セト14-3
祝福の鐘が国中に鳴り響き、各地では盛大な祭りが繰り広げられていた。
明日は国の最高権力者である乾の誕生日だ。
当日と前後2日を含む3日間は無礼構となる。
普段は厳しい訓練に明け暮れる兵士達も皆祭りを楽しんでいる。
そんな馬鹿騒ぎなど関係ないと、柳は部屋で静かに本を読み過ごしていた。
導師は祝典に出席する為に不在だったが、代わりに警護の兵士が一人置かれた。
柳は部屋では一人ゆっくりと過ごしたいからと言い、その男を扉の外へと追い出した。
しばらくは大人しくしていたが、丁度一冊読み終える頃に扉を叩く音がする。
「殿下にお食事をお持ちしました」
その声が耳に届いた途端、柳は激しい違和感を覚えた。
扉の前にいるはずの男の声ではない。
懐かしい、ずっと以前に聞いていた声だ。
まさか、とそれまでゆったりと座っていたソファから立ち上がり、開かれる扉の方を見た。
だが入ってきたのはこの国の兵だった。
余程故郷が恋しいらしい、仲間の声と聞き間違えるとは。
そう思い、力なくもう一度ソファへと体を沈めた。
外の喧騒に混じり、ガラガラと押されるワゴンがすぐ側までやってくる。
だが先程の勘違いが心への負担をかけ、とても食事を取れるような気分ではない。
「今はいい、後で食べるから…そこへ置いておいてくれ」
暗に早く出て行けと言ったつもりが、次に男から飛び出す言葉に柳の思考は止まってしまった。
「なーんだよ柳ー!腹でも痛ぇのか?俺が全部食っちまうぜ!」
「え…?」
「いけませんね。どこかお加減でも…?…おい、マジで食われちまうぜ!早く食えよ柳!
……どうした、蓮二。三度の飯を食わんとは何事だ。たるんどるぞ!……フフッうるさいよ。蓮二はお前と違って繊細なんだから」
次々と出てくる七色の声。
顔は違う、だがその声の主は紛れもなく、
「仁王……」
「久しぶりやの」
特殊な化粧ですっかりと別人の顔となっているが、嫌味ったらしく歪められる口元は紛れもない、祖国に置いてきた大切な仲間のものだった。
「ど…どうして…何故!!」
「祭の間は警備も手薄になるからのぅ…不法侵入なんて簡単なもんじゃよ」
懐かしい再会に、感動よりも驚きが先に立つ。
まだ何が起きているか理解できずに呆然とする柳の肩を叩く。
「しっかりしんしゃい」
「あ…ああ……あ、そうだ!あか…」
「赤也なら無事じゃ」
その言葉が気休めやペテンでない事は長年の付き合いで解る。
確かに悪ふざけの多い男ではあるが、こんな場面では真実のみを簡潔伝えるのだ。
「よ……か、った…よかった…」
「前みたいに運良く傷が浅く、とはいかんかったけどな…何とか手術も成功して今は安静にしとるぜよ」
顔を手で覆い長大息を吐く柳の肩を叩いた。
「すまんがゆっくりしとるヒマはないんじゃ」
「……何?」
珍しく切羽詰った声が柳を焦らせる。
一体何だと顔を跳ね上げた。
「この祭が終わったらヘベがセトに侵攻するって話なんじゃよ」
「どういう事だ?!約束と違う!!」
「元々守るつもりなんてなかったようやの。お前さんを国から遠ざけて戦略を練れんようにするのが目的やったんかもしれんの」
「そ……んな………何の為に俺は…」
再び俯き動かなくなってしまった柳に、仁王は気遣いつつも口早に言った。
「兎に角、時間がない。宣戦布告もなく侵攻する事は間違いないから…その前にお前さんを連れ帰る。今国の陣頭指揮取れるんはお前さんだけじゃ」
「だが、そんな事をしては揚げ足を取られるのでは…?俺が逃げ出したから、侵攻したと」
「俺が残って時間を稼ぐ」
「何?」
確かに何度も仁王には影の役割をしてもらっていた。
だが今は敵陣なのだ。
見つかれば何が起きるか想像に易い。
「…いや、駄目だ。お前を置いてはいけない」
「俺の事はええ。お前さんは国と…赤也の事だけを考えとき」
「だが……」
「二日後、国境を越えた先…例の保養地で幸村達が待ってるから、そこまでは一人になるけど…大丈夫やの?」
悲壮な顔のまま返事をためらう柳を説得するよう口を開きかけた、その時。
扉の開く音と同時にする声に二人は凍りついた。
「俺が国境まで案内します」
「――っ導師!何故…導院へ戻ったのではなかったのか?」
「もう祝典は終わりました。騒がしいのが苦手だから…宴には出ずここに戻っただけです。
それより、国境を越えるならかつてここを支配していた一族が逃げ延びる為に作ったと言われている秘密の街道があります。
俺がその道を辿り、あんたをセトに帰します」
思わぬ提案に二人は顔を見合わせ驚いた。
導師である彼が人を騙すような真似はしないだろう。
まして彼はとても真面目で誠実な性格なのだ。
二人を策略にはめようなどという空気は微塵も感じない。
だが解らなかった。
何故彼がこのように手を差し伸べるかが。
「…貞治の意思に…背く事となるぞ」
「俺は俺であんたに借りを返したいだけだ」
「借り…?」
「…あの日庭で…いや、それだけじゃない。この城で、俺を助けてくれたのはあんただけだ。その礼を…させてください」
柳にとっては何でもない事だった。
だが身を削り、労を呈して手当てをしたあの柳の行動は孤立していた彼を救ったのだ。
「しかし……もしあいつにバレればお前も無事では済まんぞ」
「それでも、あんたは国に帰るべきだ。本当にこの国があんたの国を侵攻したとしても……祖国と共に戦うべきです。
もちろん、俺は…俺達はそんな事をさせないよう全力で戦いを止める」
意志の強い、真っ直ぐな導師の瞳を見て、柳の心は決まった。
「…解った。お前の言葉を信じよう。仁王も、すまないが…しばらくの間はよろしく頼むぞ」
「…じゃ、2日後迎えに来るからそれまでに旅の準備しときんしゃい。くれぐれも見つからんようにな」
「お前も、気をつけて」
食事を運んできたワゴンを押し、再び出て行く仁王の背中を見送ると再び室内に静寂が訪れる。
暫くはお互い黙ったままでいたが、不意に導師が口を開く。
「たとえ何があっても…どんな苦境も……こんな場所で一人助かるより、最後の時まで大切な人の側にいるべきです」
「…導師……」
「すっ…すいません…縁起でもない事を…」
暗にセトの終わりを告げる言葉に柳の表情が暗くなるのに気付き、導師は慌てて頭を下げた。
「いや…今のままではそれも避けれん運命だな…俺が帰ったところで変わる事もないかもしれん。しかし…俺はそれで幸せだ。だから…ありがとう、導師」
「いえ……俺はここで、出来る限りの事をします。あんたや、あんたの大切な仲間も…祖国も死なせない」
「そうか…頼もしいな。だが無理だけはするな。お前がいなくなれば…貞治が悲しむ。もちろん、俺もだ」
その言葉に少し驚いた顔を見せ、導師は静かに頷いた。
【続】