セト2-2


翌日、女王は離宮へと戻った。
仁王の言った通り、町の外れにあるので移動するにものんびりと走らせた馬車でわずか二時間に満たない距離だ。
馬を飛ばせば一時間とかからないだろう場所に位置している。
その為旅行気分を味わう暇も無く到着した。
オアシスの端に位置する離宮はこの地域独特の風向によりオアシスより涼しい風が流れ来る。
王宮より幾分過ごしやすい事と、他にもいくつか気に入っている点が柳にはあった。
過度な装飾の施された王宮と違い、石造りの簡素な建物である事。
五月蝿い大臣や役人たちの目が無い事。
そしてこの国の文献の全てを網羅するほどの膨大な蔵書数を誇る書庫がある為だ。
柳は一日中この書庫に入り浸り、様々な歴史書から帝王学や政治経済、戦術を学び、それを政に生かしていた。
市井調査や近隣国の視察など実際に人前に出る事は信頼のおける部下に任せ、裏で糸を操るように政治を行うのが柳のやり方だった。
王宮を離れれば仮初めの女王を快く思っていない大臣たちが好き勝手にするだろう。
しかしそれは仁王が放った隠密部隊が逐一報告する為問題がない。
その仁王直属の部下たちには柳も全幅の信頼を寄せている。
公式に表立って行動を起こしているわけではない上、少数精鋭部隊の為、未だ誰にも気付かれず任務を遂行できている。
このように王宮の各所に騎士団直属の部下が秘密裏に網羅されており、
いつどこで狙われるかも知れない女王の王座と命を守っているのだ。
離宮は限られた者のみが入れる場所なので、王宮よりは些か安全といえる。
専任の侍女侍従、警護、そして女王の他は騎士団以外の出入りが許されていない。
それ以外の者が離宮に入る場合は厳しい監視の目がつく。
故に赤也も当然ここに入るのは初めてであり、且つ、町外れにある為見る事も初めてだった。
ここが女王のお気に入りの場所かと赤也は味気ない石造りの建物を見上げる。
王宮は敷地の端がどこなのか解らない程の広さを誇るが、ここはその十分の一にも満たない。
それでもそれなりの広さがあり、ピリピリと張り詰めるような空気がないだけで心にゆとりが出来る。
敷地の中央には大きな庭園があり、それを囲むように建物が四角く建てられている。
建物の壁が砂漠の砂の進入を防ぎ、緑に満ちた庭となっていた。
ここは地下水が湧いている為これだけ広大な庭園を維持できるのだ。
そんな恵まれた環境も柳の気に入る要員の一つだった。
馬車に積んだ荷物は侍従たちに任せ、赤也たちは柳について女王の私室にまで行く。
王宮と同じ様に鎧戸に守られるように建つ別棟が女王の私室になっていた。
一つ違う事は、その重い扉を一枚開ければすぐに部屋に繋がっている事。
赤也は王宮での事と同じ様に室内を見渡した。
簡素で質素だった王宮の部屋とは違い、物で溢れ返っている。
出所不明な機械や本棚が壁に沿ってびっしりと置かれている。
女王の私室というよりどこかの研究所のようだと赤也は思った。
一応王宮の私室と同じ様に長椅子やテーブルは置かれているが、
こんな場所で普段暮らしているというが、生活感がまるでない。
しかしこの部屋に慣れた女王や騎士たちはくつろいでいる。
「やれやれ…やっと落ち着くな」
「ああ…ここ来ると自分ち帰って来たーって感じや」
堅苦しい正装である黒衣の帯を解きながら、柳は安堵とも取れる溜息を吐き、それに仁王も同意する。
丸井は歩きながら装備を外していって、それを後ろから追いかける桑原が苦言を吐きつつも拾い上げる。
もう見慣れた光景とはいえ何度見てもこれが国を支える者たちなのかという疑念を抱かせる。
柳生だけはここでも王宮でも態度を変えず黙々と職務をこなしているのだが、
こうも常識離れした者たちばかりであると、逆にこちらがおかしいような感覚に陥ってしまう。
「柳君、御召し替えを」
「ああ、ありがとう」
本棚に紛れて解らなかったが、棚の一つがワードローブとなっていた。
そこから取り出した平服を柳生が手渡す。
赤也も部屋に入り必要の無くなった装備を外し、部屋の隅に丸井たちが積み上げた鎧などと同じ場所に置いた。
「赤也、おいで」
「何っスか?」
部屋の隅にある本棚の前から柳に手招きされ、赤也は急いで近付く。
「この先が俺の寝室だ」
「へ?」
寝室、と言われても本棚以外に扉の様なものは何も見当たらない。
きょろきょろと見渡す赤也に小さく笑うと柳は本棚の本を何冊か引き出した。
規則的に入れ替えると重い音を立てながら本棚が横へとスライドする。
「うわっ!すっげー!からくりになってんだ!」
その先は薄暗い階段になっていて地下室に続いていた。
石段を一歩一歩と進む柳のすぐ後ろをついて下りる。
「仁王が作ったんだ。ここから先は本当に俺だけの空間だからな…誰も入れないようにしてある」
「え?…じゃあ俺入っちゃダメなんじゃないんスか?」
「構わない。お前は特別だよ」
足を止め尻込みしてしまった赤也の手を取ると柳は再び階段を下りる。
薄暗い先には木の扉があり、それを開けると明るい部屋があった。
確かに地下に下りたはずなのに、光に溢れた場所が広がっている。
赤也は目を白黒させ部屋を見渡す。
天井が全面光採りの窓になっていて太陽光は入っているが、外と比べても先程の部屋に比べても格段に涼しい。
床には鏡のように磨かれた石が敷き詰められていて、部屋の四隅に沿うように張り巡らされた溝には綺麗な水が流れている。
花瓶の乗ったコンソールテーブル、揃いの飴色の木で出来たライティングデスクと椅子がある。
部屋の中央には天蓋付の大きなベッドがあり、ベッドサイドにはナイトテーブルが置かれていた。
それ以外には何もないが今までのどの部屋よりも人の暮らす雰囲気のある場所だった。
「この部屋は特殊な構造をしていて外の光と空気が入るようになっているからこれだけ明るいんだ。
地下水を流しているから涼しくて過ごしやすいだろう?」
「あ……そうっスね…」
「何だ、緊張してるのか?別に取って食おうなどと思ってないから安心しろ」
「いやっ!そんな事微塵も思ってないっス!!」
赤也は入口に向けて後退りして背中を思い切り扉にぶつけた。
女王に不貞を働くなど賊子もいいところではないか。
喩えそれが自分の意志に反する事であってもだ。
自分の首が刎ねられてそれで済むなら御の字、下手すれば家の者にまで影響があるかもしれない。
様々な事が一気に頭を駆け巡り、赤也は呆然と柳の顔を見上げた。
「本当に面白いなお前は。見ていて飽きん」
「何なんっスかそれ…からかわないでくださいよ…」
赤也は泣きそうな顔で訴えるが柳は笑って受け流すだけだった。
その上何事もないように着替えを始めた為赤也は慌てて部屋を出て階段を駆け上がった。
表から開ける時はからくりになっていても、内側から開ける際は取っ手を引くだけで簡単に開いた。
「何じゃ。どないした赤也」
息を切らせて部屋に転がり入ってくる赤也に、丁度扉の隣に立っていた仁王が目を見開いて驚く。
「柳に襲われでもしたか?」
「違っっ!!」
パニックで半べそ状態の赤也に仁王の軽口は聞き流す事は出来なかった。
「何や赤也。生意気な口きいとる割には随分初心やの」
「何、お前ケーケンねーの?」
騒ぎを聞きつけた丸井が側に寄って来てそんな事を言い始める。
「いや…一般市民とあの人じゃ違うっしょ?!だってこの国の女王っスよ?!」
「女王や言うたって、あいつも人間じゃ。貞潔守っとる坊さんみたいな扱いしとったらエライ目遭うぜよ」
「遭った事あるんっスか?!」
「さーあ?どうやったかのう?」
うっかりとその様子を頭に浮かべてしまった赤也は顔を真っ赤にして、振り払うようにかぶりを振る。
「お褥番いうての、女王の夜のお相手するんも騎士の大事な仕事なんじゃよ」
「えっ……ええええ?!」
からかい甲斐のある赤也相手に好き放題に言う仁王の後ろから脳天目がけた手刀が飛ぶ。
なかなか凄い音に、勢いよく振り返れば柳生が口をへの字に曲げて睨んでいた。
「調子に乗りすぎですよ仁王君!!」
「へいへい…堪忍堪忍」
「まったく……確かに以前はそういうお役目もありましたが今になっては不要なものでしょう」
「けどさー案外そうなのかもよ。だって俺らあいつの寝室って入った事ねーじゃん?
用がある時は別だけど、大抵はいつもあいつ一人だしお前にその役目負わせようとしてんじゃねぇの?」
丸井までもが仁王の悪乗りに便乗してニヤニヤと笑いながら言う。
「丸井君まで!切原君は今日から二十四時間体制で警護に入ってもらうのでその為に部屋に案内しただけです」
「へ?そうなんっスか?」
ようやく仁王たちのからかいから逃れられたという安堵と、初耳である仕事に驚いてしまい赤也は思わず間の抜けた声を上げる。
「幸村君から聞いていませんか?物騒な噂を耳にしたらしく、身辺警護を強化するようにとのお申し付けです」
「何で赤也だけ?」
「もう忘れたんですか?君と私で明日から隣国に行く予定でしょう。
軍事同盟をとの話ですがそのつもりはないとの柳君の意向を伝える為に」
忘れてた、と呑気に言ってのける丸井に盛大に溜息を吐き、柳生は仁王にも鋭い視線を送る。
「君とジャッカル君は市勢調査です。丁度西国からキャラバンも来ているとの事ですから、
何か目新しいものがあれば柳君に買ってきてあげて下さい」
「はいはいっと…俺らはおつかい係やね」
仁王は自分も何か欲しい物があれば買ってこようと言いながら、部屋の随所に置かれた変な機械をいじりはじめた。
丸井は荷解きする桑原を手伝う事もなく、テーブルに積みあがったフルーツを食べ始める。
「本当は皆で警護するのが一番なのですが…そういう事ですので宜しくお願いしますね、切原君。
これは大変名誉な任務ですから心してなさって下さい」
「ういっス!!」
初めての大役に赤也は俄然張り切った。
幸村の耳にした噂というのは、最近大臣や役人の中に謀反を起こそうと画策している者がいるとの事だった。
その者の一族に女児が誕生した為、分家ではあるものの彼女を女王に仕立てようという魂胆なのだ。
仁王の放った隠密部隊の暗躍により、今のところは表立った事故や事件はないものの、いつ行動を起こすかも解らない。
しかし柳が大仰な警備を嫌う為、赤也一人が二十四時間警護する事になった。
「切原赤也、命に代えても柳さんを守るっス!!」
その大きな宣言はからくり扉を挟んですぐの場所で耳を欹てていた柳にも届いていた。
それは頼もしい。
唇の端を微かに歪め、そう小さく呟き柳は寝室へと再び戻っていった。

離宮へ戻って一週間。
赤也が柳の側を片時も離れなくなってから一週間。
本当に離れているのは風呂に入る時と用を足す時のみと言って過言ではないほどに二人は一緒にいた。
護衛を始めた頃は戸惑う事ばかりであったが、ようやく慣れてきた。
赤也は柳に命じられた寝室の掃除をしながらここに来た翌日の事を思い出していた。
当初、寝る時は流石に別だろうと赤也は思っていた。
あの本と機械に囲まれた談話室にあった長椅子で寝るものなのだと。
離宮に戻った昨日の夜は騎士団の皆と一緒にそうしたからだ。
しかし柳は今日から寝室に下りる事を命じた。
「え…っ…でっでもっ…」
「何だ?俺の命令に背くのか?」
「いっ…いえっっそんなつもりは…!!」
目に見えて焦る赤也の様子に柳はおかしそうに笑った。
「なんてな。上の部屋は風通しが良すぎて夜は寒いだろう。
ここは常に適温が保てるように作られているからここで寝ればいい」
「…は…はあ…」
砂漠の夜は寒暖が激しい。
確かに昨日は毛布一枚では些か寒かった、と赤也は思惟する。
「心配せずともちゃんとお前用のベッドを運ばせる。まあ俺は一緒のベッドに寝ても構わないが?」
「そっ…そんなのっ…」
赤也がこれほどまでに動揺する要因に思い当たった柳は意地悪く顔を覗き込む。
「……お前…誰にあの話を聞いた?」
「あ…あの話?」
「お褥番の話を聞いたのだろう?」
目に見えて顔色を変える赤也を見て、確信を持った。
柳は赤也の顎を指で捉えると自分の顔の方へと上向ける。
そして鼻が触れ合いそうな程に顔を近付け、薄っすらと唇に笑みを乗せた。
「どうする赤也?俺を抱いてみるか?」
「へ?!」
「命令だ、と言えば…お前はどうする?」
揶揄するような柳の口調に、それまでの狼狽した様子から一転、赤也は驚くほどに落ち着きを取り戻した。
そしてきっぱりと言い放つ。
「出来ません」
「…何故?」
「たとえ騎士にそういう役目があったとしても…命令とかで……そんなものでアンタを汚したくない」
その言葉に些か驚かされた柳は目を見開き、赤也の眼を真っ直ぐと射抜いた。
それはどこまでも澄んだもので、偽りのない言葉だと語っている。
「なるほど。面白い。お前は命令で動かすよりも感情に訴える方が効果があるのだな」
「は?」
「今のはただの冗談だ。忘れてくれ」
柳は顔を離していつもの涼しい表情に戻った。
「騎士団の者にそんな役目を負わせるつもりはない。もちろんお前にも」
「そうっスか…仁王さんが思わせぶりな事言ってたんでちょっとビックリしましたよ」
柳が離れたおかげでようやく心臓が落ち着きを取り戻した赤也がいつもの軽い調子に戻る。
「やはり奴の入れ知恵か。あいつの発言の八割までは疑ってかかれ。いいな?」
「よーく解りましたよ」
早朝、変装して市勢調査に出かけた銀色の頭をしたペテン師を思い浮かべ、溜息一つ。
昨日あの話を聞いてからどうしようかと悩んだ事が馬鹿馬鹿しく思える。
仁王にも、この人にも気をつけなければ。
思いもよらない発言で翻弄されてばかりになってしまうと赤也は心に喝を入れた。


【続】

 

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