光に他意はない…たぶん。
アンジェラス シルキー34
静かな部屋に財前の出すシャーペンを走らせる音だけが響く。
先程まで財前の側にべったりと貼り付き、謙也を牽制していた白石は今はいない。
数十分前、一本の電話によって呼び出されたからだ。
「は?今から?何それ今からでないと無理なん?……うん、うん…は?アホか死ね。
えぇーっっ……もぉおおおお!!!絶・対!後で奢らせるからな!」
携帯に向けて一人憤慨する白石を財前が不安そうに見上げ、そんな彼女とまだ五月蝿く言っている白石を謙也は交互に見る。
「蔵ちゃん…?」
「ごめんな光ー…アホ顧問の所為で学校行かなあかんようなってん」
「そうなんや…」
「用事終わらせてすぐ戻ってくるからな。二人きりやったら嫌?謙也追い出す?」
追い出すって何やねん、と白石を睨みつけるがすぐに白石に睨み返され謙也は目を逸らした。
財前はしばらく考える様子を見せたが首を横に振った。
よかった、帰れと言われなくてとホッとしたが、二人きりの部屋で沈黙が苦しい。
謙也はそわそわと落ち着きなく何度か他愛無い話題を振ったが、財前は宿題をする事に懸命なようで、
邪魔にならないようテーブルに置かれた財前の教科書を眺める振りをして財前の様子を伺った。
必死になって苦手だという古典の問題集を解いている姿が可愛い、とじっと眺めていると不意に財前が顔を上げた。
「あ……すみません、あの…折角来てくれはったのにほったらかしにしてしもて…蔵ちゃんも行ってしもたし」
「ぜっっ全然!!去年の教科書とか、久々に見て結構懐かしいなーって熟読してもーたし!」
「そうですか?」
むしろ白石はいなくていい、と思わず言いそうになったが白石に盲目的な彼女にそんな事口が裂けても言ってはいけない。
「おう。せやから気にせんでええで、ほんまに。あともうちょっとなんやろ?頑張りや、ほんま、俺の事とか気にせんでええから」
「はい…すみません。ありがとうございます。あ、せや、音楽聞きます?そこのラックに入ってるんどれもおすすめなんで」
「あ、ほんまに?ほな…これどれかけてもええん?」
「どうぞ」
兄がプロのミュージシャンだと言っていただけあり、その影響からか財前の聞いている音楽はどれもセンスがよく、
以前借りたCDも謙也は気に入って聴いていた。
財前の示したラックには古いジャズやクラシックなどのCDもあって、渋い曲も聞くんだなと感心しながら順にかけていると、
いつの間にか財前が隣に来ていた。
「うおっっびびっ、びっくりした……」
「あ、すみません…」
突然の事で飛び上がって驚く謙也を見て財前は少し距離を置いてしまった。
折角近くまで来てくれたのに、と心の中で悔しがる。
「気に入ったんあったら持っていってくださいね」
「ほんまに?ほなこれ借りてええ?めっちゃかっこええな、この音。リズム隊最高やん」
「ほっっほんまですか?!」
先刻離れてしまった以上に距離を詰められ、財前の顔が目の前にやってくる。
丁度謙也の胸に飛び込むような形となり、急激に襲い来る性的衝動を堪えて財前の肩を持って体を支えた。
「どどっ、どどどどないしたんっ」
「あの、これ、お兄ちゃんも参加したやつなんです!」
「そ、そそっ、そうなんや…っ!!」
謙也の頭の中はそれどころではなかった。
目の前に広がる財前の嬉しそうな顔と、今にも当たりそうになっている豊満な胸に意識が向いてしまっている。
謙也は必死に意識を財前の表情に向けようとするが、弾みで謙也の胸に財前の胸が重なり顔を真っ赤にして体を硬直させた。
だが居た堪れなくなり、財前の体を突き飛ばしてしまった。
「わっ……先輩?」
「ごごごごごごごめん!ごめん!!」
突然の謙也の行動に目を白黒させ、突き飛ばされた衝撃で床に倒れる財前に手を貸し体を起こす。
「ごめん!ほんまに……あの、怪我ない?」
「は、はい……すみませんでした…」
「いや!ちゃうって!俺が悪かってん!財前さん何も悪ないから!」
腑に落ちない表情ではあるが、財前は謙也が怒っているわけではないと解ってくれたようで頷き納得してくれた。
だが少し気まずい雰囲気となり、口を閉ざしたまま財前は宿題を再開する。
折角二人きりになれたというのに何という事をしてしまったのだと謙也は頭を抱える。
何とかして白石が帰ってくる前にこの空気を修復しなければ、財前に何かをしたと言いがかりをつけられて何をされるか解ったものではない。
話をするきっかけを探そうと部屋を見渡すが、オーディオやパソコン以外に目ぼしいものは見つからない。
そうこうしているうちに財前が宿題を終えてしまった。
財前も気まずいのか、筆記用具を片付けながら俯いたまま黙っている。
「あ、あの…他にもあるん?お兄さんが参加したCD」
「え?」
「他にも聴いてみたいんやけど、借りてもええ?」
「―――はい!」
先刻までの暗い表情を一変させ、財前は嬉しそうにCDラックを漁り始めた。
そして教科書や参考書を床に押し退け、財前が数枚のCDをテーブルに積み上げる。
「ありがとう!へぇー結構いっぱいあんねんなぁ」
謙也がCDを手に取り、歌詞カードに書かれたクレジットを眺めていると財前は普段からは考えられない程饒舌に語り始めた。
嬉しそうに兄の話をする財前が可愛くて、ついだらしない表情を向けてしまう。
だがじっと眺める謙也に気付き、財前は顔を赤くして俯いた。
「す、すみませんこんな話……キモいですよね。ええ年して兄貴の話嬉しそうに自慢して…」
「えっっ、全然!!兄弟仲よぉてええやん!」
「そうですか?あ、先輩は兄弟いてるんですか?」
「うち?弟おんで。翔太いうて二つ下で、学校は別の私立行っとるから違うんやけどな……え、何?」
突然くすくすと笑い始める財前に謙也は不思議そうに訪ねる。
「何とのぉ解りますわ、先輩が兄貴って」
「そ、そうか?」
「はい。面倒見ええし。けど年近いんやったら喧嘩とか多いんちゃいます?」
「そんなんしょっちゅうやで。オカンに毎日五月蝿い五月蝿い言うて怒られてるわ」
兄弟の話で何とか空気を回復する事に成功して安心した謙也は調子に乗って家族の話を面白おかしく聞かせた。
家族全員が謙也に輪をかけて明るい為、話題に事欠かない。
財前の普段のクールな態度からは考えられない程声を上げて笑う姿に嬉しくなり、次々と話題を変え話を聞かせる。
「はー…苦しい…こんな笑ったん久々や…ぷっ…くくく…すいませ…こんな笑ろて……けどほんまおもろくて」
「いや、笑ってもらえてよかったわ」
「会うてみたいです、先輩の家族。ほんま楽しそうっスわ」
「ほんまに?いつでも遊びにおいでや」
そう言ってから、そうや、と謙也は約束を思い出す。
「せや!来月会えるやん!」
「え?」
「だんじり、見に来るんやろ?」
「あ…はい!」
一瞬見間違いかと思った。
だが財前は本当に嬉しそうな表情を見せたのだ。
それこそ、白石や千歳に向けるような、今まで自分には決して向けて貰えなかった表情だった。
思わず見惚れてしまい、財前に不審がらせてしまった。
謙也は何でもないと言って、壁にかかったカレンダーを指差し、祭りの日を示す。
「こ、この土日やから!絶対空けといてな!」
「わかりました。楽しみにしてます」
「おっ俺も!めっちゃ楽しみにしてるから!」
夏休みが終わった後の約束が出来た謙也は天にも昇る思いだった。
まだしばらくは帰ってくるなよ白石、と心の中で念じながら、先刻の笑いで少し態度の砕けた財前と二人きりの時間を楽しんだ。