アンジェラス シルキー23

何故自分がこうして誕生日会に招かれたかを、謙也はようやく理解した。
お囃子隊四人の強い視線に晒されながら、謙也は身を縮めて店の片隅でジュースを飲む。
先程まで入れ替わり立ち変わりやってくる男達に質問攻めに合い、これ以上なく疲労した。
品定めをされている。自分が財前にふさわしいかどうかを見られているのだ。
それに気付き、謙也はますます身が縮まる思いだった。
肝心の財前は白石と千歳が両側からがっちりと守るように座っていて近付く事もままならない。
トイレを口実に何とか席を立ち、漸く解放された事に深く溜息を吐いて肩から力を抜いた。
やっと詰まっていた息が再開できた感じがして、謙也はそれから暫くは便座に腰掛けたままぼんやりと佇んだ。
あまりトイレに篭っていては怪しまれてしまうかもしれないが、今この瞬間しか安らぐ事ができない。
もう少し休んでから、と思っていたが、表から騒々しく扉を叩かれる。
「なっ…何?」
「謙也!漏れる!!早よ出ぇアホ!」
「しっ白石?!」
何でお前が、と言いそうになったがこの店はトイレが一箇所しかなく、しかも男女別れていないのだからこの展開も不思議ではない。
慌てて手を洗って扉を開けると文句を言いながら押しのけるように中に入り、謙也を追い出すと扉を閉めて鍵をかけてしまった。
唖然と一連の展開を見ていたが、ここで留まるのも変な話なので、皆のいる席へと戻る。
見れば千歳は財前の隣を離れてカウンターにいる顔見知りらしい店員と話をしていてその隣にはお囃子隊が二人いて、財前は残り二人に挟まれ何やら話をしている。
その輪に近付いていくが誰も謙也には気付かない。
話を盗み聞くつもりはなかったが、自然と耳に入ってきてしまった。
「せやけど光ちゃんが立ち直ってくれてよかったわ」
「ほんまほんま。メガネなしでも人前出れるようなってんな」
「はぁ…まぁ…」
二人に両脇から頭を撫でられ、一瞬身を強張らせたがされるがままにしている。
白石達同様に気を許している事を窺い知れる行動に、謙也の心が軋んだ。
「光ちゃんはええ子やねんから、もうあんな事ないようにな」
「うちかってそこまでアホちゃうし……」
男達との会話に、以前何か財前にあった事が解ったがそれが何かまでは解らない。
あの伊達メガネには何か意味があったのかとぼんやり眺めていると、財前が謙也の存在に気付いた。
「あ、先輩」
「あ…え、あ……」
「今の、聞いてました?」
「ごっ…ごめん!」
何と言っていいか解らず、とりあえず謝ったもののそれは肯定を示していると男達の鋭い視線で気付かされる。
フォローしようにも全て空回りしてしまいそうで押し黙る謙也に、財前は立ち上がり近付いた。
「ほんまごめん。立ち聞きとかするつもりしてへんかってんけど…」
「いや、そんなん…」
「光ー」
財前が何かを言おうと口を開くのとほぼ同時に背後から白石の声がする。
トイレから戻り、初めから謙也など目に入っていないとばかりに謙也を押しのけ財前の目の前に立つ。
「光、時間は?いけんの?」
「え、あ…もうこんな時間や…」
謙也もつられて携帯で時間を確認するが、門限まではまだ時間がある。
今日は誕生日だから特別早く帰るのだろうかと思った。
「何、光ちゃんもう帰んの?」
白石の声を聞きつけたカウンター席にいたお囃子隊と千歳も加わり財前を囲むように立った。
一人疎外されたようにぽつりと立っていると、何やらお囃子隊と押し問答していた白石が振り返る。
「謙也ーあんた暇やろ。光送ってったってや。どうせ通り道やし」
「えっ、俺?!」
思いがけない嬉しい提案だが、あまりの驚きに妙な返し方となってしまった。
案の定、嫌なら別にええけど?と白石に冷たく言い捨てられるので慌てて全力でそれを否定した。
以前はひどく遠慮していた財前だが、今回はお願いしますと素直に従った。
そして白石や千歳、お囃子隊や店のスタッフに何度も礼を言って二人連れ立ち店を出た。
駅直結の最高の立地条件に構えられた店なのであっという間に駅に到着してしまう。
ここからでは数駅だからすぐにお別れか、と謙也は肩を落としながら切符を買う為に料金表を見上げる。
「鶴橋までやんな?」
「あ、いえ…今日は……」
「え?どっか寄るん?」
まさかこの後誰かと約束があるのかと一瞬青くなるが、財前は予想外な言葉を口にする。
「いやあの……実家に、帰るんで…」
「実家?え?え?」
「こないだのは…あれおばあちゃんの家なんです。学校から近いよって居候さしてもろてて」
「あ、そうなんや!へぇー…えっ、ほな今日はどこまで帰るん?」
「あの、泉大津なんです…家」
「えっ……マジで?!めっちゃ近いやん!!」
一瞬の不安が杞憂に終わり、しかも思わぬ事実に謙也は思わず大声を上げてしまう。
電車でわずか10分程の距離に住んでいたのかと飛び上がらんばかりに歓喜した。
「実は……はい…」
丁度帰る人の波とぶつかってしまった為に長く待たされた券売機の順が回ってきて、財前の買う連絡切符が示す駅名に、本当にご近所なのかと更に感動する。
ぼんやりしていると買わないのか、と財前が不思議そうな顔をしている事に気付き、慌てて切符を購入した。
「ほな夏休みの間は実家帰ってんねや?」
同じ方向に帰る喜びを噛み締めながら改札をくぐり、すぐにやってきた電車に二人で乗り込んだ。
「まあ…半々って感じですかね。おばあちゃん一人やと大変なんでお母さんと一緒に時々手伝いに行ったりするんで」
「へぇーえらいなぁ…俺なんか長い休みとかでも宿題と部活でいっぱいいっぱいで家の手伝いなんかいっこもせぇへんのに。ほんまえらいわ」
「…そんな事ないっスわ……」
程よく混雑して騒がしい車内の騒音にかき消されそうだったが、わずかに頬を赤らめながら財前は口の中で答える。
珍しく表情に出して照れる姿に身の置き場に困るほど感動する。
可愛いなあと思いながらじっとぶしつけに見ていると、更に恥ずかしがって少し距離を空けられてしまった。
「ほんまは……違うんです」
「えっ何が?!」
すぐにやってきた乗り換え駅を歩いている途中、前触れもなく言い始める財前に面食らう。
「…うち…兄貴いてるんですけど、もう結婚して子供もおるんです」
「え、あ、そうなん?結構兄ちゃんと年離れてんやな」
それって前に言っていてイカツイお友達のいらっしゃるすごいお兄様だよな、と謙也の頭に浮かんだ。
「はい…そんでうちね、お兄ちゃんの事めっちゃ大好きやったから…急に現れたよその女に取れたって気ぃして…
…全然、口もきかんし目も合わせれんぐらい嫌いやって……そんなんやからうちが落ち着くまでおばあちゃんとこ預けよかってなったんですよ」
「そうやったんや……」
「うちの親と同居やないと仕事もやってるから甥っ子の世話義姉ちゃん一人やと大変やからとか経済的な理由とか全然解らんで、
ただうち一人悪いから家追い出されたんや思って…すねて大変やったんっスわ。
ひねて家族なんか知らんわいらんわお前らなんか嫌いやーって。最悪でしょ?」
「そんなん思わんよ。全然。そない思て当然やわ……あ、けどこないして家戻るって事は仲直りできたんや?」
「蔵ちゃんとちーちゃんが…」
ここにきてまたあいつらか、とまさかの人物の登場に謙也は身構える。
そんな謙也の変化など気付くはずもなく、財前はいつもの恋する乙女の表情を浮かべた。
「中学入って二人と仲良ぅしてもろてるうちに…お兄ちゃんなんかどーでもええわ、二人がおってくれんねやったら…
兄貴如きその女にくれてやるわって思うようなって…まあ元々うち一人拗ねとっただけなんで仲直りってゆうのも何か変なんですけど…
もう義姉ちゃんとも仲良ぅなれて今は大好きなんです」
ある意味財前にとってあの二人は家族より大きな存在なのかとますますお先真っ暗だな、と溜息を吐く。
だがそれは財前に余計な誤解を与える事となってしまった。
「……呆れましたか?」
「ああっちゃう!!違うよ!!そーゆう溜息ちゃうねん!」
「けど自分でも思うし…ほんま現金やなって」
「いやほんま、思ってないって!!ほんまに!!」
必死に否定すると、ようやく財前が少し笑ってくれて謙也はホッと息を吐いた。
それから地元へ続く路線の急行電車に乗り込み、少し混み合っているが何とか並んで座る事ができた。
少しの間沈黙が訪れ、何か話題をと考えた時、謙也の頭に先程の出来事が頭に浮かぶ。
「あ、あんな…」
「はい?」
「あの、答えたなかったら、別にええんやけど……」
「何っスか?」
口篭る謙也を不思議そうに見る財前に向け、思い切って口を開いた。
「さっきな、言うとったん…聞こえてしもてんけど……俺らが無理に外さしてしもたけど…あのメガネって何か意味あったん?」
「あ…あー……まぁ…」
「えーっと…ごめん、聞いたあかんかったかな…」
微妙な反応に遠慮して質問を下げようとする謙也に、財前は慌てて首を振った。
「いや、全然!!ただ…さっきの家の話と一緒でちょっと恥ずかしいっていうか…せやから、自分で言うんはちょっと…ほんまアホやったなって思うし」
「そ…そうなんや…ごめんな変な事聞いて…」
「ほんま気にせんといてください。大した理由ちゃうし…あ、蔵ちゃんもちーちゃんも知ってるんで…二人から聞いてください……気になるんやったら」
聞けるものなら聞きたいが、果たして本人がここまで恥ずかしいと思っている事を話してくれるのだろうかと不安になる。
だが方法はそれ以外になさそうだと財前には聞かれないようにこっそりと溜息を吐いた。

急行で僅か20分足らずの距離はあっという間で、財前の降りる駅へと着いてしまった。
礼を言って降りようとする財前に付いて謙也も一緒に電車を降りる。
「あ…家まで送ってこかって思ったんやけど…あかん?」
「大丈夫です。駅までお兄ちゃんが車で迎えに来てくれるんで。ありがとうございます、気ぃ使こてもらって」
「そうなんや…あ、けど俺もどうせ各停乗り換えやから」
本当は次の駅で乗り換えなのだが、財前に気を遣わせまいとそう言って各停の乗り換えホームへと向かおうとする。
すると財前も後ろについて来る。
「ほな今日はうちが先輩見送ります」
「えっ…時間とかいけんの?」
「はい。せやし、まだちゃんとお礼言うてへんかったから…」
礼など言われるような事をしただろうか、と謙也が首を傾げると財前は耳を指差した。
そこには謙也がプレゼントしたピアスが光っている。
「これ、ほんまに嬉しかったです。ありがとうございました」
「いやいや、そんなん安モンやし…けど、そない喜んでもらえて俺も嬉しいわ」
「それに昼間も荷物持ちとか手伝いとかいっぱいしてもろたし…あ、あとジュースも。ありがとう先輩」
「礼とかええねんって。俺も楽しかったし……あ、前言うたん覚えてる?夏休み時々遊んでなってやつ」
一瞬考えた後、頷く財前に向け謙也はなるべく軽い調子で言った。
「こんな家近いんやったらな、この近くででもええし…また遊ぼな」
「はい。あ、ほな今度この近くにある美味しいケーキ屋さん一緒に行きませんか?」
「えっっっ」
思ってもないお誘いに吃驚しすぎて声の出ない謙也に、何かに気付いた様子ですぐに提案を引っ込めてしまった。
「すんません…男の人に甘いもんとかないですよね……うち気ぃきかんで…」
「いや!全然!!全然!!俺甘いもんめっちゃ好きやねん!友達とかには馬鹿にされるよってあんま言えへんけど…
ほんまはパフェとかショートケーキとか大好きやねんか」
「あ、そうなんですか?」
「そうそう。けど一人で女ばっかの店行くんとかめっちゃ恥ずかしいし…一緒に行けんやったらめっちゃ嬉しいわ」
本当は一緒に行ける、という事が嬉しいのだが、財前はケーキを食べに行ける事が嬉しいのだと解釈したようだ。
それでも結果は同じなのだから文句はない。
次の約束をした後、ホームに入る電車に乗り込み、謙也の姿が見えなくなるまで手を振っている財前を車内からずっと見守った。

土地勘ない方に説明するなら、岸和田と泉大津はほぼお隣の市です。
電車で僅か数分の距離に住んでいたんですよ、実は。
ほんまはもっと近所に住ませようか思ってたけど、それやと間違いなく謙也が走って通う…ストーカーの如く…
と、思って電車で行く距離にした。でも定期券範囲なので通うよ謙也さんは。きっと。
そして兄貴涙目。は?兄ちゃんなんかもうどーでもええし、って光に冷たく言われんやで。

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