アンジェラス シルキー35

帰ってくるな、白石絶対帰ってくるなという謙也の願いが天に通じたのか、結局その日白石は謙也の帰る時間まで戻らなかった。
財前が宿題を終え、さてどうしよう、何を話せばいいかと少し戸惑ったが不思議と話題は尽きなかった。
主に音楽やお互いの家族の話だったが、やはり財前の興味を一番に引けるのは天敵である白石と千歳の話題だった。
何とか軌道修正して部活の話に持って行き、そういえば、と、ずっと疑問に思っていた事を投げかける。
「そういや財前さんって部活してへんねんな。あいつらおるのにテニス部入らんかったん?」
「あの……はい…」
さっと顔を強張らせる財前に、しまった地雷だったかと謙也は慌てて頭を下げる。
「ご、ごめん。聞いたあかんかった?ごめんな」
「い、いや、そんなんちゃうんで謝らんといてください」
「そう…か?それやったらええねんけど…俺鈍感で知らんうちにいらん事言うてる事多いから嫌やったら遠慮のぉ言うてな」
「そんなん…先輩鈍感ちゃいますよ。うち無表情や言われてて親でもちゃんと解ってへん事多いのに、先輩結構うちの事解ってくれてはるし」
思わぬ本音の告白に謙也は舞い上がり、うっかり大きな声で叫びそうになった。
だがそれを必死に飲み込み、ありがとうとだけ告げる。
「最初は入ってたんです、テニス部。蔵ちゃんとちーちゃんに勧められて。
けど成長痛で一時期運動できひんようなってしもて…それでそのまま部活辞めたんです」
「そうなん?膝?」
「はい。ここ二年ぐらいで一気に15cmぐらい身長伸びたから体ついてけーへんかったみたいで」
今でもそれほど身長が高いようには思わないのに、それより更に小さかったのかと想像する。
謙也はきっと可愛かったに違いないと表情が緩むのを必死に堪えた。
「…先輩?」
「えっ、あっ!そうやってんな!俺もなったで。中学入ってしばらくしてから一気に背ぇ伸びてやー、寝てる間に体中の関節ミシミシ言うねんなぁ」
「うちはそこまで凄い事なかったんですけど…先輩も背ぇちっちゃかったんですね」
「おーちまかってんでー中学入ってすぐの頃は前にならえした事なかったしな」
想像つかないと笑う財前に先刻の影は感じられない。
謙也はホッとして元の楽しい話題を振った。
話は尽きず、名残惜しかったがそろそろ帰宅しなければならない。
いつまでも財前の家に居座るわけにいかず、日が西に傾き始めた頃重い腰を上げた。
「お邪魔しました。ほんまありがとうな、今日」
「いえ、こちらこそ…わざわざありがとうございました。遊びにきてくれて」
玄関まで見送りに来てくれた財前に礼を言い、出ようとすると財前も靴を履こうとしている事に気付いた。
「えっ、ここでええで?」
「いっつも先輩送ってくれてたから今日はうちが見送りしたいです」
それは離れ難いと言われているようで、謙也は思わず顔がにやけてしまった。
慌てて顔を引き締め手を必死に振った。
「いやいや!!バス停からの帰り心配やしここでええって!ちっ痴漢とか出たらどないすん!」
「痴漢て…まだ外明るいし、この辺人通りもあるから大丈夫ですよ」
謙也の見当違いな心配に苦笑いをしながら財前は玄関の扉を開けて謙也が出るのを待つ。
一緒にいたいのは謙也も同じなのでそれ以上強く断る事が出来ず、そろそろと玄関を潜った。
「あれ?」
それを見計らい扉に鍵を掛ける財前の手元を見てある事に気付く。
「え?」
「それ、俺も持ってんで」
「え?どれ?」
「これ」
謙也はポケットに入っていた家の鍵に付けたサイケデリックな色合いのキーホルダーを財前に見せた。
それと全く同じものが財前の鍵にも付いていて、思わぬ共通項に浮かれ上がった。
「え、あ…ほんまや。これ兄貴が新婚旅行でハワイ行ったお土産に買うてきてくれて…」
「同じや。俺も従兄に土産や言うて押し付けられてんかー」
「へぇ…お揃いですね」
「えっ!」
財前は何気なく言ったが謙也を浮かれ上がらせるには十分だった。
偶然ではあるが、お揃いの物を持てているなんて、とバス停までの道のりは不自然な程に笑ってしまい、財前を不審がらせてしまった。
「先輩?どないしたんですか?」
「なっ、何もない!何もないで!」
明らかな不審者であったが財前はさして気にするようすもなく、そうですか、と言っているが眉を顰め納得している様子はない。
しまった気持ち悪がられているか、と冷やりとしたが、財前は申し訳なさそうに謝った。
「折角来てくれはったのに蔵ちゃん途中でおらんようなってしもて…」
「は?え?何で白石?」
「え?蔵ちゃんと遊ぶ約束してたんちゃうんですか?今日」
「ちっ違う違う!いきなり電話かかってきて財前さんの家おいでって呼んでくれてそれで…あいつ関係ないから!!
俺今日来たんは財前さんと遊びたかったからやで!」
今度のそうですか、は照れ隠しなのか先程より少しぶっきらぼうになってしまっている。
だが嬉しそうな態度が滲み出ていてそれを必死に隠しているのが謙也にも解った。
疑ってしまっていたが、あの日の好きだという言葉は本当だったのだ。
この勢いで告白してしまいたい。
最高のタイミングだ。
だが白石の言葉が足止めを食らわせてくる。
絶対に財前から告白させろ、と言われているのだ。
歯痒い思いはあるが、白石の主張は尤もだと納得している。
謙也はふと妙案を思いつき、財前を振り返った。
「せや、今度遊びに行けへん?」
「え?四人でですか?」
「ちゃうちゃう。二人で。俺と、財前さんと」
何故この期に及んであの小姑共を引き連れて行かねばならないのか、と謙也ははっきりと財前と二人きりを強調した。
それに二人きりと言ってまた白石と二人と勘違いされては困ると、先回りして予防する事を覚えた。
だが眉を顰めたまま表情を強張らせる財前を見て不安になる。
「えーっと…俺と二人やと嫌?白石とかおった方がええ?」
「いえ、そんなん……えっと、うちと二人でええんですか?」
一言一言確認するように噛み締めて言う財前は、無表情であったが少し不安の色が見える。
そんなに慎重にならなくとも、裏などないというのに、財前はまだどこか信じ切れていないような素振りだ。
「こないだケーキ食いに行った時は何や色々あってゆっくり出来んかったし、また別のとことか遊びに行きたいって思たんやけど…どない?」
「あ……はい、ほな…行きたい、です」
まだ恐る恐るといった様子だが、何とか約束を取り付ける事には成功した。
謙也は心の中で大きくガッツポーズをして笑顔で財前に向き直る。
「ほないつとかどこ行くとかまたメールするわ!どっか行きたいとこあるんやったら言うてな!」
急激にテンションの上がる謙也に少し戸惑いを見せるが、財前はようやく少し笑顔を見せた。
だがバス停に到着すると程なく駅へ向かうバスが来てしまった。
名残惜しい気持ちが拭えないが、次のバスにしようかなどと言っては一向に帰れないだろう。
謙也はバスに乗り込み整理券を引き抜いた。
幸い乗車するのは謙也だけだった為、そのまま扉の前で財前に手を振った。
「ほな、また遊んでな」
「はい」
財前の笑顔はブーッという無情な音に遮られ、扉が閉まる。
すぐに後ろの窓ガラスから覗くと財前はまだバスに向けて、バスに乗った謙也に向けて手を振っている。
それに気付いた謙也は上機嫌で大きく手を振り返した。
財前もそれに気付いたようで、次第に小さくなり、バスが見えなくなる最初の交差点までずっと手を振ってくれていた。
駅に向かう為、左折して財前の姿が見えなくなると謙也はようやく空いている目の前の席に腰を下ろした。
すると同じ座席に座っていた壮年男性に声をかけられる。
「彼女か?」
「へ?!」
「ずっと手ぇ振ってやったやん。よっぽど兄ちゃんと離れたなかってんなぁ」
ニヤニヤと笑いながらからかう男性に曖昧な笑顔を向け、これ以上絡まれないよう離れた席に座った。
今日は収穫だった。
二人きりで色々と話しが出来たし、次の約束まで取り付ける事が出来た。
謙也は先刻の財前の笑顔を思い出し、頬が緩むのを抑えきれなかった。

BGMはキンキさんのいつも僕は恋するだろうでお願いします。
電車やバス、街中でオッチャンオバチャンに声を掛けられるのはわりと日常ですよ。

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