眩暈〜君の見る夢7

きっと勝手にするなと怒るだろうなと思い、白石は一人笑いを漏らした。
だがこれは自分が決着つけるべき事だ。
心に強い思いを秘め、白石は光の持ち主である男の家へ二度目の訪問を試みた。
相手はやはりこの行動を見越していたようで、今日もすんなりと中へと通された。
通された先は以前と同じ座敷だが一度目の様な緊張感はない。
しかし他のところから湧き上がる緊張が白石を襲っている。
正座した膝の上でぎゅっと拳を作り待っていると、廊下から静かな足音が近付いてきた。
程なくして部屋を仕切っていた襖が開かれ、座敷に男が入ってきた。
あらゆる感情を全て押さえ込み、頭を下げる白石を見ると男は上座へ腰を下ろした。
「…それが、君の答えか?」
白石の脇に大事そうに置かれた大きな包みを一瞥する男に、白石は小さく頷く。
そして座卓の上にそれを乗せると男へと差し出した。
黙ってそれを受け取った男はそっと結び目を解く。
絹がはらりと落ち、現れた人形を見ると男は驚いたように目を見開いた。
「……これは…」
中にあったのは幼い表情を映した、光の眠る姿のものだった。
男物ではあるが華やかな色合いの着物を纏い、幸せそうな表情を浮かべて丸くなって猫のように眠っている。
その光を模した人形を見つめる男の視線に悪意や下卑る様子はない。
それに気付いた白石はやはりこの男が光を手篭めにする為にあのような真似をしている訳ではないと確信した。
「一つ…聞きたい事があるんですが…」
「…私と、伎芸の関係だね」
意を決して質問をしたが、相手はやはり一枚上手のようで何もかも見透かしたように答える。
居心地悪く視線を落とすと、男はフッと柔らかい笑いを漏らした。
一体何を思っているのかと相手の考えが読めず不安げな表情を見せる白石を安心させるようにそれまでの厳しい表情を緩めた。
そして一旦席を立ち、部屋のすぐ外にいた部下に下がるよう命じるともう一度腰を下ろす。
一拍を置き、男の口から出た言葉、
「…伎芸……光は…私の不義の子だ」
それは衝撃の事実であるはずなのに、それが心に漸く納得をもたらした。
この男は光の全てを奪ったのではない。
あの店から光を守っていたのだ。
格子の中に閉じ込めていたのは裏でこそこそと店の人間が光に酷い事をしない為。
特に店の開いている時間など殺気立っていて何をされるか解ったものではない。
そんな境遇から守る為に取った行動だった。
やり方は酷く不器用であるが、誰にも触れられない聖域に光を置いて守っていたのだ、父親として。
妻を早くに亡くし、その間に設けた子もすでに独立していて家に一人残された時、ふと思い出したのが光だった。
親が決めた結婚をするより以前、とても愛していた女性がいたのだが身分の違いもあり一緒にはなれなかった。
だが結婚して暫くの後、再会して不貞の関係を築いてしまい、彼女は妊娠を機に姿を消してしまい、以来ずっと行方を捜していたのだと言う。
そしてその大切な忘れ形見が京の茶屋に引き取られていたのだと知り、金銭援助を名目に近付いたのだ。
「私に裏の顔などない。あれは単なる噂だ。敵の多い身ならば当然かもしれないがな…今はそれを利用させてもらっているんだよ」
「利用?」
「ああ…光のように親に育てられなかった子の援助をしている。だがそれも表立ってするとそれを利用し群がるけしからん輩が多くてな…あの茶屋の女将のように。
そうならんように無用に私に近付かないようにしているんだ」
今までは立場的に光の存在を表に出す事は出来なかった。
だが今この地位まで上り詰めれば隠し子一人いようと立場は揺るがない。
だからこそ一緒にいられなかったこの二十年余りを埋める為、共にここを離れる事を決めたのだ。
「一人あの店に残していくのが気がかりだったんだが……翁に君の話を聞いてね。一つ試させてもらった」
「……それが…この人形やったんですね…」
何故突然乗り込んだ自分が安易にここへ通されたのか、漸く理解できた。
初めから全て仕組まれていた事だったのだ。
光を守っているつもりでいてその実、翁やこの男に守られていた。
「……翁は未熟者だと言っていたが、素質は十分なようだな。流石は籐将が唯一の後継と認めただけはある」
「あ…りがとう…ございます」
己の未熟さを自責している白石に追い討ちをかけるような言葉に納得いかないのだと表情に出ている姿を見て、男は首を傾げた。
「どうした?」
「いえ……ほんまに、未熟やった思います…光の事守ってるつもりでおって…えらそうな事ばっかり言うといて…
…ほんまに…とんでもない思い上がりやったと…そない思います」
「そうだな…だが、あの子がその思い上がりに救われていたと言ったら…どうだ?」
「…え…?光…が?」
驚き顔を隠さない白石の耳に、隣の部屋を仕切る襖の向こうからお見えになりました、という声が届く。
男が入ってくれ、と言うと左右に襖が開き、その先にいる人物に更に驚いた表情を浮かべた。
「し…師匠…!」
慌てて頭を下げ、部屋の最も下座へと下がり男の前の席を譲るが、翁は何も言わず男の座る横へと歩いて行った。
そして腰を下すと目の前に置いてある人形をじっと見下ろした。
「うん…相変わらず繊細な仕事やな。それに…いつもと違うて心が篭ってるようや。しかし基本に忠実で思い切った事が苦手や思うとったが…
…何で寝姿にしたんや?伎芸天を模すんやったら、格子中の姿にするんやないか?」
白石自身、最初はそのつもりにしていた。伎芸天の代わりならば、綺麗に化粧を施され、豪奢な着物をまとった姿でなければならないと。
だが何度作っても上手くはいかなかった。
それが光の心を映さないのだ。
当然だ。そこは光の心など入る器ではないのだから。
光を、光自身の心を込めるのであれば彼自身の一番望む姿でなくてはならない。
そう思った時、彼本来の姿として思い浮かんだのは自分の膝にもたれかかり、猫のように無邪気に眠る姿だった。
「それが……光やったんです。俺の知る、一番幸せそうな…ほんまの光やった…せやから光の代わりとして差し出すんやったら、それが一番や思たんです」
まっすぐに二人を見据える白石の瞳に一点の曇りも迷いもない。
それを見ると翁はふっと表情を和らげた。
「一皮剥けたようやな、蔵ノ介」
「………違うんです…」
翁は珍しく褒める言葉をくれていたが、白石は苦しそうに表情を歪めてそれまでの言葉を否定する。
「ほんまは、違うんです。その光は、ほんまの光なんです、確かに。けど…それも己の未熟さを隠しとるだけなんです」
「どういう意味や?」
「俺にはまだ……その子に瞳を入れれんかった。光の、見るもん圧倒させるような…あの綺麗な目は表現出来んかったんです。
初めて光が俺を見てくれた時の…体中の血が逆流してんちゃうかってぐらいの胸の高鳴りとか…眩暈呼ぶようなあの高揚感とか…
…どれも出ぇへんかった…俺には、まだ作れませんでした」
命の宿った瞳を表現するにはまだ力が足りない。
魂を揺さぶるような美しい瞳を光に、光を模した人形には与えられなかったのだと白石はうなだれた。
だが翁はそんな白石を褒めた。
「己の力量を知るんも才能のうちや。確かに今のお前では無理やな…せやけど今大事な事は、それが出来んかった事やのぉて、出来へんと解ったという事や」
「…はい…ありがとうございます」
温かく、厳しい言葉に目頭の熱くなった白石は深々と頭を下げる。
そして翁はここ数日ユウジに任せていた庵に足を向けていた話を始めた。その時、白石が必ず助けると言った言葉が救いだったっと光が明かしたのだと言う。
「誰もが恐れをなして近付く事ためらう自分に臆さんと側に来てくれて、自らの弱み見せてくれたお前を、ほんまに好いてるんやと私に教えてくれたわ」
「光が…?」
「思い上がりの行動も、強ち間違いやなかったとゆう事や。お前は基本はよぉ出来て優秀やが杓子定規で少し遊び心や冒険心に欠けるとこがあったさかいな…
今回の事は決して恥ずべきやないんやで」
これからの成長の為にも必要な段階だった。だからこそ翁は道ならぬ恋ではあったが見守る事にしたのだ。
ならばその結末はどうなるのか、全てはこの男の、光の父親の一存にかかっている。
答えを聞く為に姿勢を正し、まっすぐと見据えた。
「あの…それで……光は…?つ…連れて行くんですか…?」
「ああ、あの話か。渡米するのは私ではなく私の部下だ。私は大阪で新しい事業を始めるのでそちらに行く事になる。もちろん光も連れていくつもりだったが…」
一旦言葉を切り、男は目の前の人形に視線を落とすと愛しいという感情を隠さず指先で寝顔を撫でた。
「この子を連れて行く事にしよう…賭けは私の負けだ」
「ほんまに…ほんまにそれでええんですか…?」
「ああ。君になら光を託す事も出来る。……あの子を…息子をどうかよろしく頼む」
そう言って下げられる頭に、白石は複雑な表情を浮かべ見つめた。


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