あとで後悔必至の宣言しちゃったヨ。
アンジェラス シルキー6
とんでもなく厄介な相手に惚れてしまったと思った。
本人はあの通り全くこちらの好意に気付いてはいない。
そしてあの二人、白石と千歳が鉄壁のディフェンスで守っている。
易々と近付く事も許されないのだ。
本当に厄介だが、それ以上に相手を思う気持ちはもっと厄介だ。
遅刻した事で部長や顧問にこってりと絞られ、いつも以上に疲れる朝練を終えて再び教室に戻ると、
昨日合コンに参加した友人が教室の端の席で突っ伏している。
女テニはまだ朝練が終わっていないのか白石の姿はない。
それを確認した後、謙也はその友人に近付いた。
「おはよー」
「おぉ…謙也か……」
「何、どないしたん?元気ないやん」
自分の席ではないが、その友人の前の席に座り情けない顔を見下ろす。
「お前、昨日帰って正解やったわ……あの二人は俺らにはやっぱし高嶺の花やわ」
「は?二次会で何かあったん?」
「何かどころちゃうわーっっっ!!!」
涙目で絶叫をしたところで教室内が俄かに色めきだした。
女王様のご登校か、と教室の扉の方を見ればにこやかに笑顔を振りまきながらクラスメイトに挨拶する白石が視界に入った。
先刻自分の乳首を捻り股間を蹴りつけようとしていた奴と、とてもではないが同一人物ではない。
あの二重人格の悪魔め、と謙也が心の中で呟いていると、友人は見る見る態度を萎れさせる。
「昨日やー…飯食いに行ったはええんやけど…途中でやたら煌びやかな男四人が来てな、二人連れて行ってしもたんや」
「何それ?」
「解らん。けど、めっちゃ親しげやったし金持ちっぽかったし大人やったし勝ち目ないっちゅーねん」
何にしても失敗だったのかとぼんやり考えていると、友人は地雷とも呼べるその言葉を口にした。
「これやったら外堀からちょっとずつ攻めたらよかったわ」
「あ、それ無駄やで」
「え?」
「財前さん伝手でって思てんやろけど、それあの二人いっちゃん嫌悪しとるみたいやし」
どちらにせよ縁がなかったという事だと笑いかけると、もうほっといてくれと言って再び突っ伏してしまった。
「お前はええよなー…あの二人相手に遠慮のぉ喋りかけれて」
「…あー…俺あんまああいうんに興味ないし」
むしろマイナス評価だ。
何せ奴らは自分の大事な部分を質に脅しかけているのだから、とは言えなかった。
そして間もなく始業のチャイムが鳴り響き、担任が教室にやってきたのを切欠にその話は終わりとなった。
それよりも自分は昨日の誤解を何とか解かなければ。
そう思い、謙也は断腸の思いで白石に近付いた。
「な、なあ…」
「何?光の居場所やったら教えへんで」
「なっ…!」
バレている。
二時間目と三時間目の間にある20分休みになってすぐ、白石に尋ねるが一刀両断にされてしまった。
あのベンチに来なくなって以来、休み時間に財前がどこにいるかが解らないのだ。
中等部と高等部の校舎は隣同士で食堂や特別教室などは共通で使っている為、会おうと思えばいくらでも会える。
実際、何度か校舎内で擦れ違っているのだが、いつ会えるかも解らないようなタイミングを狙っている場合ではない。
「そ、そう言わんと…この通りや!!」
目の前で拝むように手を合わせるが、自分に拝まれても何とも思わんわとにべもなく返される。
立ちはだかる壁はどこまでも高く、財前までの道程は険しい。
だがこれしきの事で諦めるわけにはいかない。
謙也は昼休みを財前捜索にあてる事にした。
四時間目が終わってすぐ、弁当を五分で食べ終えると急いで教室を出る。
白石と千歳が昼食を摂る為に食堂へ向かってくれて、第一関門は一先ずクリアだ。
教室にいては間違いなく足止めを食らっていただろう。
観察していた頃に気付いたのは校内ではあまり目立ってあの二人と財前は一緒にいない。
行動を共にしている事も多いのだが、それは大抵人の少ない場所で、昼休みの食堂などでは決して会っていなかった。
そして財前は人目につかない静かな場所を好んでいるようだ。
屋上は考え難い。昼休みは人で溢れ返っている。
一つ一つ可能性を消しながら中等部の校舎を目指して歩いていると、特別教室の並ぶ廊下でその姿を確認できる幸運に出会えた。
「あ」
声をかけるより一瞬先に相手もこちらの気付いたようで、表情を変えないまま財前はぺこりと頭を下げる。
それを見て謙也は急いで駆け寄った。
財前の手にはパンやジュースの入った袋が握られていて、食堂に併設されている売店で昼食を調達した帰りなのだという事が解った。
「こっこんにちは」
「どうも」
緊張気味に挨拶する謙也とは対照的に、財前は何でもないといった様子で言葉を紡ぐ。
「あ、昨日、昨日ありがとうな!めっちゃ楽しかったで」
「え?ああ、こちらこそ。あんなとこまで付いてきてもろて…ありがとうございました」
「ぜっ全然!俺が行きたかっただけやし、気にせんといてな?ほんまに」
「はあ…あ、あれから合流できましたか?」
そうだ、まだ誤解されたままなのだ。
謙也は急いで弁解した。
「いや、行ってへんねん。あのまんま帰った」
「え?もしかしてもう皆帰った後やったんですか?……すいません…うちがもうちょっと早よ帰っとったら」
「ちゃうねん!ほんまに、それ誤―――…」
「あれ?謙也やん」
背後からする声にギクリと肩を揺らし、振り返ると謙也に最初に合コンの報を齎した友人が二、三人で連れ立ち歩いてくる。
小柄な財前は背の高い謙也に隠れて死角になっていたようで、すぐ隣に来るまで友人達はその存在に気付いていないようだった。
「あ、財前さん」
「ども…」
「昨日はありがとうな。めっちゃ楽しかったわ」
胡散臭い笑顔を振りまき自分と同じ言葉をかける友人を、謙也は思わず睨みつけてしまう。
これでは自分まで社交辞令だと思われてしまうではないか、と。
もっと気の利いた事を言えばよかったと後悔していると、友人にがっちりと肩を組まれる。
「何やー謙也。やるやん。考えたなーお前」
「え?何がや?」
驚いた顔をする謙也に、友人はそっと耳打ちする。
「白石さんらに興味ないとか言うとったのに、外堀から攻めるつもりなんやろ?」
「ちっ…ちゃうわボケ!!」
お前らみたいなアホな考え方する奴がおるから純粋な俺の思いまで疑われるんや、と心の中で絶叫していると、隣から驚くべき言葉が掛けられる。
「え?違うんですか?」
友人の耳打ちは財前の耳にも届いていたようだがそれに傷付くどころか意外だ、と心底驚いた顔を謙也達に向けている。
解っていても直接耳に入れば多少不快な思いをしても不思議ではないはずだというのに。
「違うって!」
「いや、そんな、力一杯否定せんでも。別にお気遣いなく。はっきり言うてくれてええんですよ、慣れてるんで」
無表情で淡々と言う姿に虚勢や意地などは全く感じられず、本当に心の底からそう思っているのだろう。
謙也は財前の腕を掴むと急いでその場から離れた。
何も考えず思わず掴んでしまったが、サマーセーターの下は見た目以上に細いとドキドキさせられる。
うっかり力を入れれば簡単に折れてしまいそうだ。
力加減を気にしながら謙也はひと気のない廊下の端まで連れて行った。
「あの…どないかしはったんですか?」
「誤解あるようやから言うとくけど、ほんっっまにあいつらの事はどうでもええねん」
「あいつらって…白石先輩らですか?」
「そうそう」
「え、ほな…」
やっと気付いたか、と謙也は表情を明るくするが相手はそれ以上のツワモノだった。
「誰に橋渡ししたらええんですか?うちあの二人以外で仲ええんって数えるぐらいしかおらんけど」
何故そうなるのだ。謙也ががっくりと肩を落とす姿を見て財前は珍しくうろたえる。
「あ、えっと…すいません役に立てんで……」
落ち込んでいる姿にすら誤解を与えてしまっていると謙也の繊細な心はバラバラと砕けるような音を立てる。
これはもう正攻法以外にやり方はない。
意を決すると顔を上げて財前の肩を掴んだ。
「え?え?」
「自分や、自分。俺が仲良ぅなりたいんは、あいつらでも他の奴でもなく財前さんやねん」
「あ…びっくりした……役立たずやてヤキ入れられんか思たわ」
「なっ何でやねん!!」
慌てて肩に置いた手を離すと、もう一度はっきりと言う。
「俺、ほんまに財前さんと友達になりたいんやけど、あかんかな?」
真っ直ぐな謙也の言葉に酷く驚いた表情の後に、苦笑いを浮かべ財前が小さく呟く。
「ほんまにうちと仲良ぅしたいやなんて…変わってますね、先輩」
「よぉ言われるわ」
頭を掻きながらぼやくと、今度ははっきりと笑ってくれた。
初めて自分に向けられる笑顔に、こんな表情を見れるならばこの厄介な恋も悪くないと思い始めていた。