セト4-1
真実を知ってしまった後も、赤也は変わらず柳の側を離れなかった。
その間、命を狙われるような出来事はなかったものの、只ならぬ緊張感があったのは事実。
何度かやってきた王宮の大臣たちとの謁見中など気が気ではなかった。
そういう意味で、赤也は柳の護衛の為に命を削っていた。
精神的に追い詰められた状態であったが、絶対に柳の側を離れようとはしない。
今日もまた、書庫の陽だまりで貪るように書物を読む柳をじっと見つめている。
真正面の椅子に座ったまま睨むような視線を逸らす事なく赤也は柳と向き合っていた。
些かの居心地の悪さを感じ、柳は読んでいた本を閉じてその視線を睨み返す。
「……そう見られていては敵わないな」
「前からっスよ」
「お前は…俺を恨んでいるのか?」
視線を逸らさないまま、赤也は目を見開いた。
一体何を言っているのか解らない、といった様子に逆に柳が驚かされる。
「どうした?違うのか?」
「違います」
「そうか…大層な忠誠心だな」
「それも…っ…」
「何だ?」
言い澱む赤也に先を促させる。
しばらくは目を泳がせ何かを言おうとしたが、
「いえ……何でもないっス…」
結局それ以上何かを言う事はなかった。
今赤也が何を思っているか、柳にも計り知れなかった。
本を読みながら時々視線を上げてちらりと見やるのだが、相変わらず無表情のままじっと睨むばかり。
気にしないでおこうとするのだが、その瞳から放たれる炎を宿した視線はいつまでも柳の胸に焼きついたまま離れない。
それから数日の間に、その炎は柳を焼き尽くさんばかりの勢いで身を蝕んでいった。
いままでならば本を読んでいれば無心になれ、何も考えずにすんでいたというのに、今は酷く落ち着かない。
じっと見つめる赤也の視線がそれを許さないのだ。
「そんなに二等身分は魅力か?」
己の理念を揺るがす邪念を振り払おうと、柳はいつも以上にきつい言い方をする。
「…タダ働きって言われても同じ事っスよ」
だが赤也は表情を変えないまま、淡々と答えるだけだ。
解せない、と顔を歪める柳に今度は赤也が問い返す。
「じゃあ聞きますけど…何でアンタは俺を遠ざけようとするんですか?」
「何―――…?」
「だってそうでしょう?こんな便利なモンないんっスよ?事情を知っても離れずこうやって護衛して、命張るっつってんです。
そんな風に嫌味言わずこのまま側に置いて、いいように使えばいいじゃないっスか」
自虐的ではなく、本当に、心からの言葉だった。赤也の問いは。
大きく目を見開いたまま、微動だにしない柳に追い討ちをかけるが如く。
逃げる隙を与えないよう赤也は側に寄り、手を握った。
「な…んだ」
「俺はアンタを恨んでないし、怒ってもない。現実に悲観もしてない。アンタが望むなら命かけて守ってやるって思ってる。
たとえ命を落としても構わないっス」
赤也は握った指先に唇を寄せ、白いそれにキスを落とす。
ナイトが崇拝する貴婦人に見せる行為に、柳は勢いよく手を振り払った。
「何故そう言い切れる?!お前は…っ…この現実を解っているのか?」
真っ直ぐ見つめる赤也の瞳に負け、柳は視線を逸らしながら思わず声を荒げる。
初めての反応だったが、赤也は至って平静を保ったままだ。
「解ってますよ」
「解って…ないっ!全く解っていない!…お前は……死を厭わないと?女王の為に命を落とそうと…構わないと言うのか?」
「それが俺の役目ですから。それに…代わりがいる、何百っている中で、誰でもいいって中で…俺を選んでくれた事が嬉しいぐらいですよ」
「ふん…っ…大した覚悟だな。それが本心なら今すぐ昇格させてやりたいぐらいだ」
心掛けてそうしているのかありありと解る態度で柳はそう言い捨てる。
そして気分が悪いから部屋に戻る、と柳は立ち上がり本を片付けておくように命じて書庫を離れた。
「蓮二」
「……っ―――精市…」
ふらふらと庭を囲む石畳の回廊を歩いていると、後ろから肩を叩かれ飛び上がるように驚く。
そんな珍しい様子に、幸村の方も驚いた。
「どうした?駄目じゃないか。一人出歩いちゃ……あ、赤也が何かしたのか?」
親友の顔を見て些か心の波風が治まり、柳はいつもの冷静な顔に戻り呟く。
「……急に解らなくなった…」
「何が?赤也が?」
「……ああ…こちらの思うように動かしていたのに、ここにきて予想外の展開だ」
手駒が思わぬ動きを見せている所為で少し動揺した、と柳は自嘲する。
だがその心の隙を幸村は見逃さなかった。
「情は捨てろ、蓮二」
「…何?」
「お前、無意識に赤也を遠ざけようとしているな」
「っ…そんな事…」
赤也と同じ事を指摘され、再び心に波風が立つ。
どれだけ冷静を装おうと、幸村には通じないのだ、昔から。
柳は視線を落とし、動揺を悟られないよう振舞うが幸村は許さなかった。
覗き込むように視線を捉え、言い放つ。
「あれはお前の身代わりだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「…解っている…っ!!」
「そう…それが本当ならいいけど」
幸村は軽い調子で胸の前に指を突き立てる。
だがそれはずしりと重く柳の心まで響いた。
「忘れるな。お前は……この国の女王だ。我が国20万の民の母なる存在なんだぞ」
「…ああ」
「赤也には俺から厳重注意しておく。立場を弁えろ、と」
そして早く部屋に戻れと命じ、幸村は回廊から建物の中に入った。
しかし冷たい石の廊下の隅に気配を感じ、すぐに足を止める。
「立ち聞きとは感心しないな……真田」
冷たく鋭い瞳を向けられ、物陰に隠れていた真田が身を硬くする。
気配は消していたはずなのに、と若干気まずい思いをしながら姿を現す。
「すまん……しかしさっきの話は…」
「ああ」
「……そうか」
それ以来重く口を閉ざし、二人は並んで長い廊下を歩く。
やがて騎士や衛兵の私室の並ぶ場所に差し掛かった。
幸村の個人空間とも言える長官室を前に立ち止まり、ふと思い出したように真田が口を開く。
「その…どうするのだ?赤也を…辞めさせるのか?」
「…しばらく様子を見よう。もしかしたら―――…いや、何でもない」
「幸村?」
「引き続きお前は仁王と共に離宮に刺客がいないかの調査を続けてくれ。それから…」
一瞬言い澱み、逡巡した後再び静かに口を開く。
「…蓮二はすでに赤也に心を開きかけている。そちらの監視も…頼む」
「解った」
表情を変える事無く頷く真田に、幸村はそれまでの無表情を崩した。
苦笑を浮かべ、前髪を掻く幸村に真田も溜息と同じく苦笑を返す。
そして幸村の心情を察したかのように真田が言葉を紡ぐ。
「俺たちの忠誠は女王であるあいつではない。蓮二自身へのものだ。それを考えると……辛いものがあるな」
「たぶん赤也も同じ思いなんだ…女王である蓮二への忠誠心がさせるんじゃない。
ただ…蓮二を純粋に思う気持ちが…あいつの側を離れたがらない理由だろう」
見た事も無い、尋常ならぬ様子の親友の態度を思い出し幸村はもう一度前髪を掻いた。
思い悩む際見せるその癖に、真田は眉を顰める。
「それに蓮二が気付いているとすれば…やはり早急に手立てを考えるべきではないか?」
「ああ、解ってる。引き離すのは簡単だ。赤也を懲戒解雇してやればいいんだから…だけど…蓮二がたぶんそれを許さないはずだ」
「都合の良いナイトだからか?」
この期に及んでその理由はないだろう、と疎い真田に呆れの溜息が漏れる。
「馬鹿。離れたくないからに決まっているだろう?」
「ああ…そういう事か」
「今すごく複雑な思いに駆られてるはずだ。側に居て欲しいが、自分の所為で危険にも晒したくない、と」
自分から辞めろ、とも言えず、かといって側に居たままではいさせたくない。
その思いが無意識に赤也を遠ざけようとする言葉に表れている。
「出来ることならこの人事は間違っていなかった、って笑える結末であってほしいよ」
そう言って肩をすくめ、幸村は長官室へと姿を消した。
【続】