サイン/サイレン/サイレント1

俺の友は声を持ってない。
俺はその声を知らない。
ある日隣の家のお兄さんが弟と同居する事になったんや、というて会わせてくれた一つ下の子。
暗い表情に暗い瞳、何があったかまでは解らんかったけど、小さいこの背中に何かを背負っているのは確かやった。
俺は中学に入ったばっかりで部活に勉強にと忙しくてなかなか遊んでやれんかったけど、それでも一年がかりで仲良くなれた。
女兄弟ばかりの俺にはほんまに弟が出来たようで可愛くて仕方なかった。
声はなくても何を言いたいんかは顔見ればだいたいは解ったし、筆談や指文字で気持ちを伝えてくれたから何の不自由もない。
音にならんだけで、確かにそこに言葉は存在してる。
そして偶然にもその子は同じクラスで部活のチームメイトとも幼馴染やった。
実家が近所やったらしい。
それからは俺とそいつ、二人で守ってやってた。
環境の変化に過敏で警戒心が強くて場に溶け込めないあいつは格好の虐めの標的になってた。
本人はマイペースすぎる程にマイペースやからあんまり気にしてないようやったけど、やっぱり俺は許せんかった。



俺の幼馴染は声を持ってない。

生まれた時も、その先も、普通に喋って普通に笑って怒って泣いて、どっちか言えば毒舌で饒舌とは言えないが決して無口ではなかった。
でもある日突然声を失った。
何があったのか本人が何も言わんもんやから誰も何も知らん。
俺もまだ何でか知らん。

ただ、あいつの同級生が一人、この世を去った日から約一年半。
あいつは一言も喋ってなかった。



Side;Kuranosuke Shiraishi


あいつは暗い表情に暗い瞳しとったけど、名前だけは明るかった。

「光」
それが声を持たない俺の可愛い可愛い弟君の名前。
名前を呼ぶとその一瞬嬉しそうな顔するのに、すぐに面倒くさそうに顔を歪める天邪鬼。
入学式が終わって体育館を出てきたところを掴まえると嫌そうな顔して見上げてきた。
『蔵さん』
光の口が俺の名前を象る。
一番多く動く形やからこれだけは間違えずに読む事ができる。
「入学おめでとうさん、光」
頭を撫でてやると、ガキ扱いすんなと手を振り払われた。
そして何やねん、と鬱陶しそうな目で訴えかけてくる。
「クラス、馴染めそうか?」
『さあ』
音にはなってないけど声は聞こえてくる。
掌を天に向けてひらっとかざして肩をすくめる。
小学校の時と変わらず、ここでも友達を作る気はないらしい。
けどこの学校は一匹狼にはちょっと厳しいかもしれんなあ。
何せ先輩らも先生らも皆構いたがりで、ひと月せんうちに新入生も毒されてまう。
学校ぐるみで皆どいつもこいつも構いたがりになって、それがうちの校風や。
でもそれは光にとってええ事かもしれん。
これを機に友達作ったらええねん。
「おっ、光やん」
後ろから顔を覗かせたんは、俺と同じく入学式の手伝いで借り出されてたユウジ。
俺の知らん光を知ってる幼馴染や。
ちょっと光に対して冷たい態度を取る事もあるけど、素直やないだけで腹の底では心配してるし、俺より大事に思ってるような気がする。
現に折角の春休みやのに面倒臭い言いつつも、有志の入学式の手伝いに自ら立候補してるんやから。
「どうや?このガッコ。おもろそうやろ?」
『まあぼちぼち』
右手を器用に動かして気持ちを伝える光に、周囲が好奇の視線を向けてる。
地元を離れての入学やから知ってる人間は俺とユウジだけやから仕方ないけど。
一応担任は事情知ってるから話はつけてくれるんやろうけど、そっから先は光次第や。
「くーらっ!お疲れさーん!」
「謙也ー大遅刻やで」
「いやーすまんすまん。今日入学式やってすっかり忘れててなあ」
「やっぱり昨日電話しといたらよかったな」
背後からいきなり現れた金髪の軽い調子の奴に、それまで楽しそうにしとった光が一気に態度変えてユウジの後ろに身を隠した。
これや、これ。これが問題やねん。
光は警戒心強い上に無愛想やし必要以上に毒舌やし。
まあ今は音になってないから表には出てないけど、表情にも態度にも出まくるから絶対に集団の中で浮く。
けどこいつは絶対大丈夫や。
そう思って俺は光を無理矢理前に引っ張り出して謙也の前に押し出す。
「何や。知り合い?新入生か?」
「俺の幼馴染の財前光や。まあちょっと無口で愛想悪いけど、よろしゅうしたって」
ユウジが光の肩に腕回して代わりに紹介してくれる。
光は相変わらず体ガッチガチにしたまま警戒心剥き出しで謙也の事睨んでる。
けどユウジの腕が支えになってるんか、顔見るだけで逃げる事はせんかった。
「ふーん。忍足謙也ですーよろしくな、財前君」
俺の予想通り、光の失礼な態度もお構いなしに謙也は笑顔で背の低い光の顔を覗き込んだ。
どうするか、と俺もユウジも見守った。
そしたらどうや、光は謙也の顔を見たままぺこりと頭を下げた。
珍しい事もあるもんやとユウジと顔を見合わせる。
「何やーえらい愛想ないやっちゃな」
慌てて事情説明しよう思ったけど、謙也はあんま気にせん様子でまあええかー言うて笑顔で光の肩をバンバン叩いた。
一瞬びっくりした顔した後、嫌そうに体を離して光は謙也を指差した後、右手で軽い握り拳と指を揃えた掌を作って俺らに見せた。
「…何?」
「……そういう事言わんの、光。曲がりなりにも一応先輩やねんから」
「ちょっ…何やねん!!はみごにすんなや!っていうか曲がりなりにもちゃうやろ!立派な先輩や!!」
その場で唯一光の言葉を理解できんかった謙也が俺とユウジの顔を交互に見る。
けど俺にはほんまの事は言われへん。可哀想で。
出会うて数十秒でいきなり後輩にアホ言われたら、流石の謙也もヘコむやろうし。

謙也は一年と、今年も同じクラスになった友達で、ユウジと同じく部活のチームメイトでもあるから必然的に一番長く一緒におる。
それは学校だけやなくて、プライベートでも。
気を使わんでええ相手、まあ親友と呼んでやってもいい間柄やろう。
調子乗るから本人には言わんけど。
それでも謙也は俺の知ってる中で一番気のええ奴やと思う。
俺は誰かがこいつを悪う言うとるのを聞いた事ないし、こいつを嫌う人間も見た事ない。
明るくて気さくで、ちょっとアホなところもあるけど、要領よくやらなすぐに目ぇつけられる俺やユウジと違うて素で先輩らからも可愛がられてた。
せやから三年差し置いて今年から部長になってしもた俺の手伝いさせよう思てこの日は呼び出してた。
テニス部の新入生勧誘に、これほどに適役はおらんやろう。
面倒くさい素振りも見せんと暇やしかまへんでーと軽い調子で快諾してくれるあたりに謙也という人間の人となりが見える。
どこまでもお人よしな奴や。
そんなやから俺みたいなんにええように使われるねん。



「ひーかるー飯行くでー」
光が入学して初めての衣替えと定期試験が過ぎて、地区大会も終わって府大会が始まった六月。
お前らいつの間にそんな仲良なってん、ってぐらいに二人は一緒におった。
見るたびに謙也は光の側におって、俺の位置は完全に謙也に取って代わってる。
謙也は初めて出来た後輩が可愛くてしょうがないって感じで部活だけやなく授業の合間や昼休み、放課後と構いたくってるけど、光は若干戸惑い気味のようや。
それでも俺やユウジ以外やと他の誰より懐いてる気がする。
こんな事は今までなかったから正直びっくりしてる。
けど丁度ええから俺は謙也に光の事を任せる事にした。
というのも俺は部長という立場になって光一人に構いきり、というのも無理な状況やし、
ユウジは人前では絶対光を甘やかせへんし、それより学校ではダブルスパートナーの小春にべったりで光には見向きもせえへん。
そんな状態で一人で不安そうにしとる光を放っておかれへんかったから謙也の存在はありがたかった。
そもそも、光がテニス部に入った事も俺には全くの予想外やったんや。
運動も勉強もそこそこに出来て、それでそこそこに出来るもんやからそれ以上の努力をせんドライな光に運動部は不向き。
せやのに謙也が入れ入れて勧誘するもんやから、断るんが面倒になったんか光は仮入部からそのまま正式な部員になってしもた。
全くの初心者やったけど、センスは新入部員の中でもずば抜けててあっという間に頭角を現した。
今ではレベル中より下の方の二年連中ぐらいには簡単に勝ちよる。
面白いから試しに謙也とダブルス組ませてみた。
どうなるかと思ったけど言葉もないのに意外と上手いコンビネーションで試合を進めてた。
そんな事もあって、謙也はますます光に構いっぱなしになった。
今日も一緒に昼飯食うんや言うから久々やし俺もついていく事にする。
光を一年の教室まで誘いに行って、その後天気がええと裏庭に出て雨やと屋上に続く階段の踊り場で昼食になるらしい。
今日はあんまり天気も良うないから踊り場で食う言うて階段を上がっていく。
いつもそうなんか、光は階段の一番上に座って謙也はその隣に座った。
俺は邪魔にならんように屋上に出る扉に続く段差に腰を下ろして二人を観察する。
光に声がないから当然なんやけど、謙也が一人で喋ってる状態や。
けど光も時々反応示して答え返してる。
てっきり謙也の一方通行やと思ってたのに。
「……光?」
『何?』
振り返った光の顔はいつもと変わらん無表情。
つまりは謙也を受け入れ始めたって事か。
ちょっと前までは謙也の側におってもほんまに謙也が一人で喋ってるだけで光は顔強張らせたまま反応に困ってたのに。
俺はまともに意思の疎通が出来るまでに半年かかった。
けど謙也はそれを三ヶ月かからんとやってのけよった。
そういえば謙也は僅か二週間で指文字を覚えとった。
光が内緒話のように指文字使うて会話するもんやから拗ねたみたいや。
子供かーゆうねん。まあ気持ちは解らんでもないけど。
たいがいは謙也への悪態やったから俺もユウジも内容言わんかったんが悪かったみたいで謙也は意地になって覚えたらしい。
けどそれもきっかけになって光は謙也への警戒心を随分解いたようやった。
それまでは話せんて解った途端、疎遠になるか好奇の目で見るかやったから、こうやって歩み寄ってくれるんが嬉しかったんや思う。
『蔵さん?』
「あ、いや…何もないよ。早よ食べ。次体育やろ?」
光は不思議そうな顔で首傾げたけど気にせんと昼飯のサンドイッチを再び食べ始めた。
食べ終わるまでの十数分、謙也はずっと光に話しかけてた。
そして光も、時々謙也の方を向いては少しの笑顔を見せて楽しそうにしていた。

男っちゅーんはほんまにどうしょうもないなあ。
自分から謙也を差し向けたのに、光を取られたような気持ちになってしもた。
だいたい部長になったから、とか聞こえええ風に言い訳しとったけどほんまは彼女が出来て光にかかりっきりになれんかったから謙也を利用したんや。
光連れて昼休みや放課後やデートやって、そんなもん光が嫌がるし彼女にも悪い。
俺からは何も言わんかったけど、光はそれとなくこっちの事情を察したみたいに俺から離れようとした。
けど一人ほっとくわけにもいかんとか思ってるあたりがずるい。
適度に距離取りながらもこっそり気にかけて見守ってるユウジのがよっぽど優しいと思う。
そんな僅かな隙間に上手い事収まったんや、謙也は。
自分では何も考えてへんで、あっという間に光の中に入り込んだ。
俺はあの手この手と策練ってやっとまともに顔見てもらえるようになったのに。
でもそんな俺のちょっと寂しい気持ちと引き換えに、光の笑顔もちょっとずつ増えていった。
それはほんまに嬉しかった。


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