アンジェラス シルキー26

こんなに緊張したのは初めてテニスの大会に出た時以来だ。
いや、あの時は緊張もしていたが楽しみな方が勝っていた。
今はただひたすら緊張だけが体を襲っている。
待ち合わせ場所である駅前の店のショーウィンドウに全身を映し、どこもおかしくないかと何度もチェックする。
そんな挙動不審な謙也を行き交う人々はチラチラと見ているが、当の本人は全くそれに気付いていない。
そして緊張も最高潮に達しようかという待ち合わせ3分前、人ごみから現れる財前の姿に表情を明るめた。
「先輩!すいません…待たしてまいましたか?」
「ぜっ…全然!全然!ほんま今来たとこやし!さっきの電車で着いたとこやねん!」
本当は30分も前に着いていて、苦手なはずの待ち時間など苦にならない程の緊張感に包まれていた。
だがそんな事など億尾にも出さず、謙也は必死になって否定した。
「いきなり呼び出してすいません…折角部活休みやのに」
「そんな気ぃ使わんといてや!家おってゴロゴロしててもオカンにうっとうしがられるだけやし、丁度出掛けたい思とってん」
昨夜メールのやり取りをしていた時、何気なく明日部活休みやねん、と送ったところ、思わぬ誘いを受けたのだ。
じゃあこないだ言ってたケーキ食べに行きませんか、と。
その誘いに小踊りしながら喜んだ謙也は二つ返事でOKした。
一瞬またあいつらも来るのでは、と思ったが、今日は女子テニス部は練習があるのだ。
つまりは誰にも邪魔されずに二人きりで会えるという事。
いつもは邪魔をするなと思っていたが、いざ二人きりとなると緊張で頭がおかしくなりそうだった。
そして現れた財前の格好に度肝を抜かされた。
どうにも露出度が高すぎる気がする。
黒いロングカーディガンを羽織っているものの、その下は真っ白なレースのビスチェに太もも丸出しのミニ丈のパンツをはいているのだから。
猛暑日の大阪ではこれぐらい薄着で丁度いいのかもしれないが、ほぼ下着ではないか。
可愛いしとても似合っているが、目のやり場に困る。
それにすれ違う男達が皆見ているのだ。
見るな、と視線で牽制すると慌てて目を逸らすのでそのどれもが欲にまみれたものだと解る。
可愛い、だが色々と困る。
下着のようなビスチェからはベビーフェイスと細身の体からは想像つかないほど豊満な胸がこぼれ落ちそうになっている。
そして身長差のせいで丁度谷間が目に入ってくるのだ。
これは見てはいけない、見てはいけない、見たいけど見てはいけないと何とか堪えながら、もう一度見る。
「先輩?どないしたんっスか?」
しげしげと眺める謙也に財前が訝りながら見ている。
「え?ええ、いや、何も!何もないよ?」
「あっ!もしかして変ですか?」
自分の服と謙也の顔を交互に見る財前に慌てて首を振った。
「ぜん…全然!全然!めっちゃ、かわっ…可愛いよ!よぉ似合てる!こっこないだ小春の姉ちゃんとこで貰たやつか?」
「そうです。こないだ蔵ちゃんがうち遊びに来た時にこないして着たら可愛いよって色々着こなし教えてくれて」
それってもしや店でやっていたようにセクハラ放題に着せ替え人形のようになっていたのではないのかと悶々とした思いが浮かぶ。
否、小春やユウでもあんな状態なのだ。
白石や千歳が手を出さないはずもないだろう。
「先輩?」
「あ、いや…何でもない!何も考えてへんよ!」
誤魔化すように首を振って行こうかと財前の言うケーキ屋の入っているビルを目指そうとすると、後方から女性に呼び止められた。
「光ちゃん!」
邪な気持ちがあったせいで必要以上にビクつく謙也とは対照的に、財前はその女性に笑顔を向けた。
「…義姉ちゃん」
「えっ、おねーさん?!こないだ言うとった…お兄さんの奥さん?」
「あ、はい。そうです。ここまで送ってきてもろたんですけど…どないしたんやろ」
優しそうな印象の女性が小さな男の子を連れて二人を目指して小走りにやってきている。
そして光を見た後、目があった謙也に小さく頭を下げる。
慌ててそれに倣うと財前の義姉は黒のレースに縁どられた日傘を差し出してきた。
「車の中に忘れてたよ」
「あ、ありがとう…すっかり忘れてたわ」
日傘を受け取り礼を言っている財前の足元にいる幼児にじっと見上げられ、どうしたものかと逡巡した後謙也は愛想笑いを浮かべてみる。
「おかーん!光今からデートか?!」
途端に口から飛び出た言葉に謙也は腰が抜けるかと思わされた。
「ぶっっっ…」
「は?なっ…何言うてんやこの子は」
珍しく動揺して赤面する財前に、義姉からも爆破攻撃を仕掛けられる。
「えらいやつして出かける言うからてっきり蔵ちゃん達と遊びに行くんか思たけど、違ったんやねえ。これからデートやったんー」
のんびりとした口調でにこにこと笑いながら言う義姉に、財前は心底面倒くさそうな表情を浮かべ、そんなんちゃうわと言い残して歩いて行ってしまった。
急な態度の変化にオロオロする謙也に、義姉は変わらずの態度で笑った。
「あらあら。照れてしもたみたい」
財前の義姉は随分とおっとりとした気質なようで、なるほど財前との長らくの確執も全て水に流してしまいそうな人だと謙也は思った。
「す、すいません、失礼します!」
頭を下げ慌てて追いかけようとすると、待って待って、と呼び止められる。
早く追わないと見失う、と焦る謙也に義姉は相変わらずの笑顔で言った。
「あんな風に言うてるけどね、光ちゃんほんまに楽しみにしてたと思うんよ。あのしっかりした子が忘れ物するぐらい。せやから…これからも仲良くしたってね」
「はっはい!」
礼を言って頭を下げ、謙也は急いで財前の背中を追いかけた。
本当にどこか言ってしまうつもりはなかったようで、少し離れた場所で見つける事が出来た。
「財前さん!」
「…すいません…義姉ちゃんも甥っ子も変な事ばっかし言うて……」
「あ、ああ、ええってそんなん。それよりあの子甥っ子やってんな。めっちゃ可愛いやん」
「生意気なだけですよ…」
財前さんに似て、という言葉を慌てて飲み込んで曖昧に頷いた。
きつい猫のような風貌はよく似ていたが、性格は正反対のようだなと思い返す。
「あ、そうや…先輩、あの……さっき義姉ちゃんから聞いたんやけど…言うとったお店、今日臨時休業らしいんです」
「え、そうなん?」
「すいません…うちから行こうて誘ったのに」
本当に申し訳なさそうな財前には悪いが、これはいい切欠だと謙也は内心喜んだ。
「あーいや、全然!また今度行こうや、な?」
「あ、はい!」
嬉しそうに頷く姿に心の中でカーニバルを繰り広げながら、表情に出そうになる過剰な喜びを必死に飲み込んでいると財前がカバンの中からメモ用紙を取り出した。
「それでね、他におすすめないんかって聞いたら教えてくれたんですけど…難波なんですよ、そこ」
「あ、ほんまに、ほなそこ行こうや」
「え?いいんですか?」
いいも悪いもない。
あの悪魔達はいない上に思いもよらない遠征デートに発展して謙也のテンションはますます上がっていった。

しまった。古代大阪弁が出てる。やつす=着飾る です。60代以上の人が使う言葉です。
が、お義姉さんはお祖母ちゃんっこでおっとりした性格になった設定なんです。特に必要ない説明でした。
光が着てるのはシルクのビスチェ(+34)イメージ。
そんで謙也の心配は間違えてないと思う、よ。
間違いなくあんな事やこんな事されながら着せ替え人形にされてたはず。
まぁとりあえず乳は絶対揉まれてる、直に。

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