誓約結婚 13

その事実は絶対に彼にはバラしてはならなかった。
これは完全に自分の失念だと怒りのまま部屋を飛び出していった彼を追いかける為、幸村は車のキーを手に急いで家を飛び出した。
幸村の家から約20分程車を走らせた住宅街の外れに仁王宅はある。
大きな車庫に家主の物でない車が止まっている事に、やはり彼がここに来ているのだと解る。
その隣に車を停め、幸村が外に出ると途端に太い大きな声が聞こえてきた。
「真田!」
それを止めるように背後から声をかけると、その人物は大きな体を振り向かせた。
その表情は怒りに満ちている。
当然といえば当然だろう。
友が、学生時代からの親友が訳の解らない契約で男と結婚させられたと知れば。
学生時代から三人いつも一緒だった。
社会に出て以降は会う回数が減ってしまっていて、そういえば最近蓮二はどうしているのだと尋ねられうっかり口を滑らしてしまったのだ。
結婚をしたのだ、と。
根掘り葉掘り聞き出され、ついに言わざるを得なくなったのだ、本当の事を。
だが今ここで騒ぎを大きくするべきではないと幸村は毅然とした態度で臨んだ。
「真田、うるさいよ。近所迷惑だ」
「す…すまん…だが解せんのだ。何故蓮二がこんな目に…!」
「その説明はまたしてやる。だから今日は帰れ」
「しかし…!」
「こんなところで騒いでは蓮二に迷惑だ」
そう言い切ると真田は何も言えず、解ったと頷くしかなかった。
「…では後日改める事にしよう」
「いや、もうここには来るな」
「なっ何だと?!」
折角治まった怒りがまたぶり返す真田にもひるむ事なく、幸村は睨みつけた。
「見知らぬ男が出入りしていると向こうの家に知れたらどうなる。蓮二がどんな目に遭うか…想像もしたくないよ」
「し、しかしだな…」
「しつこい。何度も言わせるな。蓮二の迷惑になるだろうと言っている。俺は同じ事を二度以上言うのが嫌なんだ」
有無を言わせぬ態度の幸村に、すっかり最初の勢いなどなくなってしまった真田は名残おしそうにしながらも黙って立ち去った。
二人のあまりの迫力に口も挟めなかった柳はかばってやれずに悪い事をした、と表情に出ている。
「蓮二、今は自分の立場を最優先に考えた方がいいよ。あいつなら大丈夫だ。打たれ強いから」
そう冗談めかしに言うと、ようやく柳は表情を和らげた。
「それよりごめん。俺の失言だった…こうなると解っていたから真田にこの結婚の事は言ってなかったんだけど……」
「その様子ではおもしろおかしく引っ掻き回してやろう、と思っての事ではないようだな」
「当たり前だろう?」
いつものふざけた様子はなく真剣に謝る姿勢が見え、柳はこれが本当に過失のものだと確信し、安心した。
親友がそこまで馬鹿な男でなかった事に。
「上がっていくか?茶ぐらいは出してやるぞ」
「いや、遠慮しておくよ。真田にあんな風に説教したばかりなのに」
「お前は大丈夫だ。仁王の会社の者だと言えば言い訳も立つだろう」
さあ、と門扉を開けられ幸村は拒めなかった。
こんな風に強く彼が何かをねだる事などまずない事だ。
恐らくは無意識のうちに人と会う事を求めているのだろうと、幸村は開けられた門を潜った。
初めて入る仁王邸は外から見る程は重厚感がなく、居心地は決して悪くない。
思っていたよりは快適に過ごしているかもしれないと幸村はホッとした。
だがそれももしかすると仁王がそうなるよう努力しているかもしれないと、家の諸所にある柳の好みそうなものを見て思った。
先日無意識に見せた柳への思いは強ち嘘ではなく、ペテンでもなく、本当に本心だったかと変な日本語で納得をした。
「精市?どうした?他の部屋も見て回りたいのか?」
「え、え?ああ、うん…そうだな。折角だし、愛の巣を見せてもらおうかな」
玄関からリビングに入るまでの廊下をキョロキョロと落ち着きなく見回す幸村を見て笑う柳に、慌てて繕うように言う。
何を言っているのだと笑いながらも柳は奥の部屋へと案内した。
一階にはリビング、ダイニングキッチンの他に和室が三つもあるのかと幸村は感心した。
二人で住むには十分すぎるようだが、一日中ここに閉じ込められているのならもっと広い家でもいいぐらいかもしれない。
「蓮二、この部屋好きだろう?」
家の一番奥、裏庭に続く小さな和室に入った瞬間そう言う幸村に、まず驚いた表情を見せるがすぐに良く解ったな、と笑った。
個室は二階にある、と言っていたが柳の所有物であろう小説が山積みにされているのだ。
ここで長い時間を過ごしている事はすぐに解った。
だが幸村は得意げに答えた。
「お前の事なら何でも解るよ」
「そうか…そうだな」
「あ、猫……ここで飼ってるのか?」
縁側で丸くなっている姿を見つけ、幸村が近付いていくが猫は警戒する様子もなく大きな欠伸を漏らしている。
「いや、よく遊びに来る野良猫だ」
窓を開けおいで、と柳が言うが猫は聞こえない振りを決め込み腕に顔を乗せて眠ってしまった。
その姿を見て相変わらず気まぐれなやつだと笑う。
「なぁ蓮二……」
「何だ?」
「蓮二…今、幸せ…か?」
「何だ突然」
唐突な質問に驚き目を丸くするが、幸村に真剣な表情を返されそれが気まぐれなものではないと解り、柳は少し考えた後答えた。
「ああ、そうだな。幸せだ」
「本当に?こんな生活なのに?無理してない?」
不自由なく暮らす事と幸せかどうかは違う。
こんな場所で誰にも会わずに暮らしていて、本当はどう思っているのかが気がかりだったのだ。
「無理、か……無理なら今まで散々にしてきたからな…この家でのんびりと過ごせるのはこれ以上ない幸せだ。それに…」
「それに?」
「最近気持ち悪い程に仁王が気遣ってくれる」
「気持ち悪いって…優しくされてるのに随分な言われようだな」
思わぬ言葉に笑いを漏らし見上げると、柳は幸村の見た事のないような表情を浮かべていた。
いつもは人を寄せ付けないよう柔らかい笑みを浮かべているか、怜悧な無表情でいる事の多い柳がこんな風に優しく笑う姿など今までになかったのだ。
「だが、いいな。こんなに近くで誰かが自分を気にかけてくれているというのは……安心する」
まだそれがどのような感情であるかは柳本人理解しているわけではなさそうだ。
だが確実に二人の距離は近付いているのだという事はわかった。
「ああ、もちろんお前もだぞ、精市」
「俺?」
「そうだ。お前も、弦一郎も赤也も…皆俺を気にかけてくれていて嬉しい」
今はまだ同一直線状のようだが、そもそもこの頑なで他人を寄せ付けない男が数ヶ月で人に心を開くなど珍しい事なのだ。
幸村はもしやこの生活が不幸から始まったものであっても、結末は柳を幸せにするものではないかと感じた。
そしてそれならば何があっても真田の反対を取り下げさせなければならないと思った。


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