セト7-3

離宮には地熱を利用した温泉施設がいくつもある。
その内の一つは柳の為のもの、そして騎士の為に宛がわれたものもあった。
兵卒や使用人達のように大人数が使うものではないのでそれほど広い場所ではなかったが、それでも温かい湯は張り詰めた気持ちを解きほぐしてくれる。
ようやく柳の不可解な接触や幸村の追究からも逃れらた。
赤也は体を洗い、髪を洗い、湯船に身を沈めた後、深い溜息を吐いた。
「何じゃ、溜息なんてつきよって。柳と一緒におれてよかったんやないか?」
「…一緒にいるから辛い事だってあるじゃないっスか」
向かいに座る仁王は赤也の言葉に一瞬驚き、その後小さく吹き出した。
「なっ…何っスか」
「何生意気言うとんじゃ。お前はなーんも考えんとあいつの事だけ見てりゃええ」
いつもの人を食ったような様子ではない、優しい表情で見る仁王を呆然と見上げる。
しかし乱暴な仕草で頭をぐりぐりと撫でられ、慌ててそれを振り払う。
「周りのフォローは俺らに任せて、お前はあいつがどうやったらいっつも笑ってられるかだけ考えとき」
「……仁王さん…」
意外な言葉だった。
まさか仁王の口からこのような言葉が聞ける日がくるとは誰も思うまい。
だが先日の丸井同様、仁王も柳を大切に思っているのならば当然の言葉なのかもしれないと赤也は納得した。
「はー…悔しいのう…まるで花嫁の父の気分じゃ」
「…何っスかそれ」
「お父ちゃんはな、娘の初恋が実るよう影ながら応援しとるって話や」
「は?!」
のぼせるよって先出る、と言って湯船から出て行ってしまい、仁王の口からは真相は聞き出せなかった。
今のは一体どういう意味なのだ。
渦巻く思考を抱えながら湯船に浸かっていて、気付けば日も傾き夕食の時間になってしまっていた。
すっかりふやけた体に平服を纏い、慌てて柳の私室へと向かう。
すでに食事は用意されていて、腹を空かせた丸井に遅いと一発頭に拳骨を食らう。
そして赤也が席に着くと真田の合掌で夕食が始まった。
食事中も特に柳に変わった様子はなかった。
食後、皆で団欒をしている時も、いつものように丸井や柳生と楽しそうに話をしている。
だが就寝の時間となり、三々五々それぞれの部屋に戻る中、赤也は幸村に引き止められた。
「どこへ行く赤也」
「どこって…部屋戻るんっスけど」
「お前の部屋はここだろう?蓮二が寝室で待ってる」
「えっ…けどそれは…」
暗殺者一味が捕まった今、騎士が二十四時間体制で警護する必要もないだろう。
王宮とは違い、人の出入の少ない離宮なら尚更だ。
部屋番の兵士だけで充分だと、柳はすでに赤也が以前使っていたベッドも引き払わせている。
「赤也」
思いつく可能性を頭の中で消去していると、それを遮るように幸村が肩を叩く。
「これは命令、じゃない。お前の意思に任せる―――…解るな?」
「え…っと、それって……」
「おやすみ」
珍しく裏のない微笑みだけを残し、幸村は部屋を出て行ってしまった。
部屋に一人残された赤也は呆然と立ち尽くす。
寝室には柳がいるだ。
そしてそこに下りるか否かの判断の全ては己に任せられている。
煽るような昼間の柳の様子を思い出し、カッと体温が上昇する。
以前命令では出来ないと断った行為。
それを、柳は待っているというのだろうか。
赤也は震える手を本棚に伸ばし、からくりを解く。
静かに開かれる本棚の裏にある階段を踏みしめるように下りて、目の前の木の扉をノックした。
一拍を置き、中から柳の声がする。
そっと入るといつもは天蓋に掛かっているはずの布がベッドを覆うように下ろされている。
紗の向こう側には柳の影が揺れているのが見えている。
ベッドに座り、赤也が来るのを待っているのだ。
思わず喉を上下させ生唾を飲み込む。
そのまま動けないでいる赤也に、柳が不思議そうに声をかける。
「赤也?どうした?」
「あ…いや…何でもないっス」
これ以上ぼんやりと突っ立ったままでもいられない。
赤也は静かにベッドに近付いた。
そしてベッドを覆う二重三重に重なる紗をそっと割り、中に入る。
そこには真っ白な服を身につけ正座していた。
腰の辺りで締められている帯には何やら文様のようなものが織り込まれている。
「それ…いつもの寝間着じゃないんっスね」
「これは禊の着衣だ」
「禊?」
「ああ…本来は女王が夫君と初めて床に就く際に着る物だ」
柳の言葉の裏にある意味を敏感に察知し、赤也は思わず肩を揺らして動揺する。
今宵の事は幸村がからかっての事ではなく、本当に柳が望んでいるのだと解った。
「赤也…」
乞うように名前を呼び、ベッドの縁にもたれるように突っ立ったままの赤也ににじり寄り柳はぎゅっと抱き締めた。
「これは…命令ではない。嫌ならば…断ってくれて構わない……」
だが背中に回される腕も声も震えていて、柳の本意ではない事は明らかだった。
誰かに、否、思う相手に求められる事がこんなにも幸せで満ち足りた気持ちにさせてくれるものなのかと赤也は酩酊する。
そして不意に浴場での仁王の言葉を思い出した。
己に課せられているのは義務的な施しではない。
赤也本人が心の底から望む事が、柳の望んでいる事に他ならないはずだ。
そう確信し、赤也は抱き付く柳の体を抱き返し、そっとベッドに横たわらせた。
「あの……ほんとにいいんっスか?」
「この状況でそれを聞くか?」
「いや…まあ……そうなんっスけど…」
確認はしたものの、期待に満ちた瞳を向けられ赤也の限界などとうに過ぎていた。
軽く口付けを落としながら帯に手をかけ、するすると解いていく。
だがその淀みない動きに柳が過剰に反応した。
「手馴れているな…」
「は?」
「……初めてではないのか?」
「男相手は初めてっスよ」
赤也に男色の趣味は無い。
それは解っているはずなのに何故その様な事を聞くのだろうと首を傾げる。
しかし柳は拗ねたように顔を逸らしてしまった。
「その言い方だと女は知っているのだな」
「え?……ああ…まあ…」
それは兵に志願するより前の話なのだ。
柳の方こそ、この状況でそれを聞くのかと言ってやりたかった。
だがある一つの結論に気付き、柳の体に覆いかぶさっていた体を勢い良く起こした。
「もっ……もしかして初めてなんですか?!」
「ああ」
「えっ……男も?女も?!」
「おかしいか?」
女王という立場上、簡単に出来るような行為ではないだろう。
だが望めば何でも手に入るはずなのに、一度たりとも女を所望しなかったとは俄かに信じ難い。
「……内証は処刑される運命にある」
「え?」
「女王は王配と騎士以外の者を褥の相手に選べない。それ以外の者に手をつければ相手は生涯投獄されて…特に初めての相手は内証と呼ばれ処刑されてしまう。
俺とて同じ事だ…安易に下々の者に手をつけてしまえばその者は賊子として殺される」
以前騎士をお褥番としては見れないのだと言っていた事を思い出す。
そうなれば妻となる相手以外と添わない限り、柳は誰もこの寝台へと呼べなかった。
己の欲望の為に人一人は殺せないだろうと小さく笑う柳に偽りの様子など無い。
「はっ…初めてが…俺でいいんですか?!」
「お前でいい、じゃない。お前がいいんだ……誰がお前以外の者に触れさせるものか」
そう言って柳はもう一度赤也の体を引き寄せた。
これ以上無粋な質問は重ねられない。
赤也は促されるままベッドに柳の体を押し付けた。

【続】

 

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