セト3-1


そうして過ごした一週間。
柳は一日のほとんどを書庫で過ごしていた。
天井まである本棚にはびっしりと本が詰まっていて、それを順に読むのだ。
まだ四分の一ほどしか読めていない、と柳は言うが赤也にしてみればもうそんなにも読んだのかという感覚だ。
迫り来るような錯覚すら覚える量の本に囲まれ、柳は書庫の隅に置かれた椅子に座り黙々と本を読み続ける。
そしてそれを赤也は一日中眺めて過ごすのだ。
警護と言っても人の出入のほとんどない場所であるし、警備をする衛兵たちも多くいる。
特に気張って身の安全を確保しなければならないというわけではない。
赤也は万が一に備えての要員なのだ。
もしもの時、すぐ側で守る為の。
とはいえ、側を離れるわけにも他の事をするわけにもいかない。
そんな赤也が暇を持て余さないよう、柳は様々な話を聞かせた。
この国の歴史や遠い外国の話、神話や民話に至るまで様々な本を読みながら。
今まで教育らしい教育を受けた事のなかった赤也にとって、それはとても新鮮だった。
そして柳の思想や理念は赤也を傾倒させるに充分なものだった。
尊敬、敬慕する様は最早部下としてではない。
女王と騎士という枠を超え、赤也は柳に心酔していた。
切欠らしい転機があったわけではない。
優しく緩やかに語られる柳の話全てが赤也の心を支配するのだ。
特に柳の国民に対する愛情と戦争に対する嫌悪が心に深く刻まれた。
仮初めの君主でありながら、国を思う気持ちは本物であった。
何だかんだと文句を言いつつも日々鍛練を怠らない赤也が、早く実戦に出たいと言うと、珍しく柳は不快感を露にした。
「滅多な事を言うな。戦争など無いに越した事はない」
「んじゃ何の為に俺らは存在するんっスか?その為の軍隊でしょ?」
「それを言われてはこちらも返す言葉がないな…本末転倒だと思うよ、俺も」
どういう意味だ、と首を傾げる赤也に柳は山積みにした本から一冊を引き出した。
この国の歴史を書したもので、柳の祖母が女王であった頃に作られたものだ。
ほんの十数年前までこの国を苦しめていた兵役義務は、柳の母の代で全廃された。
しかし対外として兵を持たない訳にはいかない。
小国とはいえ由緒正しき王国を守るべく軍隊は不可欠であった。
仕方なく傭兵制という道を選び、近衛兵から隊長を選出して軍を統率させる事となった。
赤也もこの傭兵に志願したので金子で王室に雇われている身だったのだが、今や爵位を持つまでに出世している。
「戦争は言わば国と国の喧嘩だ。しかしそれに血を交えるような暴力を持ち込みたくない。
力に力で返すから、余計な諍いが増えるのだ」
「じゃあどうやって戦うんっスか。そのままだと他国に攻め入られちゃいますよ?」
柳に渡された文献に目を落としながら、赤也が呟けば呆れたような声が返ってきた。
「お前は喧嘩のやり方も知らんのか。何も殴り合うだけが喧嘩ではないだろう。もっと論理的思考に基づいた舌戦という道もある」
「話し合いって事?」
「ああ。今の列強のやり方は、まるで知能のない下等動物に武器を持たせているようなものだ。
そんなもので王家で預かる国民の命を無駄に亡くすわけにはいかん」
兵は王室の為に命をかけ、戦う。
全ては国の太陽である女王の為だと小隊長は事ある毎に兵たちに言い放っていた。
だから赤也はそれに対して何一つ疑問を持っていなかった。
だが柳は頭を振り、それを否定した。
「女王は国の母たる太陽と言うが…俺はそうは思わん」
「そうですかね?俺はずっとそう言われてきたから不思議に思った事ないっスけど…
あ、でも実際会った柳さんって太陽より月のイメージのが強いかも」
「ほう?何故?」
「んー…何かミステリアスだし、太陽みたいなギラギラ暑苦しいイメージないし…
月の下で物静かに佇む姿が似合いそうっス」
興味深い話だ、と柳は手にしていた本を閉じて赤也と向き合った。
「似合うか否かはお前の判断に任せるが…月という表現は面白いかもしれんな。
俺は日々の営みを精一杯にこなし、懸命に生きている国民や俺に付き従うお前達家臣こそがこの国の太陽だと思っている。
太陽に照らされて初めて月は光り輝く…俺が月というのなら、そんな太陽の如き皆があってこその俺だという事だな」
「何か……すげえ話っスね…」
「そうか?」
「だって国民は王の為にあるって言われてたよ?俺らは」
「それは間違っている。国民の為に俺達王族は存在するんだ。
この国を守り、そこに住む民を守る事こそが俺達の存在意義だ。
血税を使い込み豪奢な生活をする事など本来頂点に立つ者のする事ではない」
偉そうに玉座にふんぞり返る事は女王に一番必要の無い事だと言い切る柳に、赤也は羨望の眼差しを向ける。
本人は人の上に立つ器ではない、自分は補佐役が一番性に合っているのだと言うが赤也にはそうは思えない。
この人は紛れもない国の頂点である女王なのだ。
「そもそも女性君主制というのも合理主義の結果だ」
「へ?国の母って意味じゃないんっスか?」
「そんなもの、後から理由を作ったただのこじ付けだ。
この地がまだ前の統治国家だった頃は男系王制だったらしいのだが…お家騒動が激しくてな。
どんなに卑しい出自の女だろうと、王の子を孕めば国母となれる。
その所為で正当な血筋の正室とそれ以外の側室の争いが絶えなかったらしい。
純粋な血統を残す為には女王制が一番手っ取り早い。父親が誰であろうと母は確実にたった一人だからな」
「…なるほど」
からくりを聞いてしまえば何とも興ざめをするものだが、納得させられるに充分な理由だった。
「って事は…今って…柳さんの…跡継ぎって…どうなるんですか?」
「…そうだな…俺が次代女王となる妻を娶り、その者が女児を産む以外に道はないだろう」
この人が違う誰かのものになってしまう。
そう考えた瞬間、赤也の心には氷のように冷たい刃が突き刺さるような思いだった。
だが急に黙り込んでしまった心境を察してか、柳は安心させるように柔らかく微笑んだ。
「しかしまずは女王となれる器の妻を娶らねば話にならん。そんな相手はいないから…まだずっと先の話だ。
俺が子を産むわけではないのだから、男として役に立つうちならば猶予もあるだろう」
「あ…えっと…」
「いずれ来る先の未来など、お前は心配しなくて良い。俺はどこにも行かない。まだ誰のものにもならない」
「そんなの…何で俺に言うんっスか?」
相変わらず柳は優しい笑みを浮かべるだけで、明確な理由は言わない。
敏い柳の事だ。
赤也の思いなど見抜いての事だろう。
女王と騎士という枠を越えた思いを抱えているのだと。
それでいて尚、何故このような事を言ったのだろう。
思わせぶりな柳の言動に、赤也の心に新たな棘が生まれた。

そして悶々とした思いのまま迎えた翌日、思わぬ刺客が柳を襲った。
夜、私室に戻りベッドに入り就寝しようかとしていた時だった。
掛け布団を剥ぐなり、悲鳴のような切羽詰った声が上がる。
「どうしたんっスか?!」
ベッドの横でガタガタと震える姿が、まだ扉の前で施錠をしていた赤也にも見える。
慌てて寄ろうとするが、来るなと大声で制される。
普段の冷静な様子からは想像もつかない程に動揺し、顔は真っ青だ。
赤也は命令を無視して側に駆け寄った。
「大丈夫っスか?」
ガクリと膝から落ちる柳の体を抱きとめ、顔を覗きこむ。
「…デスストーカーだ……」
「え…?」
両手で口元を押さえ、くぐもって上手く赤也には伝わらなかった。
だが真っ白なシーツには血の様な赤の塊が蠢いている。
目を凝らして見れば、それはサソリであった。
「デスストーカー…猛毒を持つサソリだ……刺されれば即死する」
「なっ…何でそんなもんがここに…?」
「…考えたくはないが………この地にいない種だ………だから…誰かが故意に…この部屋に…」
この何重もの警備を越えて、一体誰がやったというのか。
その原因を探るより先に柳の身の安全を確保しなければならない。
赤也は側にあったライティングテーブルに備え付けられた椅子に柳を座らせると、
ベッドに飛び乗り腰に刺していた剣を抜いた。
「赤也危ない!!その種は近付くものに容赦なく襲ってくるんだ!」
柳の言葉通り、尻から伸びる針と大きな鋏を振りかざし、飛び上がるようにサソリは赤也目がけて突進する。
しかし持ち前の反射神経で、赤也は空中でその姿を捕らえ、真っ二つに切り裂いた。
音もなく石の床に落ち、割かれてなお動こうとする半身をさらに上から刺して止めを差す。
「ふうー…もう大丈夫っス!」
「赤也っ…お前……大丈夫なのか?!怪我は?!」
まだ平静の戻らない柳は椅子から転がるように下り、赤也の元へと駆け寄った。
「刺されたら即死なんでしょ?生きてるって事は大丈夫って事っスよ」
「馬鹿者!鋏で裂かれるだけでも充分に大怪我になる!」
へらりと笑う赤也は事の重大さを解っていないと柳は叱咤する。
だが赤也はすぐに顔を引き締めはっきりと言い放つ。
「これが俺の役目っスよ」
「だが…」
「あんなのいたベッドで寝るの気持ち悪いっスよね?すぐにシーツ換えますからちょっと待っててくださいね!」
もうこんな事は早く忘れろとばかりに赤也はサソリの死骸をさっさと始末し、新しいシーツを取りに上階へ行こうと扉に向かおうとした。
しかし、柳に腕を掴まれてしまい足が進まない。
「あの…」
「そんなのっ…は…気にならん…だから…一人にしないでくれ…っ」
まだ震えの止まらない体を自ら抱くように立つ柳が、とても脆弱で小さく見える。
上背は遥か彼の方が高いというのに。
赤也はそっと体を抱き寄せる。
「大丈夫…大丈夫っスよ……何があっても俺が守りますから」
そして安心させるように背を何度も撫でた。
徐々に体の力が抜け、柳が眠りに就くまで赤也はずっとその体を離さなかった。
一体誰がこんな事を、と赤也は徐々に怒りが体中を渦巻くのを感じる。
それと同時に巡る思いにはっきりと自覚した。
何があってもこの人は、この人だけは死なせない。
それは彼が女王であるからではない。
柳蓮二を失いたくないという思いからだった。
赤也は腕の中で安心したように寝息を立てる柳をベッドに横たわらせた。
逡巡した後掛け布団をかけ、ゆっくりと体を離そうとした。
だが離れられない。
ふと目を落とせば、柳はしっかりと赤也の服の帯を握ったままで眠っている。
まるで幼子が母から離れたくないと言いたげな程に幼いその様子に、俄かに湧いた邪な思いは霧散してしまう。
赤也は握った布越しに小さなキスを落とし、大丈夫、と呟いた。
刹那、安心した様に見える表情に驚き様子を伺うが起きている様子はない。
そしてそのまま次に柳が目を覚ますまで、赤也はずっとその寝顔を見守り続けた。

【続】

 

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