セト13-2

果たして、乾の言葉通り、輿入れまでの中二日間はそれまでの張り詰めた空気が嘘のように穏やかな時間だった。
赤也は新女王の騎士となる予定だったが、幸村の計らいにより柳が国を離れるまでは何の役職にもつかず、誰にも会わないまま王宮にある自室に閉じこもっていた。
無位のままでは話す事すら叶わない人だったのだ。
そんな人を好きになり、そして相手も自分を必要としてくれていた日々がまるで夢物語のようだったとぼんやり懐古していた。
時折心配した丸井や桑原が部屋を訪れて来たが、話す気にはなれなかった。
総じて過ごす事の少なかったこの部屋は酷く居心地が悪い。
まるで他人の部屋にいるようだと赤也は部屋を見渡す。
自分の居場所はあの離宮の片隅にある、あの人のいる場所だったのだと改めて思う。
そしていよいよ、別れの朝を迎えてしまった。
珍しく一睡も出来ないままに朝が来てしまい、鏡に映る顔は酷い有様だ。
柳に見せる最後の顔がこんなものでいいのか、と思った。
だがかぶりを振りそれを否定する。
最後ではない。
必ずここへ連れ戻すと約束したのだ。
その日までの、少しの別れと信じるしかない。
赤也は久々の軍服に袖を通し、ボタンを留めようと視線を落とした先にある金色に目が奪われた。
柳からもらった、彼の大切なソルが朝日に反射する。
瞳と同じ色の守護石が、まるで彼からの視線を代理するよう赤也を照らし出す。
「赤也、準備は出来たか?入るぞ」
外からする幸村の声に力なく返事すると、間髪入れずに扉が開いた。
「何だ…まだ着替えてなかったのか?もう時間だよ」
「すみません……すぐ着替えます」
「ストップ」
慌ててボタンを留めようとすると、幸村がそれを制した。
一体何だ、と顔を上げると幸村は赤也の胸元で光るソルを見て酷く懐かしそうに目を細めていた。
「それ、蓮二のだな」
「あ…はい、俺の持ってたのと交換して…」
「そうか…フフッ懐かしいな。昔な、散々困らせたんだよ、俺。どうしてもそれが欲しいんだって言ったけど蓮二は絶対触らせてもくれなかった」
「そうだったんっスか…護符みたいに癖で持ち歩いてただけだって言ってましたけど」
「ま、あんな性格だからね…神様なんて信じてると思われたくなかったんだろう。だけど最も尊敬する母上から貰ったそれを一番大切にしてたよ、蓮二は」
そんな大切なものを、と赤也はそれを手に取り、柳の瞳と同じ色をした守護石を眺める。
「赤也。これまでもこれからも、蓮二にとっての絶対なんだよ…お前は。だから、そんな酷い顔で見送ってやるな。
……笑って見送れなくても、せめて蓮二を心配させるような旅立ちにはしないように」
「……わかり…ました…」
幸村の言葉に改めて己のあるべき意識を取り戻した。
そう、これは旅立ちであり別れではない。
いずれここへ帰る人を、何故涙で見送らねばならないのか。
赤也は部屋の隅にある水桶で顔を洗い、寝不足に崩れた顔を引き締める。
そして襟を正し、全ての装備を身に付けた。
「よし、行くか」
「はい!」
幸村に背中を押され部屋を出た先の廊下には見慣れた騎士の面々があった。
「なーにやってんだよ。遅刻してんじゃねぇよ!」
扉のすぐ横に立っていた丸井が軽い調子で頭をはたき、その隣にいたジャッカルも苦笑いを浮かべながら便乗する。
「俺らどころか、王族まで待たせるなんて大物じゃのぅ赤也は」
向かいの壁に背中を預ける仁王も赤也に近付き、頭をはたく。
手荒いが、それが逆に心地よい鼓舞となり赤也の力となる。
「まったく、こんな大切な日に時間を守らんとは…たるんどる!」
「うるさいよ、真田。お前こそこんな日に怒鳴るな」
本格的に説教しようと構える真田を後ろへ追いやり幸村が赤也を表へと続く廊下へと押し出す。
無駄に広い回廊を抜け、宮殿の表玄関へとさしかかる
「もう柳君はお待ちですよ」
大きな柱の影に立っていたのは柳生で、少し先で女王や女大公、その夫君との別れを惜しんでいる柳を示す。
真っ白な異国の服に身をまとう柳はまるで違う人のようだとぼんやり眺めていると、こちらに気付いた。
顔を覆うベールもない為に表情を見る事が出来る。
旅立ちにふさわしく晴れやかな表情に一同ホッとした。
そして柳は柔らかそうな綿の服を翻し、かつて自分に仕えていた騎士達の方に体を向けた。
「皆も、短い間ではあったが本当にご苦労であった」
「はっ」
柳の前に立つと全員が敬礼をし、ひざまずく。
だがそんな彼らの姿を見て、柳は少し笑ってみせる。
「いや、違うな…」
「え?」
「俺達はこれからも変わらん。ずっと親友で、大切な仲間だ。それだけは変わらない」
「……そうだな、お前の言う通りだ。こんな辛気臭いはなし!…元気でな、蓮二」
幸村は立ち上がると敬礼していた右手で柳の肩を威勢よく叩いた。
それは閉鎖空間でのみ許された態度であったが、女大公は咎める事はせず、無礼だとざわめく家臣達を一喝した。
「じゃーぁな、柳!」
いつもの軽い調子で幸村と同じように肩を威勢よく叩く丸井、
「体に気をつけろよ。気候とかここと違うだろうしな」
いつ何時も相手を気遣う姿勢を崩さない桑原、
「そうですね、本当に…お体だけは、くれぐれも……」
同じように気遣いの態度と少し寂しげな表情を見せる柳生、
「またな」
少し後ろで手を振り、何でもないといつもの表情を崩そうとしない仁王、
「蓮二……俺達は…いつもここにいる」
一番泣きそうになかったしかめっ面は、最も涙に近いかもしれない真田、そして。
「……赤也…」
「柳さ……」
力強く言葉を出そうとするものの、途中で言葉を失った赤也。
うつむき、涙を堪えるように何度も深呼吸をすると、漸く柳に笑顔を向けた。
「いってらっしゃい」
「ああ、行ってくる。戻りは早いから、必ず出迎えを」
「はいっ!」
「もう別れの挨拶は済んだかな?」
見つめ合う二人の空気を割くように、柳の後方から声がした。
部下を引き連れた乾が大きな六頭立ての馬車の前からやってくる。
「蓮二、そろそろ時間だよ」
「そう急くな。今行く」
それ以上は近付くなと視線で制し、柳はもう一度赤也に向き合う。
見つめ合い、刹那、柔らかい笑みを浮かべる柳に笑みを返そうとした。
だが表情は固まり、大きく目を見開く。
「……赤也?」
「あ……やな、ぎ…さ………」
「どうした?」
腰の辺りに激しい衝撃を受け、焼けるような痛みがそこから全身に広がっていく。
赤也は柳の体の前に立ち、力を込め腕に掴まった。
「赤也?!」
無言のまま倒れ込む赤也を抱きとめる柳は、一瞬何が起きたか理解出来なかった。
だが真っ白な服が赤黒く染まる事に、全てを理解した。
「赤也!!赤也!」
「どうした、あか…」
すぐ横にいた幸村すら気付かなかった。
後方からやってきた、黒い装束をまとった静かなる暗殺者には。
「捕えろ真田!!赤也が刺された!!!」
その場の誰もが幸村の声に何が起きたのか漸く理解した。
大勢の見送りの兵の群へと消えていくその背中を追いかけ、真田と桑原がその場を離れる。
「赤也しっかりしろ!!」
腰に刺さったままの細長いエストックを伝い、真っ赤な血が止めどなく流れ出る。
その光景に、柳はかつてのように、否、それ以上に取り乱し狂ったように何度も赤也の名を呼んだ。
だが背後からする気配に振り返ると、乾の部下が立っていた。
「殿下を馬車へ。どうやらここは危険なようだ」
「なっ……こんな時に何を言う貞治!!正気か?!俺は行かん!」
乾の命を受け、部下達は柳の腕を掴み強制的に赤也から引き離した。
「蓮二!!……っ、仁王と丸井は女王陛下のお側へ!」
取り乱しながらも状況を把握し、幸村は未だ捕まらない暗殺者の存在を危惧して現女王の警護を命じた。
その声に心配そうにしながらも二人は走っていった。
そして意識の混濁した赤也を柳生に任せ、幸村は連れていかれようとしている柳を助けようとした。
だが屈強な兵に阻まれ、幸村ですら近付く事は出来ない。
「蓮二!」
「離せ無礼者!!!赤也っ!赤也!!!」
兵の群れの先で何度も赤也の名を呼び、手足を振り回し抵抗している。
「あ……っ、ぐっ…」
「切原君?!気がつかれましたか?!」
「っ―――あか、赤也!!」
柳生の声が聞こえたのか、柳は一層に暴れて自らの腕を掴んでいる男達を振り払おうとするが叶わない。
「な…ん、て…声………出して…んっ…スか……柳さ…」
涙こそ見せてはいない。
だが泣いているかのような悲痛な叫び声に赤也はうつろな瞳でそれを追う。
「やく、そく……したじゃないっスか………だ、じょ……うぶ…俺は…」
小さな囁くような声は赤也の体を支えている柳生や近くにいた幸村にしか届かない。
取り乱し、叫ぶ柳には届いていないだろうが、赤也は言葉を続けた。
「俺……は、……必ず………生きて、アンタのこと……守る…から……」
そんな顔しないで、笑って下さい。
その赤也の声は音にはならなかった。
意識を失った赤也の耳にはつんざくような柳の悲鳴だけが届く。
大きな声で言って、あの人を安心させたいのに鉛の如き体は言う事を聞こうとしない。
どうか届けと何度も心の中で叫び続けた。
俺は必ず約束は守ります。
必ず、生きて貴方の側にいます。
だから馬鹿な事は考えず俺を信じて、待っていて下さい。
赤也はありったけの力を振り絞り、胸元を飾るソルを強く握り締めて誓った。

【続】

 

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