Home Sick Child15


夕方になり、大量の荷物と共に再び病院に来ていた。
午後の診察時間と重なってしまいロビーは患者でごった返している。
坊主と医者は儲かるはずだと嫌味な事を思いながら、エレベーターの階上へ向かう為のボタンを押した。
今どこに鉄の箱がいるのかを示すデジタル数字を目で追っていると、視界の端に飛び込んできた。
「………赤也…!!」
酷い咳をしながら歩いてくるその男に完全に思考が止まった。
「どうしてここに…」
赤也は健康そのもので、成績は悪かったが病欠など一度もした事がなかった。
記憶にある限りでも病院にかかったのはもう何年も昔の事。
それも調子に乗ってはしゃぎすぎて怪我をしての来院だった。
こんな状態になるほど体調を崩している姿を初めて見た。
それまでは背中を丸めて気付いていない様子だったが向こうもこちらに気付いたのか、慌てて踵を返してしまう。
それを、無意識に追いかけていた。
「おい赤也!」
気付けば内科の診察室が並ぶ廊下を通り抜けひと気のない薬品倉庫の前にまで来ていた。
「どうして逃げる!風邪か?…酷い熱だ……」
掴んだ腕の熱さに驚き、つい何事もなかったかの様に話しかけてしまった。
「………るせ……ほっとけ…っっ」
高熱に冒され朦朧としているのか今にも倒れそうだというのに、腕を振り払おうとする。
ぎゅっと握り締めそれを制するとようやく赤也の動きが止まった。
「お前…」
「ほっとけ……つってんだろ………もう…戻ってくるつもりがないんなら……中途半端に優しくすんな…」
これがあの独占欲に汚れた男の末路なのかと思わせるほどの弱弱しい声。
途端に、腕を握る力が緩んだ。
隣をすり抜けて通る背中を、どうしても見る事ができなかった。
目をそらせない現実はすぐそこにあるというのに。

「…………蓮二…」
「生きてるか?」
沢山の機械に囲まれているが、随分と落ち着いたらしい精市は笑顔を向けている。
先刻の出来事が頭に引っ掛かっていたが何とかポーカーフェイスは保てている。
敏い精市も今は自分の事で精一杯なのか、仮面の下にある変化には気付いていないようだった。
「………今度こそもうダメかと思ったや…」
「何を言う。お前のように世話のかかる奴はケルベロスに地獄から追い返されるぞ」
弦一郎が側に居ない所為なのか、珍しく弱気の発言を漏らす精市を鼓舞させるつもりで毒を返してやる。
しかしどう解釈をしたのか精市の表情はふっと曇った。
「………地獄か…やっぱり俺みたいな卑怯者は天国に行けないよな…」
「……精市…?」
「ごめん蓮二…」
何に対する謝罪なのだろう。
皆目検討がつかず、次に出てくる言葉を待った。
「俺……お前の事大好きだよ……蓮二…」
唐突に何を言い出すのかと思えば先程の謝罪の言葉とはまるで逆の言葉。
何が言いたいのかが全く解らず、とにかく話の先を促した。
「……ずっと一緒にいたいって思った。でも………俺はこんな身体だから……この命いつまであるか解らないし…もちろんこうやって生きてるうちは一分一秒大事にしてるけど…でもそれもいつまで続くか解らないだろ?そしたら…その後……真田は一人になる……しっかりして見えるけど案外淋しがりやだからね、あいつ…だから………蓮二がずっと側にいてくれたらな…って思ったんだ…」
「……今ここにいるだろう…これからも一緒に居るって…」
限られた面会時間に何話しているんだと思いながら、やけに真剣な精市の表情にちゃんと真剣に返してやる。
「嘘。本当は帰りたがってるくせに…」
「…え?」
「赤也のところに…………帰りたいんだろ?」
どうして彼には隠し事が出来ないのだろう。
それよりも何故そんな事が解ったのだろう。
不思議に思っていると、とんでもない事を口にしてくれた。
「ごめん隠してて……ほんとは…少し前に…赤也に会ったんだ」
「…赤也に……?それで?!何もされなかったか?!」
まさかこの期に及んで、とひやりとさせられたが精市は静かに首を横に振った。
「されないよ………いや、どちらかというと俺の方がしたかな」
「何?」
「俺……嘘ついた…酷い嘘………ごめん…蓮二ごめん…」
「何を?ちゃんと話せ。それだけじゃ解らんだろう」

精市が一人で外出をする事なんてほんの数えるほどだった。
それが弦一郎と離れて暮らす事に決まってからは、家の近辺なら一人で出かける事もあった。
その時に再会したらしい。
あの男と。

いつだったか病院帰りに出会った少年。
一度しか会った事はなかったが、見間違えるはずもない。
見覚えのある背中を見つけるや否や、精市はいつもより急ぎ足で歩いた。
のんびりと歩くその背中には精市の足でも充分に追いつける。
声もかけずに咄嗟に肩を掴んでしまった為相手は酷く驚いていた。
「え…?」
「赤也君」
突然食らいついてきた男に、赤也は目を白黒させる。
他の奴にする様に不機嫌にならずに済んだのは、たぶん相手の雰囲気があまりにもその他とかけ離れていたから。
逆らう事を許さない、強い意志を持った瞳をした綺麗な男だと赤也は思った。
「アンタ確か柳さんと…」
「よかった覚えててくれて。俺は幸村精市です」
「はぁ…切原赤也っス…で、何か用っスか?」
「時間もないし単刀直入に言わせて貰うね。蓮二はもう君の元には帰らないよ」
瞬時に凍りつく表情を、精市はただ冷たく見下ろした。
「君の事で苦しんで傷付いてる姿を沢山見てきた。だから君には返さない」
「返さないって……アンタ、柳さんの何なんっスか」
一生懸命に睨み返そうとしているが、精市の雰囲気に飲まれてしまって上手くいかない。
赤也は覇気をなくし、思わず目を逸らした。
「俺は蓮二の友達だよ」
「……帰らないって…今アンタのとこにいるんスか?」
「そうだよ。俺の古くからの友人と三人で一緒に住んでる」
「そっか…実家にも戻らず宿無しでどうやって生活してんのかと思ってたけど……それならいいんだ」
ふっと柔らかくなった表情に、この子がどれだけ彼を思っているのかは瞬時に解った事。
だが精市には言えなかった。
どうしても言えなかった。
自分勝手な思いの所為で本当は思い合っている二人を引き離してしまう。
それを解っていながらも言えなかった。
大切な人が夢を叶える為にはそうするしかなかったから。
「だからもう蓮二には会わないでね。彼も二度と会いたくないって、君の事なんて早く忘れてしまいたいって言ってたから」



精市の思わぬ告白に絶句した。
もしも、赤也の元へと帰ってしまえば弦一郎は恐らくあの話を断ってしまうだろう。
そう考えた精市は、赤也に対して嘘をついたのだという。
もう二度と蓮二に関わるな、と。
「…ごめん蓮二……勝手な真似をして……本当はずっと帰りたいって……思っ…知ってたの……にっ」
「おい…精市?」
「俺は…お前がどう思おうと構わないと……ただ真田の……自分のっ…為だけ……にっ……赤也からお前を奪った…っ…物のように…っ」
一瞬言葉が途切れたのは、泣いているからだと思った。
しかし酷く胸を掻き毟る姿と、隣にある機械がけたたましい音を発している事にそれが違うと教えられた。
「落ち着け!!このままでは…」
「…俺……っ…どうしても…真田の夢 …  叶えて…ほしっ……だからっ―――…っ!!」
何かを言おうと精市の手が空を舞い、それを握ってやろうとしたが、バタバタと忙しなく入ってきた医師やナース達に遮られ、そしてすぐに廊下へと追い出されてしまった。
また、何もしてやれないと無力感に支配される。
騒がしい室内に、何度も行き交うCCUスタッフたち。
まるで他人事の様に耳に入る音がやけに心に響いて仕方ない。
また最悪の事態ばかりが頭の中を駆け巡る。
目の前を行き交う激しい足音に我に返り、現実に引き戻された。
いつも、弦一郎はこんな気持ちだったのだろうか。
いや、きっとこんなものじゃない。
もっともっと、それこそ自らの身を切られる様な思いで、いつもこの場に居たに違いない。
本当にこれが、二人離れ離れになる事が弦一郎にとって、精市にとって良かったのか疑問に思えてきた。
もしもこのまま、と最悪の思いばかりが頭を駆け巡る。
しかし精市は相変わらずのしぶとさで何とか持ちこたえた。
ほっと一息する間もなく、今度はこちらが心不全になるのではと思わされる出来事が起こった。
目の前に、いるはずもない奴が立っていたから。
「………―――っっ弦一郎?1」
ここまで走ってきたのか息を切らせ、苦しそうにネクタイを緩めている人物。
それは紛れもなく弦一郎だった。
あらゆる疑問が脳内を支配する。
しかし驚きのあまり言葉が出てこない。
代わりに、ようやく息の整った弦一郎が静かに口を開いた。
「…結局俺は……幸村が何を望んでるか…解らなかった………だが…ただ会いたくて…戻ってきた」
思わぬ発言に今度は耳を疑った。
弦一郎は更に言葉を続ける。
言葉は挟めず、それを黙って聞くしかなかった。
「お前から電話があって………心臓が止まるかと思った…そして解った…気付いたのだ。……やはり離れては暮らせない…心配などという問題ではなく………俺が…側に居てやりたい…と………俺が…駄目なのだ…あいつがいないと……」
何てバカな奴らなのだろう。
だが、その気持ちは痛いほどに伝わってくる。
面会を許された弦一郎は弱々しく微笑むと、そのままCCU内へと消えていった。
看護師に促されるまま中に入ると、案の定、さっきの自分と同じ反応を示す精市がいた。
「真田?!何やって…お前……」
「行くのは止めた。日本に残る」
「何考えてるんだ!早く戻れ!!お前の夢の邪魔はしたくないっ」
「お前のいないところで夢叶えても意味などない……お前がいないと…」
弦一郎にぎゅっと手を握り締められ、精市の表情がやっと緩むのが伺える。
「俺の夢はお前と共にコートに立つ事で…お前のいないコートに戻ったとしても、それは夢を叶えた事にはならんのだ。
察しろ幸村……俺はお前が―――…」
やはり離れられない。
いや、離す事など出来ないのだ。
心に重く乗っていた疑問は振り払われた。
そしてようやく冷静になれ、一つの結論が導き出せた。
たぶん、あの裏路地で赤也と再会する以前に、赤也は精市に会っていたのだ。
精市の言葉を受け、更生しようとしたのか。
それとも、更生すれば帰ってくるとでも思っていたのか。
だが、口を吐いて出たのはあんな言葉。
精市の嘘を決定付けたのは他ならぬ自分だったのだ。
だからあんな、弱い態度だったのか。
なのに、心配をしていたらしい。
こんなに酷い別れ方をしたというのに。
それ以前に、あんなに酷い独占欲で縛り付けていたというのに。
いや、違う。
そういう風にしか接する事が出来なかったのだ。
形を間違えてしまっただけ。
愛情と独占欲の天秤を掛け違えてしまった。
ただそれだけの事。
この期に及んであいつの本心にようやく気付くなんて、本当にバカなのは誰なんだと自嘲気味な笑いしか出てこない。
そして看護師に先に帰ると言付けると、そのまま病院を後にした。

【続】

 

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