セト12-3

その法則に気付いた時、柳は重要な選択を迫られた。
今のままでいるか、それとも。
こんな事は一人では決められないと、柳は迷わず幸村に相談する道を選んだ。
即位式を明日に控え、王宮に戻った柳は執務室へと幸村を呼びたてた。
「……赤也が?」
「ああ…恐らく狙われているのは俺ではない。赤也の方だ」
気配は常にあった。
しかし護衛に赤也が付いている時のみ敵は牙を剥くのだ。
そして今日、王宮に到着した途端物陰から飛び出してきた暗殺者が狙っていたのは確実に赤也だった。
「どういう事だ…?何故赤也が…」
「……一度はよしと言ったが…やはり俺一人の方が都合がいいからだろうな…従者は赤也以外を連れないというのが条件だ…今のうちに殺してしまえという事か」
卑怯な、最初から条件など飲むつもりにしていなかったんじゃないかと幸村は舌打ちする。
「なあ精市…どうすればいい?俺はもう…あいつを危険な目に遭わせたくない」
「蓮二……」
最後まで共に、と言っていたがそれすら叶わなくなってしまうのか。
今にも崩れ落ちそうな表情で顔を伏せる柳の背中の擦り、何度も逡巡するが上手い慰めの言葉は浮かばない。
だが幸村は決断を下さなければならなかった。
とても残酷な決断を。

翌日、即位式は無事に行われた。
心配されていたような問題は何もなく、滞りのない進行がいっそ不気味なほどだった。
まだ赤ん坊の女王が国を指揮する事など当然不可能な為、位を冠しただけで実質は先々代の、蓮二と内親王の母親が王位に復帰するようなものだ。
それでも新女王の誕生に国中は歓喜に沸き、各地で宴が催された。
王宮もまた然りで、無礼厚の宴が夜遅くまで繰り広げられていた。
そんな中、ここだけは別世界のように静寂に包まれているような蓮二の私室に赤也は呼び立てられた。
そして幸村の口から聞かされる言葉を信じられないといった表情で受け取る。
「なん…で……どういう事っスか」
「聞こえなかったか?辞令だ。お前は今日から女王の騎士として内親王様をお守りするんだ」
一度でちゃんと理解しろ、と言う幸村に、訳が解らないと食って掛かる。
「どうして…意味わかんねぇ!だって俺は!!」
「赤也。俺達は禁裏付の騎士団なんだ。代が代われば、新しい王に仕えるのみ。名誉の昇進じゃないか」
「嘘だ!!アンタら女王って位じゃなく、柳さん個人の為に働いてたじゃねえか!何で急にそんな事言うんっスか?!」
尤もな言い分に一瞬ひるんだ隙に、赤也は畳み掛けるように言葉を繋いだ。
「絶対に嫌だ!冗談じゃねえよ今更……俺は柳さん以外の為になんて動けねえ!たとえ本物の女王誕生だろうが何だろうが関係ねえ…俺の主は生涯アンタだけだ!」
幸村の隣で黙ったままだった柳に向け真っ直に放たれる言葉に酷く動揺させられる。
柳はそれを必死に隠し、出会った頃の態度を思い出しながらなるべく冷たい声を絞りだす。
「ここ数日を思い起こしてみろ。暗殺者に狙われているのはお前だ、赤也。だから……お前が…お前が側にいると、俺にまで危険が及ぶだろう。そんなの、迷惑だ」
心の篭らない空虚な言葉である事は柳も幸村も解っている事だった。
そしてそれが赤也に通じない事も。
「……んなの…そんなの…解ってた…解ってましたよ…けど、俺は…」
「赤也、お前は蓮二を殺したいのか?」
「そんな訳ねぇ!ふざけんな!」
「だったら言う通りにしろ!!………俺だって…こんな命令はしたくない…」
唇を噛み悔しそうにそう呟く、見たこともないような悲痛な表情の幸村に、赤也は何も言えなくなってしまった。
だが今すぐ決断を下す事は出来ない。
赤也は考えさせてくれと返事を保留して部屋を出た。
二枚の扉の外は祭りのように騒がしく、沈みゆく赤也の心境とは対照的だった。
自分の部屋に戻ろうかと足を踏み出した時、物陰でする気配に剣を構えたが、それが真田である事に気付きホッと安堵し剣を納めた。
「何っスか……アンタも説教に来たんですか?」
「…蓮二の側を離れる決心はついたのか?」
「出来ません……って言いたいとこだけど…俺が側にいると危ないんですよね…柳さんが」
寂しそうに呟く赤也に真田は溜息を一つ聞かせた後、ゆっくりと口を開いた。
「そうではない。蓮二は、自分が側にいてはお前に危害があると言いたいんだ…本当は」
「え…?」
「あいつの事だ…女王という重責のなくなった今、もしかすると外交不利の火種とも言える己の命を絶つ事ぐらいは厭わんだろう。そういう奴なのだ……だがそれにお前を巻き込みたくないと思っているはずだ。以前にお前が命を張り蓮二を助けた事があっただろう?…あれが…今も蓮二の心に重く残っているのだ… もうあんな目に遭わせたくない、たとえ離れていても、お前には生きていてほしいと願っている」
「生きてさえいれば、いずれまた会える日もくるかもしれませんからね」
暗闇からする声に驚き、その方向に視線をやると柳生や騎士団の面々が立っていた。
「我々だって諦めてはいません。必ず、必ず柳君をこの国に連れ戻してみせます。その時の為にも、貴方は必要な存在なんです」
柳生は騎士とは違い国に仕える存在。
だから柳に付き従う事は許されず、新女王の補佐官となり引き続き政の中心にいる事となっている。
それが悔しくないはずもない。
彼とて騎士と同じく柳自身の為に働いていたのだから。
そして主を失った他の騎士達も然り。
皆親友が異国に連れ去られるのを黙ってみているだけではない。
ナイト爵を失い、ただの一近衛兵に戻ろうとも諦めずに彼を取り戻す術を探し続ける。
そう誓った。
「大切になさい、ご自分の命を…柳君はそれを何より望んでいるのです。側にいてほしいと思うよりも、もっと、ずっと強く」
「………解りました…」
柳生の言葉に漸く決心のついた赤也は答えを伝えるべく、もう一度柳の部屋へと戻る。
そして命令を受け入れると伝えた後、しばらく二人きりにしてほしいと頼んだ。
恐らくこれがヘベへ向かう前、最後の逢瀬となるだろう事は誰しも思った事。
幸村は黙って部屋を後にした。
暫くは見つめ合ったまま沈黙が部屋を支配していたが、不意に柳は明かりを消して回り始めた。
窓から入る月明かりだけを頼りに、闇と静寂の中で二人は静かに抱き合った。
「赤也……赤也…」
「ねえ柳さん…」
腕の中で不安げに何度も名前を呼ぶ柳の髪をすきながら、赤也は一つの誓いを立てた。
「俺ね、前はずっと…アンタの為なら命張れるって、こんなもんでアンタ守れるんなら安いもんだって思ってた。けど今は違うから安心してよ…」
黙って言葉に耳を傾ける柳を抱く腕に力を込める。
「俺は死なないよ。絶対、アンタ残して死ねない。命かけて…そん時は守れたとしても、その次どーすんのって話。死んだらもうアンタ守れないじゃん。だから、俺は絶対に死なない。それだけは絶対に約束するから…アンタも馬鹿な事考えないでよ?」
もしもヘベで何かがあり、自ら命を絶つような真似をしたら絶対に許さないと暗に示し息巻く赤也を見て、
柳は一旦体を離すと服の襟元を緩め内ポケットから何かを取り出し赤也に差し出した。
「え…何これ……ソル?アンタの?」
「ああ…俺が生まれたから持っているものだ」
「へぇ、知らなかった。アンタ意外とこーいうの信じてんっスね。神様とか信じてないのかと思ってた」
「護符のように持っていただけだ…まぁ、お前が死にかけた時は…さすがに頼ってしまったがな」
あの時は王室に伝わるもので祈っていたが、これは柳個人が持っているものだ。
柳がそれをそっと赤也の首にかけると、胸元で守護石が月明かりにキラリと反射する。
「アンタの瞳と同じ琥珀ですね」
「ああ…俺が生まれた時に母が特別に作らせたものだ」
「うわっマジで?すっげー高いんじゃねぇんっスか?…俺の持ってるのとやっぱ違ぇな」
赤也も内ポケットに入れっぱなしにしてあったソルを取り出すと、柳の首にそれをかけた。
「俺が衛兵に志願した時にお袋がくれたんですよ。ひいばーちゃんに貰ったもんで大事なお守りだから何かあっても俺を守ってくれんだって」
「そうか…ずっとお前を守っていたのだな」
柳の持っていた重厚な純金製のものと違い、質素な木で出来たものだがよく使い込まれていて歴史を感じるものだ。
それをじっと眺めていると、赤也は柳の胸に手を当てた。
「これからはそれがアンタを守るんですよ。絶対外しちゃダメです」
「お前もだ。これからは肌身離さず持っているんだぞ」
「……何か、結婚式みたいになってないっスか?」
「そういえばそうだな」
セトでの婚礼の儀ではソルの交換が一般的で、それは王家にはない慣習ではあったが柳も知っている事だった。
「生涯縁のないものだと思っていたが…お前と出来て幸せだ」
互いの命を預け合うといった意味を持つ神聖な儀式に、柳は嬉しそうに破顔する。
その表情に安心した赤也はもう一度体を抱き寄せた。
「きっと少しの間です。また絶対ここに帰れます。皆その為に頑張るっつってるし……それ信じててください。俺は…ずっとここにいますから」
「ああ、信じている」
それが限りなく不可能に近い約束だとしても、絶対に最後まで諦めない。
そう思いながら二人静かに抱き合った。

【続】

 

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