サクラミズ4
サクラミズ
::: 四 忘郷カラ :::
前略
寒さも幾分和らぎ過ごしやすい春の日が続いておりますが、如何お過ごしでしょうか。
貴方が単身京都へと行ってしまって以来母の心は雪に見舞われたまま永遠に春が来ない様に思えます。
大戦が始まってから早二年、この国も間もなく米英と開戦するとの噂です。
貴方の身を案じ、夜も眠れる日々です。
一刻も早く郷へと帰ってきて下さい。
お父様も弟も他の皆も大変心配しています。
何度も言いましたが彼の事では本当に貴方に申し訳なく思っています。
いくら後悔しても足りません。
あの事に関しては貴方に責められても仕方の無い事だと思っています。
謝って済まされる事ではない事も重々承知の上です。
貴方の気がすむのなら、一生をかけても償いましょう。
ですが今は貴方の事が本当に心配なのです。
またこの便りも一方通行のままになるのでしょうか?
ただ一言でも構いません。
元気であればその旨一言なりともお便り下さい。
そして一日も早い貴方の帰郷を心待ちにしています。
母
こうしてもう何通の手紙を受け取っただろうか。
親不孝だとは思うが、返事は一度も出していない。
母親はあの事を気に病んでいるようだ。
しかし返事を出さないのも、郷へ帰らないのもその所為ではない。
あの事に関して、実際のところ両親への怒りは微塵も感じていない。
ただ愚か過ぎた己への、自責の念だけが残っているのだ。
謙也は故郷からの手紙を分厚い本の間に挟むと大きな桜の木を見上げた。
花の季節にはまだ少し早い。
だが紅色に染まった固い蕾が来るべき春の陽気を待ち望んでいる。
もう少しだ。
春はもうそこまで来ている。
固い幹にもたれかかり、謙也がいつものように読書を始めると、またいつもの顔がやってきた。
「謙也君まーたここにおったー…教授が探してたよー」
「毎度毎度橋渡しにされる俺らの気になれや」
本から目を外すと、覆いかぶさるように立つユウジと目が合った。
その隣には彼の親友である金色小春の顔もある。
「あぁ……ええよ別に。どうせいつものお説教やろ。それより試験勉強捗ってんか?試験明日やで」
「うわっっそれ言うなやー今補習受けてきたとこやねんから…」
「…あれ?何か落ちたよ………手紙?」
小春がそれを何気なく拾い上げると、返ってきたのは冷たい謙也の声だった。
「いらんから捨てといて、それ」
その言葉にユウジは目をむいて驚いた。
普段の温和で優しい彼からは想像もできない、と。
「いらんて…え?せやかて手紙やよ?これ…」
封筒の裏面に走る忍足の文字に親からだと察したユウジは、立ち上がりその場を去ろうとする謙也を追った。
「ちょっとおい謙也!!…何怒っとんねん!これオカンからの手紙ちゃうんけ?」
「怒ってへんわ……」
「思っきし怒っとるやんけ!!何かヤな事でも書いてあったんか?」
嫌な事。
謙也の脳裏を掠めたのは最後の瞬間だった。
ユウジは真っ青な顔をしたまま立ちすくむ謙也の肩をゆすり正気を取り戻させる。
「謙也!おい謙也!!しっかりせぇや!目ぇ開けたまま寝んなよ?」
そんなズレたユウジの言葉に謙也は呆れながらも我に返った。
「寝てへんわアホ。とにかくその手紙は捨てといてや。俺教授んとこ行ってくるよってに」
「えぇ?!ちょっ…謙也君?!」
「おおぅい!謙也ァ?!」
ユウジと小春は制止する声も振り切り歩き始める謙也を、今度こそ追いかける事は出来なかった。