誓約結婚 5
しかしそれが相手を思う気持ちとなるかと聞かれれば、否定しなければならない。
仁王は伴侶として柳を思う事は出来なかった。
表面上は愛想よく振る舞い、初めの頃に比べれば仲良くなったといえる。
浮気をする事も無断外泊する事もしなくなった。
だがその根底にある感情は、柳を思う気持ちではない。
それはとても無礼で相手を見下しているような、あまり褒められたものではない。
だがそんな仁王の気持ちなど見抜いているかのように、柳は何も言わなかった。
以前のように外に出る事を勧める事もなくなった。
ただ仁王のやりたい事をやりたいようにさせる。それだけだった。
そんな生活が一週間程続き、微妙な空気が二人の間を流れ始めた。
否、実際そう感じていたのは仁王だけだったのだが。
とにかくその空気に耐え切れないようになり、心に秘めた言葉をついに出してしまった。
話があるからとリビングに呼び、座り心地の良いソファに二人で並んで座る。
揃いのローテーブルに茶を置き、仁王の言葉を待つ柳の顔を見ないように膝の位置で組んだ手をじっと見つめた。
「あの…な」
「ああ」
「俺は……お前さんの境遇を聞いて、あのババアらの話聞いて…それで、自分の行動を反省した」
「それは…」
「お前はええっちゅーたけどな、どうしても出来ん。俺には、お前さんを裏切るような真似が出来んかった」
柳からの返事はない。仁王が全て話し終えるのを待っているように、ただ黙っている。
一気に話してしまった方が楽になると暗に言っているのかもしれない。
「けど、それは…全然、お前さんを思っての事やのうて、俺が…ただ酷い奴になりたないっちゅーか…すまん、ほんま最低じゃ。
お前さんの事なんてこれっぽっちも思うちょらん。愛してなんてやれん。ただ同情してやる事しか……できんかった」
空気に押されるように仁王は心に溜まった言葉を全て話した。
しかし柳は相変わらず平坦な様子のまま、静かに首を振った。
「何だ、そんな事か」
「そんな事て…」
「お互い様だ。俺は……どうすれば人を愛せるかなんて解っちゃいない。お祖母様に言われて解った振りをしていただけだ。
愛情を与えられた事のない俺にはお前を義務でしか愛してやる事ができない。
愛された事のない俺にも、この先お前を愛せる日が来るのか正直解らない」
心の底からの愛しいという気持ちではなく、愛さなければならない、という義務感しかないのだと。
その感情がどのようなものなのかすら検討がつかない、そう言って柳は薄く笑った。
その言葉に、仁王は漸く気付いた。
何故柳が何も言わず、文句の一言も漏らさずに全てを受け入れ、そして仁王の勝手を許し続けていたのか。
全てはそれが最上の愛情表現だったのだ。
仁王の望む全てを、願う事を叶える事でしか柳には愛情を示せなかった。
ただそれだけだったのだ。
不安定ながらにも着実に積み上げられてきた二人の間にあった物が、一旦は総崩れとなった話し合いだったが、生まれるものもあった。
仁王の望む事全てを叶える事でしか愛情を示せない柳は、仁王の願いを嫌がる事はなかった。
だがそこには祖母への遠慮や仁王への義務感ではない、柳の人となりが垣間見える。
以後仁王へ口出しをするようになったのだが、全ては仁王を思っての言葉ばかり。
以前ならば鬱陶しいと思っていたであろう言葉がすんなりと心に入っていく。
表に出せないだけで、情の深い柳の隠れた優しさに気付いた仁王は次第に惹かれていった。
しかしそれはただ近しい者、たとえば友人へのそれに値するものだと思っていたのだ。
それを勘違いだと気付かせたのは小さな出来事がきっかけだった