誓約結婚 14

珍しい事は続くもので、その日仁王は柳を外に連れ出そうとしつこく何度も誘った。
ここまで彼が強情を通す事も珍しく、柳は断っているうちに、何かとても悪い事をしているような気持ちになってしまった。
結局押し切られるように連れて来られたのは郊外にある料亭だった。
「会社の接待で来たんやがな、お前さんの好きそうな料理じゃったから食わせとぉなっての」
「そうか…」
家から車で移動をして、店に着くと出迎えた女将以外の誰とも会わないままに離れへと案内された。
そんな扉から扉への移動ではあったが、久しぶりの外の空気に柳の表情は明るい。
仁王は少しホッとすると座卓に向き合って座った。
「こないだ、幸村がうちに来たらしいな」
「精市から聞いたか?」
「ああ。何で黙ってた」
「すまない…つい旧友に久方振りに会えたのが嬉しくなってしまったのだ。もうしないから安心してくれ」
個人的な感情を排し、冷静に言ったつもりにしていたが柳には責めるように取られてしまい、仁王は少し戸惑った。
「あ、いや。違う違う。悪いなんて言うとらんぜよ。前も言ったようにな、あんな馬鹿げた契約なんて気にせんでええんじゃよ」
そうは言ったものに、以前その言葉を言った時と同じ気持ちでは言えなかった。
出来れば閉じ込めていたい。
このまま誰の目にも触れさせないままに、そして彼に誰も見せないように暮らしていければどれだけ安心出来るだろうか、と。
だがそんな事をしても手に入るのは義務的な存在なのだ。
本当は柳の全てを欲していた。
しかしそれは絶対に叶えられない事なのだ。
今日、仁王は幸村に柳にちゃんと気持ちを伝えた方がいいと言われた。
仕事が終わってから幸村が唐突に言ってきたのだ。
いつになく真面目な表情を浮かべ、この結婚が契約上のものだけではないのだとちゃんと告げるべきだと助言してきた。
だが仁王にはそれが出来ない。
何故なら理解してもらえないのが解っているからだ。
これまでの傾向からして、もしも本気で思いを寄せているのだと知れば柳はそれを何とか理解して受け止めようと無理をするだろう。
そうする事でしか柳は仁王への愛情表現が出来ないのだ。
だがそんな風にされても自分も相手も辛いだけだから一生言わないのだと仁王は苦しげに幸村に告げた。
誓約がある限り、少なくとも今の関係は保つ事ができる。
今はそれで十分なのだと思っていた。
否、それ以上は望めないのだ。
「美味いな」
「え…ああ、よかった。口にあったみたいで」
不意に柳に話し掛けられ、それまで他所事を考えていた仁王の意識がこの場に戻る。
食事中会話がない事などさほど珍しい事ではなく、今もただ黙々と箸を運んでいた。
だが柳が嬉しそうに告げてきたのだ。
「こうして自分の作ったもの以外の食事もたまにはいいものだな」
「そうか、気に入ってもらえたんならそれでええんじゃ」
「うちではお前も赤也も料理など出来ないからな」
だが思わぬ言葉に少し心踊ったものの、その後の言葉に気分は急降下してしまった。
柳にしてみればただ弟のように可愛がっているだけの切原に対しても、容赦なく嫉妬が体を襲う。
自分からそうしようと提案したのに何て勝手なのだろうと、仁王は自分自身の気持ちを完全に持て余していた。
沈んでいる柳を何とか励ましたいと思いしていた事だったが、仁王の気持ちは上手くコントロールされていない。
最近はそんな仁王に切原も気付いているようで妙に遠慮するような態度を取らせてしまっている。
肝心の柳が全く気付いていないのかは幸か不幸か、といったところだが。
「嬉しい」
「何じゃ、急に」
「自分の知らないところで…お前が気にかけてくれているのは嬉しいよ。ありがとう、仁王」
真っ直ぐに向けられる言葉を受け止めきれず、仁王はふいっと目を逸らす。
だが柳はそれを気にする風もなく、再び料理に箸をつけ始めた。


「昨日はどうだった?蓮二、喜んでた?」
「喜んでたんやないかねー」
翌朝、会社に着くなり幸村がやってきて嬉しそうにそんな事を聞いてくる。
仁王はデスクにカバンを置き、女子社員が持ってきてくれたコーヒーに口をつけながら曖昧な返事を返す。
「何それ。もっと嬉しそうにしなよ。昨日あんなに嬉しそうにしてたじゃないか、お前」
一緒に接待であの店へと行った幸村は料理を食べ終わった後に、これを柳に食わせてやりたい、と言っていた仁王を見ていたのだ。
思い当たる節はあるが照れ隠しに仁王は肩を竦め何も答えようとはしない。
「そうやって、ずーっと蓮二閉じ込めて、ご機嫌取りながら過ごしていけばいいって思ってない?」
呆れたように吐かれる言葉に仁王は持っていたカップを置いて幸村と向き合う。
「何や、それ」
「真田にうっかり言っちゃったんだよ…結婚の事。そしたらあいつ、この契約の事を知って以降かーなりご立腹でさ、蓮二を解放してやりたいって言ってたよ」
「解放って……」
「違約金でも用意する気じゃないか?あいつの家なら無理な金額でもないだろうし…蓮二にだったら無利子でぽーんと貸す気前の良さはあるだろうね」
その話に、仁王の表情が目に見えて険しくなる。
幸村も、何も真田を悪者にしたいわけではないので少し言葉を足した。
「解らなくもないけどな、あいつの気持ちも。親友がそんな訳の解らない目に遭ってたら怒って当然だろうし…
まあ俺は、むしろ蓮二の家から守って貰えてるって思ってるから否定はしないけどね」
「真田がねぇ…」
仁王にとっては仕事関係での付き合いはあれど、プライベートでは全く接点のない相手だ。
絵に描いたような堅物で融通がきかない頑固者、そして真面目過ぎるほどの性格の彼の心はそのままの清廉さがあるのだろう。
このような理不尽を許さないというのも納得がいく。
そして恐らく行動に起こすだろう事も。
「けど、ま、のんびりしてらんないんじゃないかな…あいつ一度言い出したらきかないから」
「そうじゃのぅ…」
「もういい加減素直に蓮二に打ち明けちゃえばいいと思うよ。きっとそのうち、蓮二の気持ちなんてお構いなしに気持ちを伝えたくなる瞬間も来るだろうしね」
「何じゃその恋に恋するシチュエーションは…」
今度は仁王が呆れる番で、幸村を胡乱げに見つめた。
だが笑顔でそれをかわし、幸村は朝の業務へと戻っていった。


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