Home Sick Child12

精市の体の状態で、今最も深刻な心疾患は手術で治るものらしい。
だがそれにはそれ相応の費用がかかる。
次に大きな発作を起こせば命に関わるかもしれないと聞かされた。
時間がない。しかし金もない。
「俺がもっとしっかりしていれば幸村を楽にしてやれるというのに。不甲斐無い自分が悔しくて仕方無い」
そう漏らした弦一郎が精市以上に苦しんでいるように見えたのは、きっと思い違いではないだろう。
テニスでトッププロになれば、あるいはそれも叶うかもしれない。
しかし成功するとは限らない。
何の保障もないまま、精市を日本に残し大博打には出られるわけがない。
それは精市にとって一番辛い事だろう。
病気の発作よりも独りになるより辛い、弦一郎と離れ離れになってしまう事。
しかし平行線を辿っていた事態が急転したのは、精市の変化を伴っての事だった。
それまで家の事など何一つした事がなかった精市が突然家事の手伝いを始めたのだ。
突然の事に弦一郎も驚いていた。
普段は鈍いくせに、精市の変化に敏く気付いた弦一郎は、すぐに事の真意を見抜いた。
「俺の事なら心配ないから行ってくればいい」
「馬鹿を言うな!お前一人残して行けるわけがないだろう!!」
キッチンに立ち、夕食の用意をしていた為話題に乗り損ねていた。
突然する弦一郎の大きな声に驚き振り返れば、リビングのソファに向き合って座り睨み合っている。
慌てて二人の間に入った。
「弦一郎。近所迷惑だ。少し声を抑えろ。精市もあまり興奮するな。体に障る」
感情的に言い合う二人を前に、努めて冷静に振舞う。
「う…うむ……すまん」
「蓮二からも何とか言ってよ。こいつの頑固は俺ではどうにもならないんだ」
「何の話だ?」
「跡部からの誘い。蓮二は知ってたんだろう?どうして俺には言わなかった?」
「黙っていろと弦一郎に言われて、俺もそうした方がいいと判断したからだ」
怒りの矛先が弦一郎から自分に向けられる。
初めて見る本気で怒る精市の迫力に飲まれそうになった。一瞬怯むのを見た精市は、もう一度弦一郎に向き直る。
「こんなチャンス、もう二度とないかもしれないんだぞ?年齢的にも…今行かないともう二度と…」
「だが…」
「俺を言い訳にするな真田!!」
弦一郎に比べ、若干落ち着いた様子だった精市だったが、ここにきて口調を荒げた。
「お前本当は怖いんだろう。世界に出て自分が通用するのか。それにブランクもあって今からでは無理かもしれないって…不安になってるんだろう」
精市の言葉は弦一郎の心に刺さったらしい。
目を見開き、直後バツが悪いとばかりに目を逸らした。
「行け。行ってこいよ真田。お前の夢、その手で叶えてこい。お前ならできる」
精市の優しく強い声に、弦一郎の心が揺れたのが解った。
後は今ある不安を除いてやる事だ。今の状況、蚊帳の外からでは口出しできない。
だったら、と口を開いた。密かに考えていた、思いを伝える為に。
「解った。俺がこの家で精市の面倒見る。それならどうだ?精市は一人にならない。弦一郎も安心して行けるだろう」
「―――え?」
「何を言う蓮二…お前にそんな迷惑は……」
明らかに困惑する弦一郎と驚いた顔の精市。
二人のあまりの間抜け面に思わず笑いを漏らしてしまった。
「迷惑はお互い様だ。俺もお前たちに迷惑をかけている」
「そんな言い方するな蓮二」
「俺は……お前たちに拾われて本当に救われたんだ。そろそろ恩返しをさせてくれ」
本格的にこの家の世話になると決めれば、二人に話さないわけにもいかないだろう。
本当はまだその勇気がなかった。
だが聞いて欲しかった。他でもない、この二人に。過去に置いてきた事実を。


「この前の……あれは俺の弟だ」
「弟?」
「血は繋がってない。あいつは…赤也は小学生の時うちに引き取られた」
それでも血のつながり以上に大切に思っていた。
大事に大事にして、大事にしすぎて道を誤ったのだ。
両親、特に母親は成り行き上、仕方なく引き取った赤也を可愛がらなかった。
赤也の両親は不慮の事故で同時に亡くなっていた。
まだまだ親に甘えたい盛りだろう僅か十歳の頃の話だ。
だからその分も可愛がろうと決めていた。
大学はわざわざ実家から離れた場所を選び家を出た。
もちろん赤也を連れて。
冷たい家を離れ、ようやく赤也は遠慮なく甘えてくれるようになった。
我侭を言って困らせてきても、それは赤也が信用して甘えてくれている証拠なのだからと、それすら嬉しかった。
「俺は赤也への接し方を間違えたのかもしれない…」
過ぎた我侭を許し、放任した為なのか、それとも彼に眠っていた本能だったのか。
赤也は異常とも思える独占欲を見せ始めた。
始めのうちは嫉妬と呼べる程度の可愛いものだったのだ。
それがいつからか、そう、兄弟という枠を越えて肉体関係を結ぶようになった頃からだ。
目に見える狂気で束縛するようになってしまった。
「俺だけにそれが向けられていた頃はまだ良かったんだが…周りへまで容赦なく攻撃するようになってしまって……」
ある日、ついにそれは無二の親友までをも巻き込んでしまった。
突然行方を眩ませた友を心配していると、とんでもない事を言い出した。
赤也の付き合いの中でも最も信用のおけない人物に引き渡したというのだ。
その後の行方はわからない。
ただ無事でいてくれと願うことしかできないでいる。
「もう側にはいられないと思った。嫌悪すらした。だが心の底ではまだあいつを……求めていた」
二人は黙って話を聞いてくれた。
顔を見る事はできないでいる。
それでも、俯きぽつりぽつりと紡ぐ言葉を静かに受け取ってくれるだけで嬉しかった。
「あいつにとっての俺は唯一だった。だからこそ他の誰かに目を向ける事を極端に嫌がっていた。危ない事をして俺の気を引き、俺が自分以外の人間に関わる隙すら与えてくれない。 まるで幼い子供だ。だがそれを許してきた俺の責任でもある」
いつまでも逃げているわけにはいかない。しかし今は、今のこの生活が気に入っているのだ。
誰にも邪魔をされたくない。
「お前たちの事が解っている以上、これから何かしてくるかもしれない。だが……必ず守ってみせる」
「蓮二。一人で抱え込もうとするな。俺はこの家を離れるが、俺も幸村もお前の力になりたいと思っているんだからな」
弦一郎の言葉に精市も微笑みながら頷いている。
二人の大きな心で包み込まれ、ようやく肩の力が抜ける思いがした。
誰にも言えず、孤独と痛みの中で暮らしていた事が嘘のようだ。
「蓮二、話してくれてありがとう」
精市の優しい声に心が晴れ渡った。
そして気付いた。いつの間にか、あんなに怖がっていた夢を見なくなっていた事に。
だからこそ、ずっとこの穏やかな生活が続けばよいのにと、願わずにはいられない。

【続】

 

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