セト Last

翌日は準備と休養にあて、明日の移動に備えた。
導師の提示した街道は国境までの最短距離ではあるが、その分森や野山を抜ける道で険しいものだ。
その事を導師はしきりに心配していたが、親王時代より騎士達と共に多くの時間を過ごしていた柳はただ王座に座っていただけの女王ではない。
武人としての才と文人としての才を十分に兼ね備えている。
それに安堵した導師は夜明けと共に出立する事を決めた。
結構の日、兵卒の服に身を包んだ二人は暗闇の中、仁王がやってくるのを部屋で待った。
約束通り現れた仁王が無事であった事に少なからずホッとする。
「じゃあ…柳の事は頼んだぜよ、導師」
「はい」
「仁王…もし何かあれば、一番に身の安全の確保を考えろ。国のしがらみなど考えず、逃げるんだ。解ったな?それが約束できないのなら、俺は行かない」
「ああ、命あっての物ダネなんはお互い様じゃ。お前さんも、気ぃつけてな。赤也との約束、忘れんなよ」
何があっても生きろ、と強く願っていた赤也の言葉を思い出し、柳は深く頷いた。
「早く出発しましょう。丁度兵の交替時間でどこも警備も手薄になっているはずです」
荷物を手に、部屋から出ようと導師が扉に近付く。
だが独りでに開く扉に全員身を強張らせた。
一瞬早く仁王だけは大きなソファの影に隠れたが、現れた人物に息を飲んだ。
「さ、だ…はる……」
よもやここで邪魔が入ろうとは、柳と仁王は顔を歪める。
だが次に出た言葉を誰もが一瞬理解できなかった。
「…俺が行こう」
「な…何?」
「俺が蓮二を国境まで導き、蓮二をセトに引き渡そう」
何故この事を、と驚く導師の顔に彼が密告したわけではないと察した。
ならばどうして、と誰もが思った。
しかし、それも今はどうでもよい事だった。
「お前はここにいて、蓮二がいなくなった事を誰にも気付かれないようにしてくれ。解ったな?」
乾の命令は絶対だ。
導師が背くはずもなく、戸惑いながらも頷いた。
「貞治…どうして…」
「その話は歩きながらしよう」
乾は側近がいつも着ている平服を柳に渡すと、着替えるように言った。
そうしなければ話は進まないだろうと、柳は頷き着ている服の上から手早くマントを羽織った。
そしてまだ物陰に身を潜めている仁王に向けて言う。
「仁王、お前も来るんだ」
「…何じゃと?」
思わず声を上げてしまい、隠れていられなくなった仁王は立ち上がり柳の元へと歩いていく。
「親王を一人出歩かせるつもりか?お前は、俺の供として連れて行く」
この事態を受け、早々に作戦を切り替える事を決めたのだと柳の表情が物語っている。
こうなれば彼を説得するのが至難の業である事は必至、仁王は仕方なしに頷いた。
「すまんがお前さんの法衣、借りるぜよ」
乾の側を歩くのであれば導師の姿が一番だ。
そう考えた仁王は脱ぎ捨ててあった青の法衣を身に纏い、フードを深く被った。
「じゃあ行こうか」
出立の準備が整い、扉を開けて外へと促す乾に柳は少し待つよう手で制する。
そして部屋の中央に立ち尽くしたままの導師に向けて言った。
「導師、ありがとう。本当に世話になったな」
「いえ、こちらこそ…ありがとうございました」
「次に会う時、敵とならないよう…毎日の祈りの最後にでも付け加えておいてくれ」
「わかりました。必ず」
「ではな」
深々と頭を下げる導師の見送りを背に、三人は足早に部屋を後にした。
セトの王宮など目ではない程の広い廊下を抜け、馬厩にいる長距離移動に適した馬を二頭連れると兵の少ない場所を選び城の外へと出た。
一頭に乾が、もう一頭には仁王と柳が跨り細く暗い森の小路を全力で駆け抜けた。
何度も道を曲がり、野を越え、朝日が少しずつ頭上の梢の合間から零れているのを眺めながら、柳の思いはすでに国へ、大切な人々の元へと飛んでいた。
そして道が少しずつ開けていく頃、唐突に乾は馬を止めた。
「貞治?どうした?」
「あとはセトまで一本道だ。ここからは案内も必要ないだろう」
「そうか、ありがとう貞治。だが…」
「何故、こんな事を、と?……そうだな…気まぐれでない事は確かだ」
そんな事は百も承知だと胡乱げな表情を見せる柳に乾は苦笑いを返した。
「……ずっと俺はお前が妬ましかった。何をしても、どんな事にも勝てないお前にずっと嫉妬していた。
才能にも、恵まれた環境にも、戦わずして手に入れられる平穏にも。
だから全てを奪ってやろうと思った。勝てないのなら、蓮二ごと手に入れてやろうと思ったんだ」
「…そんな感傷に付き合ってやる道理はないぞ」
言いたい事はたくさんあったが全て飲み込み、柳は呆れた表情でそう返した。
「そうだな…だからこそこうしてお前を……お前を待つ人達の元へ返そうと思い直した」
「なるほど。俺や導師の行動も全て予想通り、というわけ…か」
「長く一緒に居たのは俺も同じだよ、蓮二」
かつては騎士達と同じく王宮で長く過ごした幼馴染であった過去は今でも変わらない。
柳は馬を少し近付けるよう仁王に言い、乾に向けて手を差し出した。
それを握り返すと乾は馬を元来た道へと向けた。
しかしすぐに歩を進める事はせず、二人に背を向けたままぽつりと呟く。
「蓮二、あと一つ。もしこの国がセトに侵攻した時に……蓮二だけでも助かってほしかったんだ。信じてくれるか?」
「……余計なお世話だったな。俺一人生き延びてどうなる。俺の命は国と共にある。そして俺の運命の全ては赤也と共にあるのだ」
背中合わせのこの状態が、まさに二人の今を象徴している。
声を掛け合う事もなく、静かに遠ざかる蹄の音を聞くと柳は仁王に馬を出すように言った。
仁王が腹を蹴り、手綱を引くと馬は徐々に速度を上げていく。
先刻乾に強く握り返された掌に感じる微かな痛みを和らげる為にと、柳はそっと胸のソルを握りしめる。
少しずつ速くなる風景を遮断するように瞼を下ろすと、後ろを振り返る事もなくただ只管に大切な者の無事を祈り、そして再会を願った。
「……赤也…今行こう…お前の元へ…」
「何か言ったか?」
風を切る音に阻まれ、柳の呟きは仁王には届かなかった。
何も返さない事に、大した事ではない独り言だったかと仁王は手綱を持ち直し、更に速度を上げる。
秘密の街道というだけあり、国境に何かがあるわけでもなく徐々に眼下に広がっていく砂漠を見て仁王はそれを確信した。
そして保養地の中央に建つ大きな建物を目指し馬を進める。
木で出来た大きな門を前に立ち止まると、出迎えを呼ぶ鐘を鳴らした。
「…柳、帰ってきたぜよ…お前さんの国に」
だが言葉が返ってこない事に仁王は後ろを振り返る。
すると目に飛び込んできたのは真っ青な顔をした柳だった。
「どっ…どうした柳っ!どっか具合でも…!!」
「…ふっ………ど、やら……まんまと騙された…ようだな…」
自嘲気味に唇を歪め、目の前に突き出す掌を見れば小さな傷が付いている。
それが真新しい事に別れの握手の時に付けられたものだとすぐに気付いた。
「遅効性の毒物だろうな……すぐには死なないだろうが…のんびりもしていられないようだ…」
「くそっ…あいつの言ってた全て奪うって…こういう事やったんか!」
仁王は急いで馬から柳を下すと、着ていた法衣を裂き、腕の付け根をきつく縛った。
だが毒はすでに体中に回り始めている事は目に見えて解る。
早く解毒しなければ取り返しがつかなくなる事は必至だ。
「蓮二!おかえ……り…」
鐘の音を聞きつけ、笑顔で出迎えにやってきた幸村始めとするかつての騎士達はその事態が飲み込めず、ただ呆然と立ち尽くした。
「毒を盛られたらしいんやが詳しい話は後じゃ!早う中で手当てを!」
「蓮二!しっかりしろ!!蓮二!」
「う…るさいぞ…弦一郎…」
なるべく体を動かさないよう四人がかりで運んでいる最中、耳元で何度も叫ぶ真田にうっとうしそうな顔を返す。
その様子に皆安堵したが、すぐに意識を手放そうとする柳に皆の悲痛な叫びが柳の鼓膜を裂く。
「おい柳!!ふざけんな!これで終わりとかなしだからな!」
「しっかりしろよ柳!もうすぐだからな!」
丸井やジャッカルの声に小さく頷くのを見て、再び安堵する。
慌ただしく建物に入ると一番近くの客室にあるベッドに柳を寝かせた。
そして柳生は力なくぶら下がる手を取ると脈を取り、今どんな症状が出ているかで毒物が何であるかを突き止めた。
「柳君!気を確かに!必ず助かりますから!」
だがその血清はここにはなく、ここと隣接する柳が個人所有していた研究所にあると言う。
それを聞くや否や、真田は部屋を飛び出した。
「もう…かれこれ二時間は経過しとるぜよ…今からでも間に合うんか?」
隠しきれない仁王の不安げな声を打ち消すように、幸村は浅い息を繰り返す柳に向けて力の限り叫んだ。
「赤也との約束を反故にする気か!!そんなの絶対に許さない!蓮二!お前を嘘吐きになんかさせないからな!!赤也は今もお前の帰りを待ってるんだ!」
「ああ…わかって…る…せ……いち………」
何があっても、生きるのだ。
生きて再び会える事を願って、そう互いに誓った。
何より、柳には強い思いがあった。
「赤也が………二度も命をかけ…守ってくれたこの命だ…そう易々と…手放して…たまるか…」
この思いは何よりも尊く、何事にも侵され難いものだ。
そう信じていたからこそここまで帰ってくる事が出来た。
柳は今目の前にいない大切な人の代わりに、その思いの拠り代でもあるソルを握り締めた。
「赤也……必ず、お前の元へ…」
静かにそう呟くと、重くてならない瞼と唇を閉じる。
そしてその裏に映る太陽のような笑顔を見つめると、柳は静かに微笑んだ。


俺はお前がいてこそ闇夜を照らせる月となる。
赤也のいない世界など、あの世もこの世も地獄と同じ。
俺はただ、お前のいる場所へ―――

【EndlessL∞P】

 

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