セト14-2

ありがた迷惑な忠告を聞き入れ、水だけは口にするようになったがどうしても食事をする気にはなれないでいた。
相変わらず部屋の窓際に座りぼんやりと庭を眺めるだけの繰り返しだった。
定時に図ったように食事を運びにやってくる侍女以外の誰とも会わないまま、2日が過ぎた。
流石に焦悴しきり、動く事もままならなくなっていたが不思議と最悪の道を選択する気持ちは湧いてこない。
そんなただひたすらに静かに過ごす柳の元に、意外な訪問者がやってきた。
大きな扉を叩く音がして、それに返答すると両開きになった先から食事の用意の乗った盆を手にした男が入ってくる。
「お前は……あの時の」
「先日は、ありがとうございました」
盆を部屋の真ん中に置かれた大きなテーブルに乗せ、深々と礼をする男は庭で柳が助けた者だった。
「怪我はもういいのか?」
「おかげさまで……もうすっかりと」
「そうか、よかった」
食事には目もくれず、再び窓の外を見る柳に、男は遠慮がちに言葉をかける。
「あのっ……もう5日も何も食べていないと聞いています。このままだと倒れちまう。だから…一口だけでも食べて下さい!」
その切羽詰まった声に柳は振り返った。
今まで食事を運んできていた侍女達の機械的な言葉とは異なり、本当に心配でならないといった様子に柳はやれやれと立ち上がる。
おぼつかない足取りで食事の前に座ると男は驚いた顔を一瞬見せ、急いで器の蓋を開けていった。
「口に合うか…解らねえけど、味付けは薄い方がいいと閣下から聞いていたから…」
「これを作ってくれたのか?お前が?」
不安げな表情で頷くのを見て、柳はやれやれと溜息を吐いてから匙を手に取った。
そしてスープを一口、口に運んだ。
「うん…美味い。とても優しい味がするな」
柳の言葉を聞いて、よかった、とあからさまにホッとする様子を見て思わず笑みがこぼれる。
「な…何っスか…」
「いや、座ったらどうだ?」
広いテーブルを挟み、向き合って座る事は不自然だろうと柳が自らの隣の席を示す。
何度か勧める、断る、のやり取りをしたが、結局男の方が折れて遠慮がちに腰を下ろした。
柳は器から視線を外し、落ち着き無くそわそわとする男に視線をやる。
「青の法衣……導師だったのだな」
「あ…はい…そうっス。まだ見習いなんですけど」
「そうか。軍神アレウスに仕える導師は前帝国時代に酷い迫害を受けていたと聞いたが…」
なるほど、そんな境遇から彼を救う為に今のこの国を作ったのかと漸く納得がいった。
セトが太陽を神と崇める国であれば、ヘベは戦いの神を崇める国だ。
国のあちらこちらに点在する神殿や導院には彼のような神に仕え人々に布教、奉仕する導師が存在する。
彼らは軍事大国であるが故の国内不安を抑える為の拠り所でもあった。
そして国の司法機関も兼任していて軍部と双璧をなす重要な場所でもある。
数日前の柳の見立てはあながち間違いではなかった。
この男は見習いではあるが、そんな国の中心部にいる存在なのだ。
かつて乾が崩壊させた国では帝国総帥を唯一神として崇拝させる為に徹底的な宗教迫害を行っていた事は柳も知っていた。
その理不尽から解放したかったのだ。他の誰でもない、大切な人の為に。
「あの……俺、閣下より貴方の世話係をするように言われました」
「そうか…よろしく頼む」
「いっ、いえ…こちらこそ…」
頭を下げて言うと、男も慌ててそれに倣った。

その日より導師は侍女に代わり柳の世話をする事になり、1週間が経った。
礼儀正しく、口数も少ない彼はまるで空気のように柳に添い、そんな様子に柳もここに来た頃よりは穏やかに過ごす事が出来た。
最初に出会った時、すでに柳が誰であるかを知っていた。
乾からどのような経緯でここへやって来たかを聞いていたようで、しきりに気遣う様子を見せた。
そして日がな一日胸のソルを握り締め、何やら祈りを捧げる姿をいつも悲しげな表情で見ていた。
「…どうした?これが珍しいか?」
「はい…話に聞くだけで…実物は初めて見ましたから」
「これは特別な……大切な人から貰ったものだ」
柳の言葉に一瞬彼の表情が曇るのを見逃さなかった。
全てを悟り、だがそれを胸に納めておけるほど柳の心中は穏やかでなかった。
「何があったか、知っているようだな」
「俺が…謝る事でもねえし、俺から謝られてもって思うかもしれない。
だから謝らない…けど俺の知ってる真実は、全部話す。たとえそれが閣下の意思に背く事だとしても」
意志の強い瞳に射抜かれ、何も言えなくなった柳に導師は言葉を重ねる。
「あんたの騎士を、殺そうとしたのは……貴方に里心が残らないようにという、非道なものでした」
「……そうか…」
「けど、それは…閣下の意思ではありません!!確かに、それを指示した側近連中を止める事をしなかったので同罪かもしれない…
けど、本当はあの人もそんな手に出たくなかったはずだ!」
声を荒げ、必死に弁護する姿に彼が本当に乾を慕っている事が解る。
そして乾の通る道が必ずも正しくはない事も解っているようだ。
だが声に出し逆らう事など許されるはずもなく、こうして言う事が彼の、彼自身の贖罪にも繋がるだろうと柳は黙って言葉を聞いた。
「……すみません今更こんな事…」
しかしそれ以上の言い訳はせず、肩を落とした。
どこまでも真っ直ぐな男だと柳は少し笑みを漏らす。
そんな彼を救う為と、そして柳自身の心に重く圧し掛かっていた黒い霧を吐き出した。
「あやまらなくともよい…誰も恨んでなどいない………赤也を殺したのは…俺だ」
「え…?」
柳は脳裏に浮かぶ最後の瞬間に、少し体が震えてしまった。
それはすぐに全身へと伝染していく。
震える肩を自らの手で抑え、感情を抑え、言葉を続ける。
「あの程度の刺客……あの至近距離で、よけられないはずがなかったんだ!あいつなら…赤也なら必ず避けられていた!!……なのに…しなかったんだ…あいつは………俺に…剣先が向かないよう……俺をかばった…それだけなんだ……もう無茶はしないと約束したはずなのに…っっ!…」
肩を、全身を震わせ絞りだすような声で悲痛な叫びを漏らす柳に何と声をかけて良いか解らず、導師はただ呆然と立ちつくす。
「だが俺は……無事でいてくれと願う反面…もしこのまま会えなくなってしまうのなら…いっそ命を落とせばいいと思ってしまった…あいつが他の主人に仕え、いずれ妻をめとり、俺の知らない場所で他の者の目に映ろうなど……嫌で仕方なかった!それならいっそ……諸共に―――っっ!」
「殿下…」
「俺は赤也を二度殺した!!こんな汚れた思いで!っ…赤也!赤也っっ!!」
「殿下落ち着いてください!!」
涙も流さず、思い詰めた表情で何度も赤也と叫ぶ柳を、導師はソルを握る柳の手の上から自らの手を重ねる。
そして落ち着くようにと何度も手の甲を撫でた。
「貴方は…本当はどうしたいのです…?自分の胸に手をあて、よく考えて下さい」
導師の冷静な声に漸く落ち着きを取り戻した柳は震える唇を開く。
「俺…は、生きていて……ほしい…赤也に…たとえ二度と会えないとしても…次に会う時…敵対しても…それでも…赤也には生きていてほしい」
導師は握った手をそのまま引き、柳を窓際まで連れていった。
そして分厚い遮光カーテンを開けるとはっきりと言い切る。
「大丈夫です。貴方の心の真実はちゃんと届いている。この国から見える太陽も、あんた達の母なる太陽と同じですから。あんたは彼と同じ空の下、太陽の下にいる事を忘れないで下さい」
導師の言葉を受け、柳は窓の外を見上げた。
どこまでも透き通る青の中心に輝く金色がまぶしい。
本当に彼の言う通り、まだ赤也は生きているのだろうか。
柳は何度も何度も自問自答を繰り返した。
「そうだ……もう赤也は…約束をやぶったりなどしない…絶対に」
「え?」
「赤也は俺に言ってくれたのだ……何があっても絶対に俺を遺して死なないと…だから無事だ…きっと」
太陽を見上げ、穏やかな表情を浮かべる柳は先程までとは別人のようだ。
導師はホッとしてそっと手を離した。
だがそれを追いかけるように今度は柳から手を握る。
「ありがとう、導師。少し心が軽くなった」
「いや…別に……俺はただ、話を聞いただけっスから」
「今の俺に必要だったのはそれだ。誰かに告解したかったのだ…間違えた思いを抱いてしまった事を懺悔したかった…だから、ありがとう」
柳のまっすぐな言葉に照れた導師は赤い顔を隠すようにうつむき、頭を下げると食事を取りに行くとごまかし部屋を出て行ってしまった。

【続】

 

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