セト4-2

赤也はいよいよ本格的に身の危険を感じ始めた。
それは午前の執務を終え、これから食事を摂ろうかという話が出た時だった。
王族とはいえ贅沢を嫌う柳はいつも騎士と同じ食事を用意させていた。
そして、大臣や外交官との昼食会など特に用のない時は私室で食卓を囲んでいた。
「あー腹減ったぁー!」
「丸井君のそれを聞くと仕事が終わった気がしますね」
柳の書類整理を手伝っていた丸井が大きく伸びをしながら言う様子に、同じ様に手伝いをしていた柳生が笑い声を漏らす。
「るっせー。けどこの激務でマジ腹減ってんだもん」
「丸井さんいっつも腹減らしてんじゃないっスか」
「んだと赤也ーっっ!!」
流石に真実を知った後、幸村の厳重注意もあり、しばらくは大人しくしていたが、
ここ数日で浮上したのか以前と変わらず他の騎士達とじゃれ合っている。
そして変わらず柳の側を離れない。
幸村は引き離す事はせず傍観し、なるべく二人だけにしないよう自ら護衛を買って出たり、
出来ない場合は他の騎士を上手く使い仕事を割り振っていた。
今は別室で真田や桑原と仕事をしている為、丸井と柳生に柳の仕事の手伝いをさせていた。
「ではお食事にしましょうか。すぐに運ばせましょう」
柳生は部屋のすぐ外に待機している兵にその旨を伝える。
すぐに侍女らが大きな盆に料理を並べて運んできた。
長テーブルに並べられる質素ながら手の込んだ料理の数々に丸井が目を輝かせる。
「うっまそぉー!」
「ちょっと!つまみ食いしないで下さいよ!何でアンタが柳さんより先食ってんっスか!!」
「毒見だよ毒見」
次々と皿の上に鼻を近付け、犬のように嗅いで回る丸井に赤也が呆れ顔を向ける。
毒見なんて口先ばかりではないか、と溜息を吐いた、その時。
丸井の顔がさっと変わった。
それはよく軍事訓練中に見せる、鬼気迫る本気の顔だった。
「ど…したんっスか?」
「ああ、食事の用意が出来たか」
料理の匂いを嗅ぎつけるように寝室から上がってきた柳がテーブルに近付く。
「見ろよ!今日もマジ美味そうだぜ……っうわぁあっっ!!」
「―――っ!」
「悪ィ!」
丸井は足を滑らせ、テーブルの端に乗った水差しを派手に転かし、すぐ脇に立っていた柳の衣服を濡らしてしまう。
柳生がさっと近寄り濡れた裾を拭くが、シミは大きく広がっていくばかりだ。
「…これは拭いてどうなるものじゃありませんね……食事の前に着替えましょうか、柳君」
「そうだな」
「マジごめん柳!」
「ああ、大事無い。気にするな」
そう言って寝室に消える柳をエスコートする柳生と丸井が密かに視線をかわすのを赤也は確認する。
何かがある、と直感した。
案の定、それまで泣きそうになりながら謝っていた丸井は表情を引き締める。
「どうかしたんっスか?」
「赤也…幸村呼んで来い」
「え…?」
「いいから早く!!」
「あ…ういっス!」
いつもの能天気な様子ではない。
怖い程に真剣な丸井の怒鳴り声に触発され、部屋を飛び出す。
すでに昼食の報を聞いていたのか、幸村達と途中の廊下で出会い、事情を話して一緒に柳の私室まで走った。
「どうした?」
丸井は一瞬幸村を見遣った後、一番大きな皿を指差す。
「赤也…この料理運んできた侍女、覚えてるか?」
「あ…ハイ……えっと…新しい人っスよね。先週まで見た事なかったっス」
「そいつしょっ引いて牢屋にぶち込め」
「え―――…?」
何を言っているのだ、と赤也は口を開けて呆ける。
全く話が解らないといった様子の赤也より、先に幸村が事情を察する。
「…また…か?」
「これだけじゃ致死量には至らないとは思うけど…結構危険なやつだぜ。神経に作用して廃人になるかも」
クンッと皿を臭いながら丸井が言う。
その会話の内容から察して赤也の顔色が変わる。
「まさか…毒?」
「ああ…敵もいよいよ余裕なくなってきたって感じだな。俺らまで巻き込むつもりだったんだぜ。
台所で一度毒見されてるわけだから…入れられたのはここに運ばれてくるまで。つまりこれ運んだ奴の仕業だ」
「けど何で解ったんっスか…食ってないのに」
丸井は順に皿を嗅いで回っていただけだ。
それはあまりに自然な姿だった。
いい匂いに嬉しそうに顔を綻ばせ、時々口に運んでは美味いと喜ぶ。
いつも、毎食そうしていたのだ。
「ブン太はね、臭いで食べられる物と食べられない物を嗅ぎ分けられるんだよ」
その的中率は八割を越え、精製された毒だけでなく植物や動物の毒も嗅ぎ分けられ、
更には食あたりを起こすような腐敗しかけた物なども解るのだと幸村が言う。
「えっ…じゃあほんとに毒見してたんっスか?!」
「お前…俺の事ただの食い意地張った奴だと思ってんだろ」
「いや…ハイ、まあ…」
赤也は漸く幸村の言葉に合点がいった。
それぞれに特技があるのだという言葉に。
本当に特殊能力があるのだ、この騎士団の面々は。
桑原はまだ何が出来るのか知らないが、仁王はすでにその能力の一片を見せている。
騎士団をも騙す完璧な変装能力が彼にはある。
姿形だけではない、声、仕草、性格に至るまで完璧に真似てしまうのだ。
そういえば今日は姿を見ていないな、とぼんやりと考えていれば丸井に後頭部を打たれた。
「兎に角、その女さっさと捕まえて牢にぶち込んで来い」
「後で俺と真田でそいつを尋問にかけるから丁重に持て成してやれ」
この微笑の鬼将軍に一体どんな目に遭わされるのだろうと赤也の背筋が凍る。
しかし相手は柳を殺そうとしたのだ。
容赦は無用。
赤也は台所へと急いだ。
丸井の暗躍により、今回の事件は未然に防げた。
しかしこれから先もこのような事が、否、それ以上に危険な事があるかもしれないのだ。
命を懸けて守るとはこういう事なのか、と赤也は唇を噛む。
自分には丸井達のような特殊能力がない。
いざその状況に放り込まれた場合、何が出来るだろう。
ならば、と赤也は一つ心に誓い、廊下を直走った。




柳はいよいよ身の危険を感じ、体を震わせた。
濡れた平服を脱ぎ、ぶるりと肩を震わす姿に柳生が心配そうに声をかける。
「お寒いのですか?柳君」
「大丈夫だ……仁王」
何の事だ、と大きく目を見開き意外そうな顔をした。
だが柳がじっと見つめると、フッと唇を歪める。
「……なーんや、バレとったんか」
「いや、今解ったばかりだ。すっかり騙されたよ」
「自信あったんやがのう…今のところバレとるんは幸村だけじゃ」
先程までの凛とした振る舞いをやめ、頭をがりがりと掻く。
こんな仕草を柳生はしない。
見た目、姿形は柳生のものだが、纏う雰囲気は仁王のものとなる。
一度そう思ってしまえばもう柳生には見えない。
柳生ならば着やすい様広げて渡される服だが、彼は等閑にそのまま渡す。
もう完全に仮面は剥がれてしまったな、と柳は笑いを漏らした。
「どうした?今日は外交の日ではなかったか?」
「ヘベに行く予定やったんじゃが…どうにもあそこの王とは馬が合わんから柳生に代わってもらったんじゃよ」
広げた着替えに袖を通しながら、仁王の溜息を聞く。
「ヘベ…か」
この地から東の砂漠を抜けた場所にある、この国の数倍の国土を誇る水と緑の国ヘベ。
近隣国の中では最も交流があり、物流や人の行き来も盛んである為必然的に王家との親交も深くなる。
だが親交が深いのはそれだけが理由ではなかった。
「そういやあそこの王はお前さんの幼馴染やったのう」
「奴がここを出てから一度も会っていないがな」
たった一代で巨大帝国を築き上げた手腕の持ち主であるヘベの王は、かつてこの国に暮らしていて、柳の親友であった。
「会わんのか?」
「機会がないだけだ。今は外に目を向けている場合じゃないからな……今日の事も…」
鏡の前で衣服を整えながら呟く柳に、仁王は驚いて顔を上げる。
鏡越しにその姿を見ながら困ったように表情を作り呟く。
「皆に気を使わせてしまっているな…」
「気付いたんか」
「俺なら大丈夫だ。そんなに気を使わずとも……皆が守ってくれているからな、安心している」
「そうか。赤也も頑張っとるしの」
その名前に柳の雰囲気がさっと変わるのを感じる。
「どうした?」
「いや……優秀なナイトに囲まれて女王冥利に尽きるな、と思っていた」
「ま、そういう事にしとこうかの。……そろそろ代わりの食事も用意できたでしょう。参りましょうか?」
瞬き一つの間に態度を180度変える姿には柳も感嘆する。
尤も、その能力も大半は悪戯目的に使われているものだから口惜しいと柳は呆れの溜息を吐いた。


【続】

 

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