光のソレは間違いなく恋心。
アンジェラス シルキー7
とりあえず手始めに昼食に付き合ってもいいか、と尋ねると財前は警戒する様子もなく構わないと答えてくれた。
「どこで食べるん?」
「こっちです」
そういって連れられたのは特別教室の並ぶ四階建ての校舎の最上階へと上りきった階段の踊り場だった。
特別棟は屋上に出られないよう施錠している為、教室のある四階以上へ上ってくる者もいないからお気に入りの場所なのだと言って財前は階段に腰を下ろした。
「いっつもここで食べてるん?一人で?」
「はい。前は裏庭のベンチで食べてたんですけど…蔵ちゃ…あ、白石先輩があそこは変な虫おるからもう行ったあかん言うて。
毒あるやつで危ないよってもう昼寝もしたらあかんよって」
その変な虫とは俺の事か、と謙也は思わず頭を抱えた。
しかしなるほど、やはりそういう経緯であの場所で見かけなくなったのかと合点がいった。
「名前で呼ぶぐらい仲ええんやな、白石らと。わざわざ言い直さんでええやん」
「はあ、まあ…けどうちがあの二人と仲良ぅしてんのええように思てへん人多いから学校ではあんまり呼ばんようにしてるんです」
「けど俺やったら大丈夫やろ?そんなん全然気にせんし」
むしろいつも通りの財前が見たいと思い、そのままでいいと言えば、安心したように表情を緩めた。
「あれ?先輩、お昼食べんのですか?」
「あー…実はもう食うてん、昼休み入ってすぐ」
「そうなんですか?」
財前は床に置いてあったパンの入った袋からヨーグルトを出すと謙也に向けて差し出した。
「どうぞ」
「え?」
「うちのお昼に付き合うてくれたお礼です」
「いっ、いや…そんな、ええよええよ!」
謙也はプラスチックのスプーンを添えて渡そうとするのを遠慮して思い切り首を横に振る。
だが財前が嫌いですか、と眉を下げるので慌てて受け取った。
どこにでも売っているものだが好きな子から貰うと特別な物に思える。
謙也はいつもの早食いからは考えられないほどのスローペースで噛み締めるように口に運んだ。
「昨日、残念でしたね」
「え?ああ、二次会やったら元々行く気なかったし、ほんまにええんやで?」
「まあけど…お囃子隊も出動したらしいし、どっちみち失敗やったみたいですね、昨日の合コン」
「…お囃子隊……って、もしかしてあの先輩らか?!」
頷く財前にようやく級友の言っていた不可解な言葉が理解できた。
あの二人には去年までファンクラブと称した四人の高校生が張り付いていたのだ。
謙也達と入れ替わりに卒業していった彼らは学校で一番の人気者で、六人は常に学校中の羨望の的だった。
クラスでショックを受けていた謙也の友人は高校から外部入学した為に彼らの存在を知らなかったのだ。
それにしても卒業して関係も自然解消したと思われていたが、まだ続いていたのかと驚いた。
「そのうちの誰かと付き合うてるんや」
「いや、四人は彼氏とかそんなやないらしいですよ。つーかほんまにファンってだけで恋愛感情はないって言うてました。
ま、蔵ちゃんらがうちに構うような感じちゃうかと思ってるんですけど」
「ああ…そういう事かぃな…」
そうやって妹を心配する兄のように二人に悪い虫がつかないように監視しているという事かと納得する。
「蔵ちゃんら機嫌損ねたらあの人ら呼び出して二度と誘ってこんように仕向けんねん」
なるほど、そうして合コンを潰された男共は不名誉を理由に皆口を閉ざし、同じような犠牲者が増えていっていたという訳か。
悪循環ではあるが、毎度断ち切ってはいる。
要するに悪いのはあの二人ではなく後を絶たない馬鹿な男達だったのだ。
そしてそんな悪意から財前を守っている。
しかし、それにしたって好意を抱く自分すら敵視している分には私怨が混じってやしないかと思わざるをえない。
本当に前途多難だと謙也は大きな溜息を吐いた。
表情が乏しく、感情の起伏の少ない財前が一番嬉しそうになる瞬間は謙也の天敵とも言える白石と千歳の話をしている時だった。
その為に自然と話題に出す事が多い。
大変に不本意ではあるが仕方ない。
音楽の話以外で生き生きとした財前を見る為にはそれ以外に方法がないのだ。
「あの二人とはどうやって仲良なったん?」
「うちが中一の時に委員会で同じ班になって。それで目ぇかけてもらうようなって…
その頃からずっと一人でおったからほっとかれへんって思たんちゃいますかね」
「へぇ…結構長い付き合いなんや」
初めて昼休みを一緒に過ごして以来、謙也は事ある毎に財前の秘密の隠れ家に現れた。
特に約束をしているわけではないのだが、昼休みは大抵その場所にいる財前を訪ねていくのだ。
そして僅か40分程を一緒に過ごす。
それが謙也にとって至福の時間となっていた。
ただし、会話の内容はあの厄介な悪魔達である事が多いのだが。
「二人ともめっちゃ人気者やのに気さくに声かけてくれて、ほんま嬉しかったんです。
あんなに綺麗で可愛くてスタイルも良ぅて、頭もええし優しいし…」
「財前さんほんまあいつら好きやねんな」
「うん。大好き。あの二人おってくれたらうち彼氏なんかいらんわ」
頬を染めながらふふっと笑う財前の言葉は、車に轢かれる程の衝撃を謙也に与えた。
彼女の様子からして好きな人はさておき、彼氏などはいないようだと安心していたのだが、敵は思わぬ場所から現れた。
それも史上最強最悪の敵が。
巨大トレーラーの下敷きになった気分だ。
とんでもなく重い何かが全身を襲う。
だがショックで茫然とする謙也に更に追い打ちをかけるように財前は言葉を続ける。
「女のうちでも一緒におったらドキドキしてまうんやから、男子があの二人好きにならん訳ないですよ。
先輩も蔵ちゃんとちーちゃん好きですよね?」
「えっっ」
人の大事なところを犬に食わせようとするような女共など、好きになるはずがない。
ありえない、と絶叫しそうになるが、紅潮する顔を向け、きらきらと光る瞳に見つめられてはそのような否定はできやしない。
謙也は目を逸らしながら曖昧な笑みを浮かべまあそうかな、と言って乾いた笑いを漏らした。
「ですよね!皆あの二人と一緒におったら比べられて可哀想って言うけど、そもそも比べるまでもないんやからそんなん全然気にしやんのに。
それより一緒におれる事のが嬉しいからどんな事言われたりされたりしても気にならんねん。
二人は下らん合コンなんか来んでええって言うてくれるんやけど、
うちアホやからあの二人とちょっとでも一緒に居とぅてな、いっつもついてってしまうんですよ」
財前があのような目に遭っても二人と一緒にいるのは偏に二人への思慕があるからこそだったのだ。
それこそ恋心とも呼べる程過剰な思いが。
異様な程に財前を溺愛する白石と千歳、そして二人を慕う財前はまさに相思相愛だ。
間に入り込む隙など、たとえ一反木綿になろうとありそうにない。
「この時計もね、二人がバイトして初めてのお給料で買うてくれたんですよ」
そう言って袖口から見せたのは、昨日も財前の腕を飾っていた蝶モチーフの時計だった。
「め…めっちゃ可愛いやん!ほんまよぉ似合てんで」
「ほんまですか?これ、うちの一番の宝物なんです!」
それで他のアクセサリーと異質で合っていなかったのに身に付けていたのかと納得がいった。
「うち自分が失恋しても何とも思わんけど、二人に彼氏なんか出来てしもたら大泣きしてまうわ」
「へ…へぇ…」
「うちほんま二人大好き。世界でいっちゃん大好きなんです。二人がおってくれたら友達も彼氏もいらんねん」
俺は今大泣きしたいわ、と謙也はいつもより饒舌に二人への愛を熱っぽく語る財前を涙目で見つめながらも律義に話を聞き続けた。
昼休み終了間際、酷く落ち込んだ様子で教室に入ってくる謙也を目ざとく見つけ、白石は笑いながら近付いた。
「ついに光にフラれたか」
「いや……けどフラれたも同然な気分や」
「へえ、何言われたん?」
「……言いたない」
ぷいっと顔を逸らし自分の席へ向かおうとする謙也の首根っこを掴み、白石は笑顔で壁に背中を押し付ける。
「いでっっ」
「何、言われたん?」
笑っているようでちっとも笑っていない作り笑顔を白石に向けられ、謙也は背中がヒヤリとする。
普段から自分中心に世界の回っている白石であるが、殊財前の事に関しての黙秘権は許さないのだ。
「はあ……財前さんもこんな奴のどこがええんやろ」
「何やねんなそれ」
「お前らが世界で一番好きやって言われたんや」
「何そんな当たり前の事にショック受けてん。アホちゃう?」
そんな事を平然と言ってのける白石はやはり悪魔の化身だ。
謙也は白石の手を逃れると自分の席へと戻った。
途端に級友達に囲まれる。
「ちょっ…謙也、お前最近白石さんと仲ええな」
「あーそんなんちゃうわ」
友人の言う通り、財前と"友達"になって以来、白石と喋る機会は増えた。
以前より遠慮と緊張で遠まきにしか見れない男子連中と違い気軽に言葉を交わしてはいたが、
今は財前という共通項がある為に言葉を交わす回数が増えている。
「何で?学校中の憧れのエンジェルズやで?好きにならんわけないやろ」
財前と同じような言葉で攻撃する友人に思わず怒鳴りつける。
「好きになるわけないやろあんな悪魔!!」
奴は悪の使いだ。呪いの術者だ。俺は祭壇に捧げられた生贄のようなものだ、という言葉は必死に飲み込んだ。
しかし最初の絶叫は当然のように白石の耳に入っていて、不穏な空気にはっと顔を横に向ければ再び作り物の笑顔を浮かべた白石が腕を組んで立っていた。
「誰が、悪魔やって?」
「あ…いや、その……あ、クマやー……何つって…」
下らない駄洒落も相まって、いつもの数倍力のこもった拳を腹に入れられてしまった。
だが容赦ない攻撃にうなる謙也を心配する者はおらず、どいつもこいつもうらやましいというドMな発言をするばかりだった。