何でだんじりの日はおでんなんですかね。あと渡り蟹とか。
昔からの定番で鉄板。何でや。
あ、光の家庭構成も捏造設定です。すみません。
鶴橋住まいにしたのは単に下町に放り込みたかったから。
光の為というより金ちゃんを下町暮らしにさせたかったので。
近所の人に可愛がられて育った感じの。
アンジェラス シルキー17
会場の騒々しさとは対照的な、静かな公園を駅に向かって抜けていく。
「あの、ほんますいませんでした…最後までおれんで」
「ああ、全然!っちゅーかほんま今日は誘てくれてありがとうな!」
「そんな、うちの方がお礼言わんと……ほんまにめっちゃ嬉しかったです。髪切って…服もこんなよーけもろてしもて…」
謙也の肩にかけられた大量の紙袋に目をやりながら、財前はぺこりと頭を下げる。
「あ…そう言うてもらえて安心したわ…」
「え?何でですか?」
「いや、何も言わんで引っ張り回してや…財前さんの意見とか全然聞かんと……ちょぉ勝手にやり過ぎたか思とったから」
よく考えればこちらの意見ばかりを押し付け無理矢理事を進めていた。
そう考え反省の色を顔に浮かべながら頭を掻く謙也に、財前は慌てて首を振る。
「そんな、うちほんま無頓着でいっつも周りに言われるまんまに服とか髪型とか決めとったから…せやから先輩に手ぇ引いてもろてよかった思ってます」
「そっか。まあ気に入ってもらえてよかったわ」
薄暗い公園を抜け、再び明るい喧騒が近付く。
それを見て謙也はさりげなく口に出す。
「財前さん家どこなん?」
「えっと、鶴橋なんですけど…」
「あ、そうなん?こっから二駅やん」
先程あのような喧嘩の売り方をしていた為に郊外に住んでいるのだとばかり思っていたが、意外にも市内住まいのようだ。
謙也は料金表を眺めながら切符を購入する。
それを見て財前が驚いた顔で近付く。
「えっ…ほ、ほんまに家まで送ってくれはるんですか?!」
「うん。え?迷惑やった?」
「いや、そんな!悪いですよ!!」
「っつーか送らせてや。心配やねん」
それにそうしなければあの二人に何をされるか解ったものではない。
責任を持って家まで送り届けるまでがデートだ。
そのような名目で誘ったわけではないが、謙也の中ではすでにそう処理されている。
「めっちゃ遠回りになったりせんのですか?」
「いや、どっちにしても新今宮まで出なあかんし、通り道やねん。ほんま遠慮せんといてな?」
「はい…すいません…ありがとうございます」
財前は申し訳なさそうにしているが、謙也にしてみればむしろここから近すぎて残念なぐらいなのだ。
遠回りになればそれだけ一緒にいる時間は多くなる。
公然と二人きりになれる絶好のチャンスだったというのに、どう引き延ばしても30分位しか一緒にはいれない。
白石達もそれを見越して送れと言ったのだろう。
だがそれだけでも一緒にいられるだけ良しとしよう。
まだ門限までは時間があるわけだし、出来るだけ遅く電車が来てくれと思うが、そんな謙也の思惑をあざ笑うようにホームに着いた途端に電車はやってきてしまった。
満員とはいかないまでも、そこそこに混み合う電車内に謙也は彼女を一人で帰らせないでよかったと心底思った。
痴漢の餌食になってしまうかもしれない。
いや、なる。間違いなく狙われてしまう。
これだけ可愛くて華奢で胸も大きくて、襲わない男がいるなら教えてほしいものだ。
むしろ自分が、と思い浮かび謙也は慌てて頭を振って煩悩を振り払った。
それにしても小春やユウジの選択はこれで正しかったのだろうか。
今まではどうやらサイズの小さなブラジャーで抑え込まれていた為に目立たなかったようだが、財前はかなり胸が大きいように見える。
近くに牛の如き巨乳の千歳がいた為に先刻まではあまり気にならなかったが、こうして改めて見るとかなりスタイルがいいように思える。
そんな胸を強調するかのような体にぴったりとフィットするデザインのブラウスを選んで着せているのだ。
狙ってやったとしか思えない。
この布の下にはあのカラフルで見るからに甘そうなブラジャーがあって、それが真っ白でふわふわなマシュマロのような胸を包み込んでいるのか。
65のFがどれほどのものかは解らないが、アルファベットが下がるほどにサイズが大きくなる事は解る。
A、B、Cと心の中で数えていって思わず顔が緩みそうになる。
ああ何て事をしてくれたんだ、いや、やっぱり良くやった、と一人悶々と考えているうちに、あっという間に駅へとたどり着いてしまった。
すぐに降りるためドアに近い場所に立っていた為、二人は人の流れに乗ってスムーズに降車する。
「家、どっちの方なん?」
「結構近いんですよ。すぐそこなんで、ここでいいですよ」
「近いんやったら送るって。改札どっち?」
「あ…えっと、こっちです」
ホームの大半の人が流れていく乗り換え用改札とは逆を向いて歩く財前の後ろをついていく。
階段を降りた先の改札を出て年季の入った高架の下に出ると、財前は大きな道に沿って右へと歩き始めた。
「こっから10分もかからんのですよ」
「へえ、ほんまに近いんやな。まあうちも似たようなもんやけど」
「先輩はどこ住んではるんですか?」
個人的な質問を投げかけられ、謙也は舞い上がった。
社交辞令のない彼女が聞いてくれているという事は、関心を持ってもらえてるという事だ。
「岸和田。知ってる?」
「はい。だんじりあるとこですよね?」
「そーそー。盆過ぎた辺りからめっちゃ盛り上がんねん」
「へえーええなあ…うっとこお祭りとかそんなん無いし…地蔵盆の時夜店出るぐらいで」
騒がしい事は嫌いなのかと思いきや、存外にうらやましがる彼女に驚かされる。
これも口先から出たものではないはずだ。
謙也は浮かれた声を必死に抑えながら、軽い調子で言った。
「ほなうち見においでや。町内のだんじりコースうちの前通っててな、めっちゃ迫力あんねん」
「え…ええんですか?ほんまに?」
「かまへんよ。まぁ近所や親戚中から人集まっててめっちゃうるさいけどな。あ、せや、今日の髪切ってくれた姉ちゃん、あの子も来んで」
「そんな中にうち入ってええんですか?邪魔やない?」
邪魔なわけがない。
むしろ大歓迎だ。
うちに連れて行けば間違いなく世話焼きな親戚連中は彼女かと囃し立てるだろう。
なし崩しに既成事実のようになればいい、などとセコイ考えは億尾にも出さず、謙也は満面の笑みで否定する。
「邪魔ちゃうよ!ほんま遊びに来ぃな?うちのオカン特製のおでんとかもあるしな、大歓迎すんで」
「ありがとうございます」
そう言って嬉しそうに笑う姿に謙也は胸を撃ち抜かれた。
あんなものは漫画の中のただ大袈裟な表現だと思っていた。
だが人は恋をすると本当に胸に風穴が空くのだと謙也は初めて知った。
動揺した事を悟られないように必死に息を整えながら歩を進める。
10分もかからないと言っていたからもうすでに半分以上過ぎているのだろう。
なるべくゆっくりと歩きたい。
だがあまりちんたらしていれば不審がられてしまうかもしれない。
ちらりと隣を歩く財前の顔を伺うと、機嫌がいいのが解る。
無表情な彼女がこうしてあからさまに表情に出して嬉しそうにするのは珍しい。
白石達と話している時を除いては。
「どないしたん?」
「え?」
「何や嬉しそうやから」
白石達の事でも考えていたのだろうかと思っていたが、意外な返答がされる。
「ほんまに先輩と友達になれてよかったなって思って」
「えっっ?!」
予想外な言葉に思わず声がひっくり返ってしまった。
格好悪いと心の中で舌打ちしてから謙也は改めて財前の顔を見下ろす。
「そっそんな風に思てもらえるなんか光栄やわ!ほんまに!俺も財前さんと仲良なれてめっちゃ嬉しいで」
ストレートすぎたかと思ったが、それぐらい言ってやっとこちらの真意が通じる相手なのだ。
財前は一瞬驚いた顔をした後照れたようにはにかんだ。
その顔反則だ、と思わず前のめりになった瞬間、ポケットの中の携帯電話が震え始め飛び上がった。
何事だと中を見れば、差出人は白石。
嫌な予感がすると中身は案の定だった。
『送り狼即去勢』
何というタイミングの良さだ。
どこかで観察されているのではないかと思える程に。
思わず脱力したところに追い討ちをかけるようにもう一通届く。
今度は千歳からで、内容は同じものだった。
「どないかしはったんですか?」
「えっ、いやっ…別に?めっ迷惑メールや。ほんま迷惑なな。ハハッ」
携帯を握りしめたまま固まる謙也を見て心配そうな顔をする財前を安心させるように笑いかける。
「あっ、もうすぐなんかな?家」
「ああ、もう見えてきましたよ」
駅から少し外れた古い住宅地の中で、周りの家と比べ比較的広い家の前で財前は立ち止まった。
表札に書かれた財前の文字に、ここで彼女が暮らしているのかと妙な興奮が湧き上がる。
「ここです」
「そうなんや…へぇ」
「あ…あんま見やんといてくださいよ…古い家なんで恥ずかしいです」
「そうか?めっちゃええやん。うちなんかだんじりにぶつけられてボロボロやで」
そうなんですか、とおかしそうに笑う財前の声に被さるように、遠くから明るい声が聞こえた。
何事だと二人でそれらを振り返ると、小柄な少女が大きく手を振りながら走ってきている。
「ひぃーかるぅー!!!」
「金ちゃん」
「…知り合い?」
「幼馴染みです。すぐ近所に住んでて…どないしたん?」
あっという間に目の前まで走ってきた少女に向け財前が笑顔を見せる。
「あんなぁー光のばあちゃんがめーっちゃでっかいスイカもろたから食べに来ぃーって言うてくれてん!」
「そうなん?」
「あり?何や光いつもとちゃうで?頭も服も…うわっ!爪もキラキラやぁー!」
少女は塀に乗った外灯に照らされた財前の姿がいつもと違うと囃し立てる。
「おかしい?」
「全然おかしないで!めっちゃキレーや!!」
「ありがとう金ちゃん」
嬉しそうに顔を綻ばせる姿に、やはりこの変身計画は成功だったのだと思った。
しかし次に出てくる言葉に謙也は固まった。
「何や白石みたいやでー」
「えっっ」
まさかの名前の登場に顔を引きつらせる謙也を、財前は不思議そうに見上げる。
「どないしたんですか?」
「あ、いや……白石とも知り合いなんや…」
「ああ、この子女テニなんで。あ、すいません紹介もせんと…うちの中学二年の遠山カナタです」
「遠山?あーそれで金ちゃんか…俺は忍足謙也です。よろしくな」
財前よりさらに背の低い遠山の顔を覗き込むように身を屈めて自己紹介すると、相手は首を傾げる。
「けんや…?」
何だ、と思っていると謙也の顔を指差しながらあーっと絶叫する。
「うち知ってんでぇケンヤ!アホの謙也や!」
「あっ…アホ?!」
「ちょっ…金ちゃん!失礼やろ!」
いきなり見ず知らずの後輩にアホ呼ばわりされる筋合いはない。
だがそのネタの出所が何となく想像できた。
「けど白石がゆうとったでぇ?アホ謙也って」
やはり、と最早乾いた笑い以外に出てこない。
「蔵ちゃんの真似せんでええの!…すいませんほんま…」
「いや、かまへんかまへん」
財前に謝ってもらうような事でもない。
悪いのは白石だ。
謙也は申し訳なさそうに眉を下げる財前に向け気にしないようにと笑った。
「光ー!早よ入ろーや!スイカ!早よスイカ食いたいわぁー!」
「ちょっ…金ちゃんっ!」
財前の手を引っ張り無理に家の中に連れて行こうとする遠山を制する。
腕に遠山を巻きつけたまま財前は謙也を見上げた。
「あの、よかったら先輩も一緒にどないですか?」
「えっ」
「送ってもろたお礼になるか解らんのですけど…スイカ食べていきませんか?」
思いもよらない展開に思わず顔が緩む。
だが財前の腕に抱きついていた遠山が謙也と財前の間に立ちはだかるように仁王立ちする。
「あかーん!!狼は家に入れたあかんねやで光!!」
「は?!」
「な…何訳解らん事言うてんの…」
「せやかてな、白石がゆうとったんや。謙也は狼やよって光食われるかもしれんからな、金ちゃんが光の事守ったりぃーって!」
後輩使てまで何ちゅー事ぬかしやがるんじゃあの悪魔は、と謙也は喉まで出かかった言葉を飲み込む。
「何言うとんやあの人…そんな事言わんの、金ちゃん。先輩はそんな人ちゃうねんから」
かばっていただけるのはありがたいが、それも否定しなければならない下半身事情に謙也は苦笑い以外を返せない。
「ありがとうな。折角やけど今日はもう帰るわ」
「え…すいません…あの、気ぃ悪しましたよね?ほんまごめんなさい」
すっかり元気をなくしてしまった様子の財前に気を使わせまいと、謙也は努めて明るく振る舞う。
「あーちゃうちゃう。もう遅いし、こんな時間からお邪魔でけへんわ」
「そ…そう、ですか?うちは全然構わんのですけど…」
「今度ゆっくり遊びにこさしてもらうわ」
服の入ったショップバッグを財前に渡しながら次をほのめかす言葉をさりげなく出したが、財前は嫌がる事なく頷いた。
それに満足して再び駅へ向かう道へ出ようとしたところで財前に呼び止められる。
「先輩、ちょっと待っといてください!」
「え?あ、うん…」
財前は遠山を連れて一旦家に入り、しばらくすると小さな紙袋を手に一人で戻ってきた。
「あのこれ、こないだ買うたCDと…今日出とったバンドとかうちのおススメの人らのCDなんですけど…」
「え?借りてってええん?」
「はい。よかったら聞いてください。もうデータはパソコンに移したんで返すんいつでもええですから」
差し出された紙袋にはCDが10枚程入っている。
以前CDショップで言った何気ない一言を覚えていてくれたのかと謙也は沈みかけていたテンションが再び跳ね上がった。
「ありがとうな!帰ってさっそく聞いてみるわ」
「はい!あ、駅までの道解りますか?」
「おー大丈夫やで。おっきい道やし絶対迷えへんわ」
財前の家は細い路地に入った中にあるが、そのすぐ近くには大きな幹線道路が走っていてそれを辿れば駅に出る事は容易い。
「ほなまた明日」
「はい。おやすみなさい」
名残惜しい気持ちを引きずりつつ、手を振って家の前を後にした。
しかし財前は謙也が大きな道路に出るまでの間ずっとそれを見ていて、謙也はそれに何度も手を振った。
やがて曲がり角がやってきてしまい、姿が見えなくなり、謙也は前を向いて駅までの道を歩き始める。
何て幸せな、充実した一日だったんだろう。
多少の邪魔やトラブルもあったが、一気に距離が縮んだようだと浮かれた気分が止まらない。
だがそんな幸せも束の間、翌日には白石の言葉を痛烈に実感する事となってしまった。