誓約結婚 10
翌日、早速仁王は一度出社して溜まっていた書類を片付けてから、昼頃に部下を連れて家に戻った。
彼はひどく硬い態度のまま門から庭に入り、玄関までの間に溜息をつきながら胸を押さえる。
「マジで緊張するんっスけど…ほんとに俺が行って大丈夫なんですか?」
「ああ…かーなり偏屈で変わっとるけど、噛みついたりはせんから安心しんしゃい」
「うわっ…あんたのそーゆう言葉に何回騙されたと思ってるんっスか……」
「さーて…今回はどうかのぅ……おーい!連れてきたぜよー」
緊張する部下をよそに仁王はのんびりとした調子で家の奥に向って声をかける。
しばらくした後、静かな足音と共に二階へと続く階段から柳が姿を現した。
「おかえり」
仁王に向けそう言った後、客人には頭を下げる。
「いらっしゃい」
「あ、どもっス」
「こいつが昨日言うとった部下の切原じゃ。よろしくしたって」
「…切原…?」
名前を聞いた途端、柳は何かに気付いたようにじっと顔を見つめた。
「なっ何…っ」
「…もしや…赤也か?」
「え?」
突然の事に切原も仁王も目を丸くして声を揃え尋ねる。
だが柳は確信を持ったらしく嬉しそうに破顔した。
「やはりそうだ。大きくなったから一瞬解らなかった…覚えていないか?昔、隣の家に住んでいた……」
「あっ!…おかっぱ頭の蓮二君?!」
「ああ!久方振りだな赤也!」
「大きくなって解んなくなったのはこっちの台詞ですよ!!全然印象違ぇから解んなかったっス!」
二人盛り上がるのを驚いた表情で見ている仁王に気付いた切原は慌てて説明した。
「あのっ昔住んでた家でお隣さんだったんですよ、この人」
「幼馴染みってやつか…えらい偶然もあったもんじゃの」
「…その様子だと知ってて仕組んだ事じゃなさそうっスね」
「ははっ部下にまで随分な言われようだな、仁王」
そこまで解っているわけもない。
本当に偶然がもたらした再会なのだ、これは。
「ま、気心知れた奴ならお前さんも遠慮いらんじゃろ。せいぜいこき使ったり」
だがこれならば警戒心の強い彼も受け入れてくれるだろうと仁王は胸を撫で下ろした。
その時感じた僅かな胸の軋みは気付かない振りをする。
仁王はまだ昔話に花咲かせる二人を残し、会社へと戻った。
切原が家にやってくるようになり、家の中に心を許せる存在が出来て柳の表情は随分と和らいでいった。
仁王の前では態度には出さないものの、それなりに気を使っている柳も切原の前では気を使う事なく言いたい放題にする。
昔からそうだったのか、遠慮なく説教もする。そしてそれ以上に甘やかし可愛がっている。
「んじゃ俺帰ります」
「何?夕食…お前の分も用意したんだぞ?食べていけばいい」
夕方、もう間もなく仁王が帰ってくる時間となる。
家の用事を一通り手伝い終わり切原は風呂掃除をする為に付けていたエプロンを外す。
だが柳は一緒に食事していくように勧めた。
「いやー……けどー…」
この人は本気で言っているのだろうかと切原は恐る恐ると表情を伺う。
どうした、と至って普通の表情をしている。
本当に気付いていないのかと思い、どのようにして断ろうかと考えていると、玄関の方で音がして間延びしたただいまの声がした。
もう帰ってきてしまったか、と思わず頭を抱える。
そんな切原の様子など柳は見ていないのか、台所から玄関へと行ってしまった。
「おかえり」
「おー、ただいま」
「風呂は今赤也が用意してくれている。先に夕飯にするか?」
「何じゃ、まだおったんか、切原」
玄関から一番近いリビングのドアの影からこっそりと覗いていると、ばっちりと目が合ってしまった。
「…ど、ども…お疲れ様っス……」
その視線に含まれる僅かな棘を敏感に察した切原は遠慮がちに頭を下げる。
「赤也も一緒に食べてもいいな?」
「え…?ああ、構わんぜよ。腹減ったからすぐ用意して」
鋭い視線など嘘だったように軽い調子で了承すると、仁王は着替える為か二階へと行ってしまった。
断るタイミングを逃してしまった、とリビングで頭を抱えていると、スーツ姿からラフなスウェット姿に着替えた仁王がやってきた。
「何やっとんじゃ、切原」
「あ…いや……何でも…」
「遠慮しとんか。お前さんらしくない」
いくら厚かましいとはいえ、あんな風に上司に睨まれてまで肩身の狭い思いをして相伴に預かろうなどとは思えない。
だがここで断ったとしても柳は悲しむだろうし、角も立つ。
一つ明るく場を盛り上げる為にも一肌脱ぐしかないだろうと腹をくくり、切原は重苦しい食卓につく決意を固めた。