アンジェラス シルキー25

ただ単に財前を可愛がっているわけでも、白石と千歳を慕っているわけでもなかったのかと謙也は口を噤み言葉が出なかった。
それは謙也が財前の存在に気付くよりもずっと以前、学年が変わるより数ヶ月前の去年末の話だった。

その頃から今と変わらず周囲を群がる男の絶えなかった二人だが、その中の一人を財前が好きになってしまったのだ。
正確にはその男が、先に財前に告白をしてきたのだが。
いつもならば白石か千歳が目的だろうと断る。
しかし優しい言葉で近付く男を好きになってしまい、騙されていると解っていながらも一緒にいる事を選んだ。
「ただでさえうちらに群がってくるのなんかアホで下半身に脳ミソの栄養取られてる奴ばっかやのに…そんなアホにうちらの光取られるとかありえへん」
そうやろ?!と力説され、勢いで謙也は思わず頷いてしまう。
うちらの、という言葉は是非とも全力で否定したかったが過去の出来事を思い出し激昂している白石に反論などできるはずもない。
黙って言葉の続きを待った。
「けど好きになんなとか…そこまで命令できへんし、光が自分で気ぃ付いてくれるん待つしかなかったんやけど…」
なあ、と白石が千歳に同意を求めると、千歳も黙って頷く。
「ほんで…どないしたん?」
「流石に襲われそうになった時目ぇ覚めたみたいで相手殴って、それでおしまい」
「おっおそっっおそわ…襲われたって!!え?え?!」
座っていたキャスター付きの椅子をなぎ倒して立ち上がる謙也を、二人は冷ややかに見上げる。
「アホ。襲われそうに、なったって言うてるやん。未遂や未遂」
「な…なんや…びっくりした……」
倒した椅子を元に戻し、再び腰を下ろして聞く態勢に入る謙也を見て白石は言葉を続けた。
「自分の事なんか見てへん奴に押し倒されて、こんなん嫌やってやっと気ぃついてくれたみたい」
「せやけどめっちゃ傷ついたやろな……何や可哀想やわ」
ぽつりと呟かれた謙也の言葉に過剰に反応を示したのは千歳だった。
折角座り直した椅子を謙也ごと再びなぎ倒した。
何が起きたのか解らず床に倒れたまま呆然とする謙也を、千歳は非難するような目で睨みつける。
「お前も傷つけとる男んうちの一人ばい」
「おっ俺?!ななななっ何でやねん!!俺はそんなええ加減な気持ちで好きやゆーとんちゃうわ!!」
「んなの信用できん!!どうせ手に入るまで必死んなって、手に入った途端光んこつ捨てっちゃろ?!」
「はあ?!何でそんな風に言われんならんのじゃ!勝手に決めんな!」
「ストップ!」
珍しく言葉を荒げる千歳をなだめるように白石が千歳の肩を叩く。
「千歳落ち着きぃや…光心配なんも解るけど……」
しかし千歳は白石の言葉に返事もしないまま、二人には目もくれず部屋を出て行ってしまった。
白石はやれやれと溜息を吐き、まだ何が起きたか上手く理解しきれていない謙也に手を貸し立ち上がらせ、なぎ倒された椅子を元に戻した。
「悪かったな、いきなりあんな事なってびっくりしたやろ」
「え、あ…いや…」
千歳の言動にも驚かされたが、まさか白石に頭を下げられる日が来るとは思っていなかった謙也は目を白黒させながら椅子に座った。
「そのアホ男な、千歳が本命やったみたいで…あの子ずっと気に病んでやったから。自分のせいで光あんな目ぇ遭わしてしもたて」
「……そうなんや…」
「せやから余計にな、光ん事守ってやらな、何があっても絶対幸せになって欲しいって、
ずっと思ってやんねん……やから中途半端な気持ちで光に近付いていく奴は男も女も許されへんねんて」
まあそれはうちも一緒やけど、と背筋の寒くなるような冷たい目で睨みつけられ謙也は思わず身震いする。
先程言っていたようなアホな男共だけではない。
女の嫉妬はそれ以上に恐ろしいもので、イジメのような陰湿な目にも遭っていたらしい財前は、二人の目の届かない場所で様々に傷つけられていた。
だがそれでも二人を恨む事なく笑いかけてくれたのだと言って白石はふっと優しい笑みを浮かべた。
「普通そんだけの目ぇ遭うとったらうちらの事恨んだり怒ったりして当然やし、
もう光にも嫌われてもーてんやろなって覚悟しとったのに…あの子何て言うた思う?」
「さ…さぁ…」
「蔵ちゃんもちーちゃんも悪いわけやないのに嫌いになるわけないやんって…
…うち二人の事大好きやから何言われても何されてもええねん。
せやから二人とも一人みたいな顔せんといて、うちは二人の味方やでって…絶対離れへんから安心してやって」
白石達の所為ではないにせよ、彼女らが原因で傷つけられていたというのに、そんな目に遭ってなお財前は二人を気遣ったのだ。
「あの子気ぃついとってん…あんだけチヤホヤされて周りに持ち上げられとってもうちらにほんまは友達も信用できる相手もおらんて事。
今でこそ千歳と仲よぉしとるけど、その前は友達なんかおった事なかったから…
女子は変に神格化して遠まきに見てるかいらん嫉妬の対象になるかって感じやって…男子はまぁ今もあんま変わらんわ」
「モテんのもそれなりに大変やねんな…何やそこだけ聞いたらえらい嫌味に聞こえるけど」
言ってから怒られるか、と一瞬焦ったが白石はその言葉も聞き流した。
「まあ…けどそれが原因でまた大事な後輩なくしてまうんかなって思とったけど…光はうちらん事大好きや言うてくれてんで?
嫌われて恨まれて当然な目ぇ遭うてんのに二人とずっと一緒がええって…大好きやから離れたないって…そんな子可愛ないわけないやん。
何あっても全力で守ったろって思うやん…誰にも渡さんでうちらだけのもんにしてたいって思うやん」
なるほど、と漸く謙也は合点がいった。
そんな事があったなら二人が財前を目に入れても痛くない程に可愛がる事にも納得がいく。
そしてただ単に敵視されているのではなく、財前にとって有害な存在は徹底排除してやろうという二人の思いが刃となり謙也に向けられているのだ。
「ええ子やな…ほんまにめっちゃええ子やん…」
二人に共通してあった孤独に気付いた財前は、自らが傷つく事もいとわず側を離れなかった。
その健気な思いに謙也は思わず涙ぐんだ。
「そうやで。せやからそんなええ子、あんたなんかに簡単に渡してたまるかっちゅーねん!」
「何でそこに話戻んねん!!俺はそんなええ加減な男共とちゃうわ!!めっちゃ真面目やっちゅーねん!」
「何当たり前の事偉そうに言うとんじゃ!そうやなかったら自分もあの男と一緒でとっくに島流しに遭うとるわボケ!!!」
ダンッと置いてあるパソコンが壊れそうな程の勢いで机を叩かれ、謙也は肩をびくつかせる。
そして不穏な一言に青くなった。
「え……し、島流し…?お前ら…なっ、何してん……」
「あぁ?光に二度と近づけんようにオサムちゃんの手ぇ借りて転校さしたった」
「転校?!どっどこに?!」
「……シベリアの冬はさぞかし冷たかったやろなぁ…」
「抑留?!」
「まぁそれは冗談やけどな。とりあえず国外追放にはしといたった」
とりあえずだと?と半泣き状態の謙也であったが、ふと先程の白石の言葉を思い出す。
真面目な、真剣な思いであると解っているからこそ、こうして近くにいる事を許してもらえているのだろう。
そうでなければこれほどまでに可愛がっている財前の半径10m以内に入らせてはもらえないはずだ。
何だかんだと言って認めてはくれているのかと謙也はホッと胸を撫で下ろした。
「そんな事あって、ちょっと人間不信っていうか…人前出るん嫌がるようなってしもてやー…
それで人に見られんの嫌や言うてあのでっかい眼鏡で顔隠してやってん。
積極的にオシャレしょーかとも思わんようなってしまいやったし…
可愛いのに勿体無いけどそれでアホ共が近付かんようなったらそれでええわって思ってたんや。
光の外見やのぉてちゃんと中身見て好きになってくれる奴出てくるまで長期戦で見守ったろって……なあ千歳?」
突然窓の外に向けて言う白石に驚き、体を窓際に振り返らせると窓と窓の間にある壁際に大きな影が映っている。
急いでそちらに行くと先刻謙也が顔を覗かせていた窓の外に千歳が思いつめた顔をして立っていた。
「千歳…」
「うちらは光ん側おるだけで傷つけてしまう存在ばってん…やからこそ光んこつ絶対幸せにしてやりたい思うとる。
やけん、さっきのこつは謝らんし、正直まだ謙也んこつ信用しとらん」
「うん…ええよ別に、それでも。けど俺絶対諦めへんし、絶対お前らにも俺の事認めさしたるから」
「何彼氏気取りで偉そうな事言うとんねんこの早漏!」
「せやからその使い間違いやめぇ!!ええ雰囲気台無しやないか!!」
白石に頭をはたかれながらそんな風に言われ、謙也は顔を真っ赤にして反論する。
「あんたなんかまだまだうちらの足元のチリにも及ばん程度の存在やねんからな!光にとって!」
「わっわかっとるわ!!」
そんな事情があるならばそう簡単に二人を超えられる存在にはなれないだろう。
それでも出来るだけの事はやってやろうと決心した謙也だった。

派手に可愛がっているのは白石だが、本気度はより千歳のが高いというこの事実。

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