誓約結婚 11
切原が二人の住む家に手伝いと話し相手としてやって来始めて二週間という時間が経っていた。
最初の頃から変わらず赤也を可愛がる柳と、それによって感情の揺れを見せている仁王と、それの板ばさみに遭っている切原。
三者が微妙な立ち位置を保ちながらも、表面上では仲良くやっていた。
だが特に仁王はあまりいい気分ではないのか、滅多に出さない感情が時折出てしまっている。
その不機嫌の理由が自分に対する嫉妬であると気付いた切原は、不思議に思っていた。
確かに彼はこれは契約の上での同居であって、柳個人には何の感情もないのだと言っていた。
しかし、そもそもそれにしては気にかけすぎている。
こんな風に勤務時間中に会社に何の利益もない場所に自分を遣わせ、心を砕いてやってくれと頼んできたのだ。
会社では非情な営利主義で個人の感情など決して仕事の場に持ち込まない人だというのに。
そんな事を思いながら庭いじりをしている柳の背中を眺めていると、Yシャツのポケットに入れてある携帯が震え始めた。
呼び出しだろうか、とディスプレイに目を落とすと、あまり嬉しくない名前が載っている。
げっ、と一瞬小さな声を上げ、一呼吸置いてから通話ボタンを押した。
「もしもし切原っス」
突然一人話し始めた事に驚き柳が振り返るのを見て、切原は会社からの電話だと頭を下げて声のトーンを下げた。
「何っスか……え?…はい……そうですけど…え?何で……はっはい、すんません」
何かトラブルでもあったのか、と首を傾げる柳に切原は携帯電話を差し出す。
「何だ?仁王か?」
「いや……幸村部長っス」
「幸村?幸村精市か?」
「はぁ……まあ、そうです」
社では別の部署を取り仕切り、仁王と双頭として名を馳せている幸村と知り合いだったとは聞いていない。
だが渡した携帯で親しげに話す姿に、友達なのだろうと思った。
一頻り話した後、何か用があるようだと携帯を返される。
「もしもし代わりました。えっ…今からっスか?……いやっ滅相もない!すぐ戻ります!!」
「どうした?赤也。精市に怒られでもしたか?」
渋い顔で通話終了して溜息を吐く切原に笑いながら柳が尋ねる。
「…違いますよ……あんたに出張の土産があるから取りに来いって」
「次に来る時でもかまわないだろう?」
「生ものだから早く渡したいんだそうです。ちょっと行ってきますね!あ、何か他にいるもんあったらついでに買い物行ってきますけど?」
「いや…あ、そうだ。昨日作った水羊羹を差し入れに持っていってくれないか?」
柳は手にしていた軍手を外し、庭からリビングに上がると手を洗って冷蔵庫の中を探り始めた。
「精市の好物なんだ」
「はい…解りました。…っつーか、部長とお知り合いなんっスね」
「ああ、中学高校と一緒だったんだ」
「へぇ…同級生なんですね」
切原は小学生の頃、柳の家の隣から引っ越していてそれ以後この家に来るまで会っていない。
だからそれ以降の事は全く知らなかった。
「え、それって仁王さんも知ってるんっスか?」
「さあ…どうだろうな。俺からは言ってないが精市が話してるんじゃないか?」
「言ってないんですか?」
「何故か不機嫌になるからな…俺がここに来るまでの話をすると」
柳は首を傾げながら心底不思議そうにぽつりと呟く。
話しながらも荷造りをする手を休める事はない。
そんな彼に急いで近付き顔を見るが、本当にその理由が解っていないようだ。
ここまで鋭く、あの解り辛い仁王相手にこれだけ表情や感情の動きを読み取る事が出来るというのに。
仁王が過去の話を嫌がるのは、恐らく切原に対する剣のある無意識の態度と出所は同じのはずだ。
そう確信したが、当の柳はそれが解っていないようで、とりあえず何故そのようになるかは考えず原因となる話はしないようにしているだけで、
それ以上突っ込んで何かを聞き出そうとはしていないようだ。
「ちょっ…それマジで言ってんっスか?!」
「何がだ?」
「いや、だから……あの、仁王さん…ヤキモチ妬いてんじゃないっスか?」
これは自分が言ってもいいのだろうかと思いながらも、仁王は死んでも自分では言わないだろうし、
柳の様子からして気付く事もなさそうだと切原は遠慮がちに声にする。
しかし柳はますます混乱した様子だ。
柳が親の愛に恵まれていないという事を薄々子供ながらに感じていた切原は、昔から思っていた。
彼はとても人の気持ちに敏感であるが、それを理解する事が出来ない人なのだと。
そう、柳は昔からとんでもない感情音痴だった。
自らも感情の起伏が薄いだけでなく、周りの感情を理解する心も持っていない。
かといって周囲を不快にさせるような事はしないし、決して空気を乱すような言動はしないのだが、
人が何故あのように喜怒哀楽に塗れているのだろうか、と不思議がるだけで理解している様子はない。
今も恐らくは嫉妬という感情が全く解っていないのだろう。
何故そのような気持ちを抱くのか、仁王が何を思っているのか、それが理解出来ないのだ。
どう説明すれば解ってもらえるかも解らないし、そもそもそれは切原が言うような事ではない。
ほとほと困り果てていたが、早々にその話題から意識を切り替えた柳の用意した水羊羹の入った小さな紙袋を手に一度会社へと戻る事になった。