誓約結婚 4
外界から遮断するように立っている背の高い門扉から中に入ると庭先で何やら土いじりをしている柳の背中を見つけて近付く。
「何しとんじゃ?」
「おかえり。今日も早いな」
「ただいま。…花壇作りか?」
「ああ、広さがある所為か少し殺風景だと思ってな…」
丁度作業がひと段落したところだった柳は軍手を外して脇にある水道で手を洗い始める。
「業者呼べばええやろ」
「俺の道楽だ。友人でこういう事に詳しい奴がいるから、そいつに色々聞いてやっている。それぐらいは許されるだろう?」
「それは…お前がええんなら構わんけど…」
隔離されてはいるが連絡を取り合える友人がいて全くの一人ではないと解り、
ホッと安心すると同時に、瞬間的な重い感情が心に染み入る。
仁王はその感情の正体に気付き愕然とした。
他の誰にも感じた事のなかったそれは、嫉妬に似たものだったのだ。
それまで何の遠慮もなく外で遊び回り、帰れば自分以外に頼る人間のいない相手が待っているという無条件の安心感に浸っていた。
相手の都合などまるで関係なく思っていたが、本気でこの家を出るつもりになればどうにでもなるのだという現実を突きつけられる。
こんな契約など早くなくなればいいと思っていたが、いつの間にか依存するまでになっていたのか、
それとも何か相手を支配している気分を覚えていたのかもしれない。とんだ歪んだ優越感だ。
「それにしても…最近はやけに帰りが早いな」
「あ…ああ、大きい仕事が一段落したけ…」
「なら真っ直ぐ帰らずとも遊びに行けばいいだろう?」
嫌味か、と思ったが柳は柔らかく笑っている。
それはまるで子供が学校から帰って、宿題もせず遊びに出るのを許す母親のようだと思う。
能面のように無表情だとばかり思っていたが、よく見れば柳は表情豊かだった。
動きが僅かで解りにくくはあるが、確かにそこには感情がある。
「俺に遠慮しているのか?」
「…いや……それは…」
「なら遠慮はいらない。お前はお前の好きにすればいい」
以前の仁王ならば喜んで飛びついた一言も、今日は何故か突き放されたような感覚に陥る。
「お前は俺を巻き込んで悪いと思っているかもしれないが…お前こそこの騒動の一番の被害者なんだ」
「一番はお前じゃろ!!」
自身も驚いてしまうような大きな声を上げる仁王に、柳は目を丸くした。
しかしすぐにいつものように目を細める。
服が汚れないよう付けていたエプロンで手を拭い、柳よりも少し低い位置にある仁王の肩を叩く。
「俺は今の生活に不満などない。だから気を使わないでくれ」
本当にそう思っているのか、柳の本心は推し量れない。
ぶすくれた表情を見せる仁王に、柳がどうしたんだと不思議そうに尋ねる。
「納得いかんのう…」
「何がだ?」
「こんだけ理不尽な扱い受けてて何で平然としとれんじゃ。お前さん顔は綺麗やからな、最初美人局かと思うたぜよ」
肩をすくめ冗談めかしに仁王が言えば、誰と組んでお前を陥れるんだ、と柳も小さく笑った。
しかし本題から逸れる事はせず真っ直ぐに仁王を視線で射抜き、言い切る。
「俺はただあれやこれやと考えるのは止めにしただけだ。考えて理由をつけてもどうにもならないから…
この現実をありのままに受け入れているだけだ」
言ってしまえば、その一語に尽きるだろう。
だがそこまで割り切れるのは、ここに到達するまでに壮絶なまでの葛藤があったからだ。
仁王はこの落ち着き払った態度の裏に、どれだけの思いをしてきたのだろうかと推し量る。
穏やかな空気の裏に潜む、暗い闇の深さに仁王は酩酊にも似た感覚を覚えた。
それは正常な思考を鈍らせるに充分で、以後、妙に柳が気にかかるようになってしまった。