セト11-2
庭を臨める静かな執務室に呼びたてると、幸村は柳の様子を伺いつつ、ここ最近何が起きているかの説明を始めた。
柳の手には丸井が投げ捨てた皺だらけの書類がある。
黙ったまま話に耳を傾ける柳は冷静そのもので、やはり感付いていたのかと幸村はこっそりと溜息を吐いた。
「……何とか言えよ…蓮二」
一通り話し終えた後も黙って書類に目を落としたままの柳に、すねた様子で幸村が口を尖らせる。
それがまるで子供のような様で、柳は場に相応しからぬ笑いを漏らしてしまった。
「話は理解できた。が……貞治の考えがまるで読めんな。何を考えているんだ…あいつは」
「そこだよ…思い当たる事も一つあるが……」
「そうだな。余程懐具合が芳しくないらしいようだ」
皺だらけの書類を再び丸めると、柳は机の下に置かれたごみ箱へと放り投げてしまった。
これ以上は見る必要がないと言わんばかりに。
「ならば金銭的援助という事でここは譲歩してもらう以外にないな」
「…それで納得するかな…相手は」
「してもらうしかない。お前には苦労かけるが…頼んだぞ、精市」
「ああ」
神妙な面持ちで頷く幸村に、柳は空気を和らげるように笑みを浮かべた。
「しかし俺が…そうか、まさかこの年で兄になる日が来るとは思わなかった」
「ふふっ…嬉しい?」
「そうだな……だが親子と言って遜色ない年の差だ。事実俺と母より年の差がある」
「あ、そうか。そうだね」
ただの吉慶であれば、国を挙げ喜ぶべき事だ。二人も、他の面々も諸手挙げて祝っただろう。
しかしその子はこの先必ずやってくる動乱を全て背負う運命を生まれながらに定められている。
その事を思えば一言、大慶という言葉では片付けられなかった。
沈黙が室内に落ち、柳の心遣いで和らいだ空気が少しずつ暗くなっていく。
どうしたものかと幸村が思案していると、扉の外で待機していた赤也が遠慮がちに室内に入ってきた。
「あの、入っても…いいっスか?」
「ああ、もう話は終わった。部屋まで連れてってあげて」
「了解っス」
赤也と入れ替えに出て行こうと幸村は扉に向けて歩いていく。
そして部屋を出る直前、赤也の耳元で言い残した。
柳には聞こえない程度の小声で、だが力強く。
「外で話は聞いていたんだろう?蓮二の事、頼んだぞ」
「えっ?!いや、あのっっ…あ、はっ…はいっ!」
彼の性格ならば、気にして耳をそばだてているはずだ、と。
それを見越し、幸村は扉の前を守る衛兵は下がらせ、その代わりに赤也を置いていたのだ。
幸村はプレッシャーをかけるよう赤也の肩を叩き部屋から出て行った。
それを見届け赤也は柳を連れて私室に戻り、ちらちらと様子を伺いながらお茶の用意をする。
「赤也」
「はっはい?!」
「聞きたい事があるのだろう?遠慮なく聞けばいい」
「いやあの……は、はい………じゃあ…えっと………何で閣下は…うちみたいな小国狙ってんスか…?」
列強に対抗するのならば、わざわざ外交を危ういものにしてまでセトのような小国にこだわるのではなく、もっと戦いに有利な国と同盟関係を結べばいい。
ならば何故ヘベはセトに固執するのかが解らないと赤也は常々思っていたのだ。
すると柳は思わぬ切り口で話し始めた。
「赤也…お前、出身は?」
「は?」
それが今の質問とどう繋がるのだろうと不思議に思うが、柳の事だ。
何か考えの事があってに違いないと赤也は生まれ育った故郷の名を言った。
刹那、考える素振りを見せた後、そこがどんな場所であるか思い当たったようだ。
「確かこの王宮の近くにある様々な商店の並ぶ小さな街だな。お前の家もそうなのか?」
「そうっス…日用品とか売ってる…フツーの店ですよ」
「そうか…ならば一昨年の悪天候にもそう影響は受けなかったのだな」
「ああ、うちはマシだったんスけどお袋の方の親戚は皆農耕地に住んでるんで結構大変だったんっスよ。あん時減税されてなきゃマジで村全滅してたって」
その減税案は確か柳が強行した政策だったはずだ。
それが何か関係しているのだろうかと思っていると、案に違わず柳はあの時のからくりを話し始めた。
「あの時…何故あのような大胆な政策に出られたか解るか?ただでさえ歳入の少ないこの人口の小国で、何かと歳出の多い危機的状況だというのに…」
「さ…さあ…解んないです…」
規模の大きすぎる話で安易に想像すらつかない。
首を傾げ、言葉の続きを好奇心旺盛な目で待つ赤也に、柳はこれは絶対に他言してはならない国家機密だと断りを入れてから語り始める。
「簡単な事だ。税収以外に収入があるという事だ、この国には」
「えっ……えぇ?!そっ…そんなもんがあるんですか?!」
「ああ…この国の地下には資産価値が付けられない程の豊富な地下資源が眠っている。それこそ、今の国家予算の何百年分にも値するほどのな」
「きっ…金脈とか、ですか?」
「それだけではない。いずれ世界の中心に立つであろう熱資源や宝石、鉱石…とにかく様々な鉱脈が入り混じる稀有な地なのだ、ここは。
有史以前あった大規模な地殻変動の所為らしい。ま、詳しく調査してみない事にはその形成はよく解らないが…かつてこの国が海であった事も原因かもしれんな」
初耳だ。
砂漠に位置しているせいでろくな農作物も育たないようなこの国で、そんなものが眠っているなど誰が想像しようか。
あまりの事に言葉の出ない赤也に、淡々と説明は続いた。
「俺が何故王宮でなくここへ留まるか…まぁ様々に理由はあるが一番はその地下へ続く入口を隠してあるからなんだ」
「えっ…この離宮に?!」
「別にどこかに扉があってそこを開けば、という意味ではない」
キョロキョロと首を回す赤也を見て、柳はおかしそうに笑いを漏らす。
馬鹿な事をしてしまったか、としょんぼりと肩を落とす赤也に説明が足りなかったな、と詫びて続けた。
「この建物そのものが蓋になっていると考えていい。他にも坑道や水脈を押さえている場所は多いが、ここが一番大規模なものだ。
そんな場所を空けておけば…よからぬ事を考える連中も出てくるかもしれんからな…特に俺は敵の多い身、何が起きるか解らないだろう?」
「って事は、皆知ってるんですか?大臣とかも」
「いや、国の中核も知らないはずだが王族ならば皆知っている事だ。いわば我らはその宝の山の守人のようなものだからな。
王族と、あとは騎士の面々は皆知っている」
「へぇー…そうだったんっスか……え、けど」
「ああ、資源がある、といってもそれを掘り起こして金を作ったわけではないぞ」
赤也の質問などお見通しだと柳は先回りして答えを口にする。
何故解ったのだと表情に出てしまっている赤也を見て少し笑い、話を続けた。
「そういう潜在的な資金源がある、という事で万が一来年度の税収が見込めなかったとしても予算の心配はないだろう。
だから国の…いわゆる貯金のようなものを切り崩したんだ。当然大臣はその資金源を知らないから猛反対をしたわけだが…
…幸いにも翌年からは天候に恵まれたおかげで地下資源の厄介にはならずに済んだのだがな」
「へぇー…あ、って事は」
「それだけの金があれば税なんて取らなくていいのでは、と?」
また先を取られたと今度は不機嫌な表情を見せる赤也に、柳はすまん、性分だと言って笑った。
「納税義務を課さなければ誰も働かないだろう?地下資源に頼って国を形成してしまえば、それがなくなった後元の生活基盤に戻せないからな…
物ではない、人が造る国でなければ…この国は」
やはりこの仮初の女王は誰よりもこの国の事を考えているのだ。
それを思えば絶対にあの要求は絶対に呑んではならないと赤也は思った。
自分が失いたくないという気持ちも大きい。
だがこの人を、この国は失ってはならない。
「……恐らくは貞治もこの事を知っているのだろう。だから今回このような無理難題をふっかけてきたのだ。
公にされていない事だからな…正面きって金を要求出来ない故の策だろう。女王を差し出せない代わりに致し方なく捻出した金だと言わせる為の、な」
そういう事だったのかとようやく理解できた。
全く解せなかった乾の要求にそんな裏があったのだ。
つまり最初からこの人を連れて行ってしまうつもりではなかったのかと、赤也は心から安堵した。
柳はホッと気の抜けた、嬉しそうな表情を見せる赤也を手招きする。
「何っスか?」
ティーポットをテーブルに置き、不思議そうな顔で近付く赤也の手首を握ると強く体を引き寄せた。
座っている柳は丁度赤也の腹に顔を埋める形となり、甘えるように何度も頬を摺り寄せる。
「……柳さん?」
「たった数億数十億程度の金でここを離れずに済むのなら安いものだ…」
「…たったってアンタ……」
それがどれだけの金か解っているのだろうかと心配になる。
質素倹約をしていてもやはり一般市民とはかけ離れた金銭感覚なのだろうかと思ったが、そうではなかった。
「金額ではない。お前と一緒にいるという事は、俺にとってそれだけの価値があるという事だ」
「え…」
「なんて、やはり俺は女王の器ではないな。こんな時に国ではなく私欲を先に思ってしまっていては…」
「そんな事…」
無いとは言い切れない。
だがこの部屋の中ではその立場を忘れて構わないのだ。
赤也は最近殊に甘えるようになった柳の肩を抱き締める。
本当は不安でならないだろうが、その心の内を仲間にすらなかなか見せようとしない柳だったが、赤也に対しては甘える事を覚えた。
相変わらず口に出して不安や不満を言う事はしないがこうして頼ってくれているだけで構わない。
少しずつでもいい、重荷を減らしていければと赤也は思った。
【続】