セト6-1
赤也の容態は一進一退を繰り返しながら徐々に上向き始めた。
これならば移動しても大丈夫だろうと、柳と赤也を含む騎士団全員が久し振りに離宮へ戻る事が決まった。
安静にしなければならないものの、体はもうすっかりといいのだと赤也が文句を垂れ始める。
だが頑として柳は譲らなかった。
今のうちに休んでいろ、と言って私室から出さず、空いた時間は相変わらず側を離れようとしない。
そんな様子に幸村は柳の内なる心を見抜いた。
反王室一派が減ったとはいえ、まだ完全に安心できるかと問われれば答えは否、としか言いようのない王宮で唯一安全な場所と言える自室。
そこから出したくないのだろう。
再び赤也が傷つくような事があれば、恐らく今度こそ柳は正気を保てない。
気持ちを心に秘めろと無理を強いているという事もあり、幸村は柳に苦言を呈する事なく見守った。
一体どちらが守っているのだ、と言いたくなるような状況ではあったが。
離宮に戻るまであと数日となった。
いくら近い場所とはいえ、すっかり鈍った体で警護しながらの灼熱の道中は厳しいものがある。
そろそろ起きて準備を始めなければと赤也は考えていた。
しかし柳はそれを許さなかった。
見守るというより、ほぼ監視のような態度で日がな一日赤也の側を離れないのだ。
今日も監視するようにベッドのすぐ脇に置いた椅子に座り、ベッドから離れさせてもらえず、枕を背に座らせてもらうので精一杯だった。
「あのー…ほんとにもう大丈夫っスよ」
「馬鹿を言え。まだ思うように動けないくせに大口を叩くな」
むっと顔を歪めたままの赤也に、ソファに座ってやり取りを眺めていた仁王が面白そうに唇を吊り上げた。
「柳はのぅ、お前さんが心配で心配でならんのじゃ。人助けや思って言う事聞いたりんしゃい赤也」
「仁王」
余計な事を言うなと視線で牽制するが、そんなものが通用する相手ではない。
ひらりと掌を返し、幸村と離宮に戻る時の警護について打ち合わせがあるからと部屋を出て行った。
室内に二人きりになり、平然とする柳を前に、赤也は些かの居心地の悪さを感じていた。
仁王の言っていた言葉を上手く理解出来ないでいるのだ。
あんな風に厳しく言ってはいたが、心優しい柳の事だ。
目の前で人が大怪我を負って瀕死の状態になったのを見て己を責めているのかもしれない。
だがこれは使命なのだ。
国家から、主君から与えられた大切な。
だから柳がこの事で心を痛める必要なんてない。
「薬の時間だな」
「へ?あ、ああ…」
唐突に思いついたように言う柳に、他所に意識が回っていた赤也は変な声を上げる。
どうした、と聞かれるが首を振って否定する以外に他ない。
差し出された水で薬を大人しく飲み干した。
「包帯も変えておくか」
「えっ…いや!自分でやりますって!」
「いいから大人しくしていろ」
寝間着を脱ぐように言われ、赤也は儘にその指示に従った。
そっと腹を巻く包帯が外され、傷を保護する綿布を外すと赤く爛れた傷口が現れる。
脅威的な回復を見せてはいるものの、まだ痛々しいそれに柳はそっと手を添えた。
「っっ…」
「すまん、痛むか?」
無意識に出た行動だったのか、些かの驚きを含んだ表情を浮かべ柳は慌てて手を離した。
「…いや、大丈夫っス…ちょっとびっくりしただけで…」
本当はまだ引き攣る様な痛みがあったが、それを上回り一驚を喫する。
床に跪き慎重な手つきで傷に残る古い薬を拭う姿を見下ろし、主君の手を煩わせた事への申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
そして今までに無い柳の態度に赤也は酷く動揺していた。
「…あの?どうかしたんっスか?」
「…赤也…」
一瞬苦しそうな表情を見せた後、何を思ってか柳は突然赤也に抱き付いた。
腰に腕を回し、傷口に擦り寄る。
痛みと驚きに体を強張らせると、眼下の柳から震える声がした。
「赤也…赤也すまない……」
「…柳さん?」
「お前をこんな目に遭わせて…本当に…」
やはり、と赤也は安心させる為に柳の頭に手を添えた。
「何言ってんっスか。それが俺の役目なんですから」
腹に顔を埋めている所為で表情は見えない。
だが微かに震える肩に、柳が何を思っているかが赤也に伝わる。
しかしその思いの出所が腑に落ちないのだ。
何故自分を相手に、と考えて、思いついた。
「あの…柳さん」
「何だ?」
「こんな風に優しくしてくんなくても大丈夫っスよ?」
「……何?」
弾かれるように上げられた柳の顔に張り付いた表情は困惑だった。
己の考えに疑念を抱いたが、赤也はそのまま口に出した。
「俺、これからもずっとアンタの側にいて、ちゃんと守ります。
だから…こんな風に優しくしたり…前みたいにアンタの手ぇ汚してまで俺の事試さなくっても大丈――…」
「違う!俺はお前が―――っ!」
その言葉に柳は表情を凍りつかせ言葉を遮り、唇を噛んだ後俯き表情を隠した。
だが赤也は見てしまった。
一瞬だったが目に飛び込み、焼きついてきた。
今にも泣き崩れそうな程に眉を寄せ、見開かれ揺れる色濃い琥珀の瞳が強烈に。
一度音にしてしまった言葉は確実に柳の鼓膜に届いてしまった。
本当はもう一つの可能性も思いついたのだが、それはあまりに現実離れしていてありえないものとして消化したのだ。
しかし、今の柳の態度を見る限り、1%にも満たないであろうと思っていたその可能性の方が高いのかもしれない。
だとすれば、この言葉を柳はどんな思いで聞いたのだろう。
かける言葉が見つからず狼狽する赤也に、柳は肩で一つ息をつき、顔を上げた。
「ならば、一つだけ約束をしてくれ」
そこにはもう先程の儚い印象の柳はおらず、いつもの顔をしている。
訳が解らずますます狼狽する赤也から体を離し、静かに言い放った。
「もう…あんな助け方をしないと…それだけは誓ってくれ」
「けど…」
「こんな思いは二度とごめんだ」
床に手を付いてゆっくり立ち上がると、柳は背を向けた。
「…代わりの者をすぐに寄越す。手当ての続きは…そいつにしてもらってくれ」
「柳さんっ!」
部屋から出て行こうとする柳を追いかけようとベッドから飛び降りるが、むき出しの傷に激痛が走り、その場に蹲った。
腹を押さえながら何とか立ち上がるが、すでに柳は部屋を出て行った後だった。
じくじくと痛む傷を抱え追いかける事は出来ない。
仕方なく赤也はゆっくりと立ち上がり、ベッドに腰掛けた。
【続】