アンジェラス シルキー15

財前は全く気付いていないが、先程から電車内の誰もが彼女に視線をやっている。
肝心の本人はそれよりも気になる事があるのかしきりに鏡を気にしていた。
「蔵ちゃんら褒めてくれるかな…」
「おぅ!絶対めっちゃ可愛いって言うてくれるって」
「ほんまですか?うわードキドキしてきた。早よ二人に会いたいわー」
何だか彼氏の為にオシャレする女子の手伝いをしたような気分だと謙也はこっそり溜息をついた。
だがそれ以上に財前が華麗な変身を遂げた事が嬉しい。
それに可愛い。本当に。
面と向かい可愛いよと声をかけられない意気地のない自分を恨めしく思う。
似合っているとしか言ってやれなかったが、財前はそんな自分の評価や周りの賞賛よりも白石と千歳の言葉だけを期待している。
謙也はやるせない思いを胸に、駅に降り立った。
「どこで待ち合わせしてんの?」
「駅…改札出たとこで」
同じ会場へ向かう人々の波から外れ、駅舎の片隅でしばらく待っていると人の波の向こうに目立つ容姿の二人がやってくるのが解った。
「え?光?」
まず背の高い千歳が財前の存在に気付き、その声に白石が視線を彷徨わせる。
そして二人は財前の姿を捉え物凄い勢いで駆け寄った。
「光?!どないしたん?めっちゃ可愛なってる!!」
「ほっほんまに?変やない?」
二人に全身を舐めるように眺められ、珍しく財前は赤面した。
そんな様子に白石は辛抱たまらんとばかりに抱きしめる。
「むっちゃ可愛い!食べちゃいたいぐらい!」
むしろ食べる、と言って白石はその場で財前にキスした。
唐突な美女と美少女のキスシーンに周囲はざわめくが、そんな外野など我関せずに白石と千歳で財前の取り合いを始める。
「あっ!こすかっ!うちにもさせて、光」
「ちょ…っんっっ」
一度目の白石からのキスは不意打ちだったが、先に宣言してからの千歳のキスを避けようとするがあっさりと動きを封じられ唇を奪われる。
何の対抗意識からか、白石のしたような触れるだけの軽いものではなく、しっかりと舌が絡まっている。
「んっんっぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!ちーちゃ…くるしっ…」
その苦しげな声に、顔をハニワ状態にして混乱していた謙也がようやく正気を取り戻し二人を引き離そうと肩を掴む。
「おおおおおっ…お前らええ加減にせぇや!!」
「謙也?……何であんたがここおるん?」
白石も千歳もそれまで全く気付きませんでしたとばかりに驚く。
意識が謙也に行ったお陰で少し力が緩み、財前は慌てて体を離した。
「あ…先輩がやってくれてん、これ」
「そうなん?………謙也ー…あんた、どさくさに紛れて光に変な事してへんやろなー…」
「しっしてへんわ!!」
言いがかりだと謙也は必死に今日の事を説明した。
不満そうな表情ではあるが、一応納得を示した白石は再び財前の方を見る。
「このシャツうちも白持ってるわ。色違いでおそろいに着れるな」
「ほんまに?蔵ちゃんも着てるん?うち着てもおかしない?」
「おかしないよ?カーマインは光のテーマカラーやもんな」
カーマインって何、と謙也が千歳に尋ねるとあのブラウスのような深紅の事だと言う。
同じデザインの白や黒はよく売れたのだが、このサイズの赤は似合う人が少なく売れ残ったのだと小春の姉が言っていたのを思い出した。
だが白石の言う通り、色白の財前に目の覚めるような赤は似合いすぎるほどだ。
この派手なデザインもまるで彼女の為に仕立てたもののように似合っている。
そしてあの下には可愛らしかったあのブラジャーが彼女のマシュマロのような胸を、と考えて思わず顔が緩みかける。
普段ならば光で変な妄想をするなと激怒する場面であるが、そんな謙也になど全く気付かず白石は財前ばかりに視線を送っている。
「もうこの場で押し倒したいぐらい可愛い!!!」
むしろもう押し倒してるだろうという勢いで抱きつかれ、財前が体勢を崩す。
慌てて背中を支えようかと謙也が腕を伸ばすが、それより一瞬早く千歳が細い体を受け止め背中から抱き締める。
「うーっ二人ともええ加減にしてやっっ」
サンドイッチのように挟まれ財前が腕をばたばたと動かし体にまとわりつく二人を追い払う。
しかしさして反省もしていない白石達は怒った顔も可愛いと言って全く取り合わない。
「もう!入場始まる時間やんか!早よ行きましょ!」
「あー待って待って、光」
駅の出口に向けて歩き始めた財前を呼び止め、白石は持っていたバッグから何かを取り出した。
「上向いて」
「……もうちゅーせぇへん?」
口を手で押さえて恨めしそうに睨む財前に苦笑いを返す。
「せぇへんよ。っていうかしてほしなかったら早よ顔上げて?」
「ん…」
白石が財前の顎に手をかけて少し上を向かせる、その光景はどこか卑猥で謙也は間近で見ていて思わず息を飲む。
だが千歳に睨まれ慌てて咳払いをして目を逸らした。
できたよ、という白石の声に再び財前に視線を戻すと、先程より若干何かが違う。
数秒眺めてそれが唇の色の違いだと気付いた。
普段は桜のような淡い色合いの唇が、今は艶のあるさくらんぼのようになっている。
「……蔵ちゃんとおんなしグロス」
財前は白石に渡される鏡を覗き込みぽつりと呟いた。
「うん、そのブラウスにもスカートにもよぉ似合てるわ」
「ほんまに?変やない?」
「変やないよ。あんまり可愛い顔せぇへんの。またちゅーすんで?」
不穏な宣言に持っていた鏡を突き返すと、財前はもう行く、と真っ赤になって駅を出て行ってしまった。
一人に出来ないと謙也も慌ててそれについて行く。
「…なあ……もしかして、いっつもあんな事されてん?」
「あんな事…って、ああ、キスですか?あんなん挨拶代わりですよ」
「…そ…そうなんや…」
「何ぼ嫌や言うても聞いてくれへんねんもん。もうええ加減慣れました」
慣れてしまうほど回数を重ねているとは、あいつら、どこまで羨ましいんだと謙也の腹の中がどろどろと嫉妬に渦巻く。
先程まで彼女らの唇の触れていた場所に自分もかじり付きたい。
甘い香りのグロスがてらてらと光り、いつも以上にいやらしく感じるのだ。
しかしこのまま眺めていては財前に変に思われてしまう。
それに少し距離を置いた背後から刺すような視線を寄越している白石達に何をされるか解らない。
「……気持ち悪いですか?」
「へ?!」
唐突に何を言い出すのかと謙也は目を丸くする。
「女の子同士やのにあんなんしとって…」
「ぜっ、全然!全然そんな事ないよ?!ほんまに、財前さん世界一あいつら好きなんやしな、
好きなもん同士あれぐらいやって普通やっちゅー話や!」
謙也の言葉に財前もほっと胸を撫で下ろし、嬉しそうに笑った。
景気のいい言い方をしたが、本当は理解などしていない。
自分はいくら仲の良い友達であってもキスなど出来ないし、気持ち悪い。
それにたとえ相手が女子であっても目の前で好きな子がキスされているところを見るのは嫌なものだ。
女の子はそんなものなのだろうか、はたまたやはり彼女らが特殊なのだろうか。
様々な考えが頭を渦巻き謙也の悩みの種は尽きないでいた。
「光」
「何?」
今もあっさりと千歳に財前を奪われてしまい、あっという間に離れていってしまった。
一人取り残され、ひっそりと溜息を吐くと後ろから頭を叩かれた。
「ってぇ……」
「どーゆーつもりや?」
後ろを歩いていた白石が隣に立つ。
「どーゆうて……何がやねん」
「光の大変身」
白石はちらりと視線をやり、千歳と仲良く手を繋ぎ、少し前を歩いている光を指さす。
「ああ、あれは……色々言う奴おるんやったら…根本解決したったらええかなって…」
「短絡思考」
「うううるさいわボケ!!」
「まあ…ええけどな、別に。あんたが後悔せぇへんねやったら」
謙也が白石の言葉に込められた意味に気付いたのは、翌日学校に行ってからだった。

光の世界は白石と千歳を中心に回っています。

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