誓約結婚 8
廊下に続く扉が閉まり、足音が遠ざかるのを計り柳生が口を開く。
「で、事情というのを話していただきましょうか」
仁王は一瞬嫌そうな顔をしてはぐらかそうとしたが、逃げる事は許さないとばかりに柳生はソファに腰を据えた。
すっかりと聞く体勢に入った柳生に、やれやれと頭を掻きながら近付き一人分間を空けてソファに座った。
この婚姻契約が決まった時柳生には話をしていたのだ。
だがその時は本気で嫌がっていた為、この二ヶ月程の間に仁王をこれだけの態度にさせた何かがあったのだと柳生は思った。
でなければ飄々と人を手玉に取り、小馬鹿にしたような態度の男があのように優しい言葉をかけるはずもない。
「随分とお優しいようでしたが?」
「俺はいつでも優しいぜよー」
「ほう?それは知りませんでしたねー貴方が好きでもない、むしろ鬱陶しいと思う相手にまで気をかけるような博愛主義者だったとは」
「……プリッ」
目を逸らし、明言しないよう言葉を誤魔化すが柳生の胡散臭げな視線が遠慮なく突き刺さる。
これ以上の追究を逃れるには正直に話すしかない。
仁王はもう一度頭を掻いて溜息交じりに話し始めた。
「……ほんまはのう…最初は、ほんま鬱陶しい思うとったんじゃ。ババアが勝手に決めて押しかけてきたあいつが」
「確かに、ずっとそうおっしゃってましたね、君は」
散々に愚痴を言っていたのだ。柳生は納得して言葉の先を待つ。
「…友達とか、そんなんやと思うとったんじゃ……やけど…さっき倒れてんの見て…死ぬか思うほど心配んなって、
もしあいつが…おらんようなったらって考えてぞっとした。ほんま嫌いやったはずやったのに…けど…気付いてもうたわ…」
「…何に?」
「……無心の傾倒を向けてくれる柳がな、本気で愛おしいと思うた……」
意外な事もあるものだと柳生は言葉を失った。
まさかこの男がこれほどまでにはっきりと、明確に自分の思いを素直に口にするとは、と。
しかしすぐに思いついた。他人に対して初めて抱く思いが胸を締め付け、どこかで吐き出さなければ気が狂いそうだったのだろうと。
仁王自身、己に生まれた気持ちを持て余し、どうしていいか解らない。そういう事なのだろう。
頭を抱え項垂れる仁王を見下ろし柳生が肩を叩く。
「そういう事なのでしたら、柳君にそう伝えてみればよろしいのでは?」
「無理じゃ」
「何故です?」
言い淀む姿は先程の素直な様子とは程遠い。
しばらく辛そうに何かを考えた後、再び口を開く。
「あいつ、な…俺にはっきり言うたんじゃよ。この先俺を愛する日が来るか解らんて。俺には、義務的な感情しか湧かんのやって…」
「それは……」
「たぶん俺が好きじゃっちゅうたら…あいつも努力すると思う。俺が望むもん与えようとして…必死んなって愛そうとするはずじゃ。そういう契約やからのぅ……けど…」
「それは君の望むものではありませんね」
理解できない感情を押し付けるわけにはいかない。
それにそんなものはいらない。
顔を覆い苦悩の表情を浮かべる友のらしくない姿に柳生は優しく言い聞かせた。
「だったら、君が教えてあげればいいじゃないですか」
「そんなキャラやないんは、お前さんが一番良ーく知っとるじゃろ」
「君も一緒に変わればいいんですよ」
恥ずかしい事をあっさりと言ってのける柳生はそういう事もできてしまいそうだ。
だがただでさえ素直さの足りない仁王にそんな芸当はできそうもなかった。
「まあ何にせよ、しばらくは静観したらどうですか?まだ結婚して間もないわけですし…愛に目覚めた君に、彼の心境も変わるかもしれないでしょう?」
どうしてこう無意識に追い詰めるような恥ずかしい台詞を吐くのだろうか。
少し恨めしく思い睨むものの、全く邪気のない微笑みを返されすっかりと毒気が抜けてしまったのだった。