ近くなら俺らでも後ろからの攻撃も解るけどよー…この距離は異様だろ?野生動物かっての」
確かに今赤也達のいる場所から真田までの距離は十数メートルのブランクがある。
それでなおこの悪意を込めた攻撃を避けたというのならば、前線で戦う場合にもさぞや便利な能力だろう。
怒ってくるかと思ったが、下らん悪戯はするなとだけ言い真田は自室に入ってしまった。
他の者達の部屋まではまだ少し距離がある。
赤也は続けてもう一つの気になる事を尋ねた。
「あの…ヘベの帝国元帥って…ヘベの王様って事ですか?」
「ヘベは軍事大国で王国じゃねえからなー…今も軍人皇帝制で元帥が実質国の長って感じになってるみたいだぜ」
「うちは小さいながらも王室に統べられた由緒正しい王国だから正反対だな」
「へえ…」
「ヘベは一年前のクーデターでそれまでの世襲君主制は途絶えたからのう…」
後ろを歩いていた仁王も会話に参加し、徐々にその人物が窺い知れる。
ヘベの帝国元帥はかつてこの国に住んでいた柳の幼馴染だった。
その人物は元々ヘベの軍事一族の長子であったが、お家騒動があり、身の安全を確保する為に同心国であったこの国の王室にしばらく預けられていた。
そして国に帰り、父の跡目を継ぎ軍部に入った後戦略に長けた彼は長く続いた帝国をクーデターで廃し、現在は軍が治める国家を作り上げた。
即ち、現元帥である彼が国の王と呼ぶに相応しい存在なのだ。
そんな人物が何故、と赤也は首を傾げた。
確かにヘベとこの国は関税同盟もあり、人や物の行き来は自由で街には異国民も多い。
しかし国家を統べる者がこうも簡単にやってきてもいいのだろうか甚だ疑問だ。
「いでっっ」
首を傾げた瞬間、先程幸村にやられた傷が再び痛み出す。
「おいおい大丈夫かよ…どーせ非公式訪問なんだし、部屋で休んどけよ」
「……いや、行くっス」
丸井の気遣いを断ったのは個人的に気になる事があるからだ。
それを見抜いた仁王が部屋に入る直前、ニヤリと笑いを浮かべた。
「気になるんじゃろ。俺ら以外にあいつを知ってる奴が」
「……まあ…そうっス」
柳の幼馴染だったというその人。
一体どんな奴なのかこの目で確かめなければ気が済まないと赤也は拳を握り締める。
「気ぃ付けぇよ、赤也。あの男は俺が苦手とする奴やからの」
「俺もキラーイ」
「俺もあんま得意じゃねえな…」
丸井はともかく、人のいい桑原までが苦笑いしながらそんな事を言い残し、各々の自室に入っていく。
平穏が戻ったはずの日常が、再び僅かに歪みを持ち始めている。
そんな外れてくれる事を願わなければならない予感を、赤也は強く感じていた。

【続】

 

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