ちーちゃんだいすきぃー!の、い行の顔が一番可愛いと熟知している千歳はその瞬間を狙っている。
そして実はお囃子隊が囃しているのは白石と千歳ではなく光だったこの事実。
アンジェラス シルキー22
自分の贈った物を気に入り付けてもらえるのはいいものだと充実した気持ちで財前を眺めていた。
だが謙也のそんなささやかな幸せな気持ちをぶち壊す輩が突如として現れた。
「あれ?光ちゃん?」
どこのどいつだ、名前で馴れ馴れしく呼ぶ奴は、と謙也は財前にあった視線を上げ、そこにある顔に心底驚く。
名前は忘れてしまったが、お囃子隊のうちの一人である事は確かだ。
去年まで校内で派手に騒がれていた事をよく覚えている。
「先輩」
「久し振りやなぁ光ちゃん」
男はこの暑い中、やたら爽やかな笑顔を振りまきながら財前に近付いてきた。
そして財前の視線に合わせるように跪き、下から覗き込むように見つめる。
「どないしたん?えらい可愛いカッコして。今日は白石らと一緒ちゃうん?」
「ああ、蔵ちゃんらも一緒ですよ。いつものポスター撮影っスわ」
「そっかそっか。あいつらが五月蝿いよってなかなか会われへんかって寂しかったわー」
「何言うてんですか」
最初は敵視していたが、彼も自分と同じく彼女達の鉄壁のディフェンスに阻まれているのかと妙な親近感が湧く。
だが明らかに敵意のある視線を向けられ、情けなくも謙也は思わず目を逸らしてしまった。
「誰?」
「え、あ、ああ…えっと…」
「忍足謙也です」
ここで引いていては駄目だと思い直し、謙也はなるべく穏便に事が運ぶように笑顔で自己紹介する。
「彼氏?」
「ちっ違いますよ!!」
そんなに力一杯否定しなくてもと肩を落とす謙也を他所に財前は必死の様子で弁解を続ける。
「せっ先輩は友達です。そんな…先輩に失礼ですよ……うちみたいなんが彼女やなんて勘違いしたら」
「光ちゃん」
男に怒った様子で言葉を遮られ、財前はびくりと肩を震わせる。
だがすぐに表情を緩め優しい笑みを浮かべた。
「すぐそんな風に言う…白石らにも言われてんやろ?そうやって悲観せぇへんの」
「……すいません…」
沈んだ様子で謝る財前にかめへんよ、と男は優しく頭を撫でる。
「けどよかったわ。光ちゃんに彼氏なんか出来んで。彼氏のが大事やってもう俺らと遊んでくれんようなったら悲しいやん」
「…自分らは彼女いっぱい作って遊び回ってるくせに…今日もこれからデートでしょ?」
「そんなんより光ちゃんと遊びたかったわ。折角会えたのに」
「何アホな事言うてんっスか」
先輩相手にも財前は容赦なく、ヘラヘラと笑う男の頭に手刀を振り下す。
「ほんま、何アホな事言うとんねんこの色魔。光に変な事言わんといてんか」
少し遠くからする声に驚き全員がそちらに視線をやると、装いも新たにした白石と千歳がやって来ていた。
先輩に対して色魔とは、と驚く謙也を他所に白石達は無遠慮な言葉を重ねる。
「挨拶もなしに色魔て…失礼やなあ」
「はいはいこんにちはこんにちは。用ないんやったら早よ行け」
等閑な挨拶とも呼べないそれに男は苦笑いを浮かべて立ち上がる。
「えらい言われようやなぁ…久々やからもっと光ちゃんと話したいのに」
「先輩みたいなちんこ3本も4本も生えた奴になんか危のぉて光に近付けれるかボケ」
「目ば合わせただけで妊娠するったい」
白石と千歳が財前の前に守るように立ちはだかり、しっしっと犬を追い払うような仕草を見せる。
だが男は懲りる様子もなく財前に話し掛ける。
「光ちゃんはそんな事思ってへんよなぁ?」
「いや、二人の言う通りですよ」
ばっさりと袈裟斬りにするような言葉にもめげず、男はにこにこと笑いながら財前を見つめる。
その視線に欲や色はなく、本当に兄が妹を可愛がるような関係なのだと謙也は思った。
ライバル視する必要はなさそうだが、相手から敵視される理由は十分だと若干心が折れそうになる。
「あ、そうや。光ちゃん今日誕生日やんな?」
「覚えててくれはったんですか?」
意外そうに言う財前に、男は白石達のバリケードを避けて再び財前の前にひざまずいた。
「うん、当然。メールしよ思っとったけど直接言えてよかったわ。誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
「よかったなぁ光。先輩が盛大にお祝いしてくれるって」
「ええっ?!」
白石の突然の言葉に男が目を剥いて驚く。
だが男はすぐに困った顔を笑顔に変え携帯片手に立ち上がった。
「しゃーないなあ…可愛い光ちゃんの為や。うちの店でええ?」
「やったぁー先輩太っ腹ー!」
謙也は当の財前より派手に喜ぶ白石や千歳を呆然と見上げる。
一体何が起こるのだろうか、と。
男は携帯を片手にどこかに電話をかけに行ってしまった。
すると残された財前が珍しく非難の目を二人に向ける。
「もぉー…先輩に悪いやないですか…」
「何言うてんの。親の金で遊び回ってんねやから、たかったかてバチ当たらんわ」
「えっ…そうなん?」
驚く謙也に白石と千歳が同時に頷く。
白石曰く、男が先程言っていたうちの店、とは彼の父親の経営する創作料理店らしい。
関西中心に六店舗を展開していてかなり羽振りがいいとの事でいつもご馳走になっているのだと財前だけが申し訳なさそうにしている。
そう言えば、と謙也は思い出した。
お囃子隊は皆金持ちだという噂はよく耳にしていた。
ただの噂だとばかり思っていたが本当だったのかと思う。
「謙也も寄したろか?光の誕生日パーティ」
「ええの?!」
思いもよらない白石の一言に謙也は何の疑問も持たずに食いつく。
早まったか、と思ったが意外にも白石は何の裏もない顔で謙也を見下ろしている。
「ええも悪いも、光の誕生日なんやから光に聞きぃや」
尤もだと謙也は伺うように財前の方を見る。
すると一瞬驚いた顔をしたが、財前はすぐに軽く笑って頷いた。
「先輩さえよければ…」
「ありがとうな!」
満面の笑みで何度も礼を言う謙也に白石と千歳は鋭い視線を送るが、それにもめげる事なく謙也はにこにこと財前を見つめ続ける。
そこへ電話をかけに席を外していた男が戻ってきた。
「OKやって。3時から夜の営業始まるまでやけどええよな?」
「あっ…ありがとう先輩。わざわざうちの為に…」
「可愛い光ちゃんの為やったらこれぐらい何でもないで」
鉄壁のディフェンスをかわし、財前の側に寄ると軽い調子で頭を撫でた。
謙也が言えない可愛いという言葉を何度も繰り返し、その度にはにかんだ笑みを向けられる姿に激しく嫉妬してしまう。
相手が男だけあって、白石達に対してとはまた違う形の感情だ。
たとえ今は兄妹のような関係であっても、これから先もそれが変わらないとは限らない。
しかもそれは恐らく彼一人ではなく、他のお囃子隊であっても同じ事が言えるのだ。
それだけではない。
最近の財前を見ていると、それ以外の男に掻っ攫われる可能性だって大いにある。
このまま気のいいお友達を続けていれば、男として見てもらえないままに終わってしまう。
だが今の関係が壊れてしまうのも困る。
気まずくなってしまい、言葉をかわす事もなくなってしまってはと考えて前に進めない。
とんだヘタレだ。
散々に言われた言葉だが、謙也自身そう思ってしまった。
「ほな、早よ撮影終わらせて行こ」
中断した撮影を再開しようと白石は荷物の中から小道具を探し始める。
男も他の三人を呼び出し先に店へと行くと言い、漸く立ち去った。
「可哀想になぁー今日はどこの女か知らんけど、デートドタキャンされて」
「…悪い事したかな」
「よかよか。どうせ本命やないけん、こうやって光を優先するっちゃろ」
カメラの準備をしながら千歳がそう言って笑うものの、財前は腑に落ちないといった表情で頷いている。
「ボランティアやボランティア。先輩らは可愛い光と一緒に過ごせる時間になるんやし、それに付き合ったってる思い。な?」
「そうそう。老い先短い先輩らに夢ば見せたっとるってな」
「う…うん……」
随分勝手な言い分だが、二人の言葉が絶対の財前は曖昧に頷く。
そして撮影を再開したが、まだ財前は先程の事を気にしているようで表情が冴えない。
「光ー?どげんしたと?」
「え…」
「顔硬か。笑って、ほら」
それに気付いた千歳は一旦カメラを下ろし、財前に笑いかける。
「光、いつもみたいに言い。"ちーちゃん大好きー!"」
突然何を言い出すのだと驚く謙也をよそに、財前は表情を和らげ千歳に向けて言った。
「ちーちゃん大好き」
「よかよか、そん調子ばい」
ポーズをつけながらレンズに向け先程までの硬い表情が嘘のように笑顔を見せている。
「…あれ何のまじない?」
シャッターを押す度繰り返される言葉を不思議に思い、謙也は隣に立つ白石に尋ねた。
「ちーちゃん、と大好きーの瞬間に一番ええ顔になんねん。せやから疲れてきたり今みたいに顔上手く作れん時言わすの」
「へえ…そうなんや」
「くっそー…千歳の奴役得やわー」
「いや…お前も十分役得やって」
あれだけ密着して撮影出来るだけで十分ではないかと呆れる。
だが白石の言う通り、大好き、大好きと繰り返す度キラキラと財前の笑顔が輝いていく。
たとえファインダー越しでもあの笑顔を向けられるなんてうらやましいと謙也は唇を噛んだ。
「謙也ーぼーっっっとしとらんと、レフ板!!」
「……はいはい」
変わらず人使いの荒い千歳に溜息を吐きながら、謙也はレフ板片手に撮影の輪に入った。