浄玻璃ノ鏡4

年の瀬押し迫り、新年を迎える準備に忙しく過ごしていた為か、日頃より床に就くのが早い銀であったがそれ以上に早くから眠気がやってきてしまい、うっかりと転寝をしてしまった。
寒さに震えて目が覚めたのは日付も変わった後。
頭を少しすっきりさせようと障子を開け、廊下に出た。
眠り端には降っていなかった雪が少し境内を白くしている。
数日後にやってくる新年は恐らく雪景色となるだろう。
風も強くなり始め、作務衣一枚では凍えそうだと思いながら室内に戻ろうとする。
だが中庭を挟み真正面にある僧の一人の部屋から大きな物音がした。
それを不審に思った銀は急いで廊下を渡る。
大ごとになってはいないかと心配していたが、切りつけるように吹く風の音に混じり聞こえる声に足を止めた。
「……光?」
普段あまり光が懇意にはしていない僧の部屋であるというのに何故だろうと不思議に思う。
だが聞こえてくる声に光が脅されている事に気付いた。
それも件の僧だけではなく、他の僧も部屋にはいるようで皆が光に詰め寄る影が揺れた。
僧達の声が籠っている所為で内容までははっきりとは解らない為、偶然を装い部屋に入ろうか否か、悩んでいるうちに二人は奥の部屋へと消えて行ってしまった。
機会を逃してしまったと後悔しながら、銀は仕方なく自分の部屋へと戻る。
しかし光の事が気になり、朝の勤行の時間まで眠る事は出来なかった。

底冷えする本堂で、まだ住職も起き出さぬ間に銀はご本尊への読経を始め心を鎮める事に努めた。
そうして四半刻が過ぎた頃、ふと背後に並々ならぬ鋭い視線を感じ、勢いよく振り返った。
「あ、すいません…驚かしてしもて」
誰かが起き出してきたのかと驚いたが、その視線の主は光であった。
驚いたように目をきょろりとさせ、銀を見下ろしている。
銀はどう声をかければよいか思案してしまい、挨拶すら忘れてしまっていた。
呆然としたまま光を見上げる銀を見て、光は何かを悟ったようにふっと表情を緩めた。
「……昨日、部屋の前いてましたよね」
「……いや…うむ、その…話までは…」
「そうですか」
だったら忘れてくれ、と呟く光の瞳が強く光った。
途端に脳の中心がぐらりと揺れる感覚がする。
何が起きたか一瞬解らなかった。
だが頭の中に靄がかかったように霞んでいく様に、それが光の力であると察した。
ああ、やはり光は人ではなかったのかと思う。
朦朧としながらも光を見上げれば悲しげな瞳を銀に向けていた。
そんな目をしないでくれ、と強く念じるよう思うと、弾かれたように頭の中が急にすっきりと晴れ渡る。
一体何が起きたのかと銀は呆然とする。
だがそれ以上に光は驚いているようで、大きく目を見開いたまま呆然と立ち尽くしていた。
「……光?」
微動だにしなくなった光が心配になり、銀はゆっくりと立ち上がると光の肩に手を置いた。
酷く驚いた様子でびくりと大きく体を揺らし、一歩下がる。
銀自身何が起こったのか解っていなかったが、今はそれより光を宥める事が先決だろう。
「なん……で、や…だって俺…」
「光、わしなら大事ない。どないしはった、そんな泣きそうな顔して…」
じりじりと後退する光の腕を掴み、それ以上逃げるなと引き止める。
怯えるような瞳のままではあったが光はそれ以上逃げる素振りは見せなかった。
「ごめ……ごめん、なさい」
「何を謝る事があるんや」
 正体を黙っていた事、そして今の所業。
光の謝罪には様々が含まれている。
忘れてしまってはいるが、今の様な事は恐らく過去にもあったのだろう。
そんな今までの事も全て含め、銀は謝罪の一切を拒否した。
光には何一つ謝られる事などされていないのだ、と。


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